お茶の間説法」カテゴリーアーカイブ

カガミよかがみよ鏡サン

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


三浦朱門さんのお気に入りのテレビのコマーシャルというのが、7月2日付の婦人面に出ていました。亭主がゴロンとしていると、画面の外から女房の声がして、風呂でも掃除してくれという。亭主がさもくやしそうに
「いま、やろうと思ってたのニィ」
と言う。あの亭主の卑小さ、小児性もさることながら、画面の外から夫を追いたてる女房の小にくらしさがよく表現されている――たしか、こういうことだったようであります。テレビのコマーシャルというのは、大のオトナが、とにかく社運をかけて、チエをしぼり合った結晶のようなものですから、ヘタなドラマより迫力があるものが多いわけです。
 
じつは、わたしにも、気に入ったのがありましてね。いまはもうやってないが、2,3年前に何度か見て、いまだに忘れられない。ちょうど、お目覚め説法にはピッタリという感じなんですが…。
 
若い女の子が画面に登場いたしまして、ニッコリ笑って、歯をむき出して
「わたしの歯、真っ白!」
とやる。自慢するわけです。白い歯を指して。ところがそこへもう一人の女の子があらわれて、これがずいぶんいじわるなんですが、手鏡を持っていて
「裏は?」
とやる。自慢の女の子は、手鏡にうつった自分の歯の裏をみせつけられて、「真っ黒…」とガックリ。そこで、歯の裏までよくみがけるちょっと曲がった歯ブラシをどうぞ、ということになるのだが、わたしはこれをみて、もし、わたしがサンケイ広告大賞の審査員なら、間違いなく、これに優勝トロフィーを贈っていただろうと思ったね。
 
その選考理由は次の通りであります。つまり、これは、単に歯ブラシのコマーシャルというだけのことではなくて
「裏は?」
という言葉をこのわたしに対する根源的な問いかけであると受けとったとき、限りなく広がる虚飾の世界を打ち破り、人類に真実なる生き方を問いかける、この上ない契機になるのではないか、とかなんとか…そんな気がしてならないのです。
 
どうですか?あなたはそう思いませんか。このコマーシャルは、歯だけのことをいっているんじゃないんですよ。わたし達は、いつも、ウソで塗り固めた自分を指さして、「わたし、真っ白!」とやっているんです。女の人はとくにそうだ。頭のテッペンから足のツマ先まで、生まれたまんまの本当の自分などというものはまるでない。いや、男だって、坊さんだって、そうですがね。ところが、そのウソをウソとも思わず、ニッコリ笑って、真っ白!とやっている。裏はどうなんでしょう。ハラの底はどうなんでしょう。
 
だれかが、いつか、手鏡を持っていて、
「あなたの裏は?」
といわれたらどうします?ふつうの鏡なら、表しかうつらないからゴマカシが効きますが、その鏡が、真実まことの鏡だったらどうします。コマーシャルの女の子のように、ガックリ、うずくまらざるをえないのではないでしょうか。
 
先日、近くのロータリーグラブのスピーチに呼ばれまして、ひょいと見たら「四つのテスト」というのがあって、その第一に「真実かどうか」とあった。なかなかやるじゃないですか、「もうかるか、どうか」「ソンかトクか」じゃないんですよ。「真実かどうか」――自分にたえず手鏡をあててみて、静かに反省してみようということなんでしょうね。
 
朝目が覚めて、ウソのかたまりのお化粧を念入りになさる前に、ひとつ、鏡に向かってやってみて下さい。
「鏡よ鏡よ鏡さん、どうぞ教えて下さいな。ホントのわたしはだれでしょう。裏は真っ黒じゃないかしら」
鏡は答えてくれるでしょう。
「そうよ。やっとわかったの。あなたの裏は真っ黒よ」

雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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いい天気ってどんな空?

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


ちょっとヤボですが、坊さんのわたしが東京や富山でラジオのニュースキャスターというものをやっていたことがあるのです。朝の2,3時間、ぶっ続けにおしゃべりをするわけですが、オープニングというんですか、番組のはじめに名前が雪山だというので晴れがましくも雪山賛歌なんぞを流しまして「お早うございます!7月12日火曜日午後9時、これからしばらくはホットなニュースと話題いっぱいのワイド番組でお楽しみ下さい」とやる。
 
それから型通りにアシスタントのアナウンサーとお天気のやりとりで、晴れていれば「今日もいい天気ですね」「そうですね。奥さま、お洗濯がはかどりますね」とかなんとか。暑い日だと「暑いですね。いやな日が続きますね」「そうですね。ほんとに涼しくならないかしら」とかなんとか。ところがあるとき、ギクリとすることがあった。お天気のあいさつのあと、気象台の方と電話でやりとりするコーナーがあって、そこで、あるお天気おじさんがおっしゃった。
「雪山さん、じつは、お天気には、いいとか、わるいとかはないんですよ。晴れていれば晴れた日、雨なら雨の日というだけで、わたしたちはなるべく、いい天気わるい天気とは使わないようにしているんです。」
まいったね、わたしは。えらそうにお説教などする資格はないと思った。そうなんですよ。わたしたち、朝、目が覚めたら、カーテンをあけて、「わあ、いい天気だ」とか「やだなあ、また雨だ」とか、カンタンにいってしまうけど、考えてみれば、天気にいい、わるいなんてあるわけない。こっちは快晴つづきで「いいなあ」と思ってもあまりつづくとお百姓さんが音をあげる。台風でも、被害は困るけどあれが来なかったら日本の水源が干上がってしまうわけだ。「ありがとう。おかげで坊さんの片目が開けました。天気にいい、わるいはなくて、もしいうなら、その前に、わたしにとっていい天気、わたしにとって都合のわるい天気といわねばならないんですね」と、お天気おじさんにお礼をいった。
 
その時です。ギクリときたのは。(ハテ、これは、お天気だけのことだろうか?)どうでしょう。わたしたちは、お天気だけではない。まわりすべてのことを、いともカンタンに、いい、わるい、と決めつけているけれども、結局それは、わたしのメガネでながめているだけのこと。なのに、口にするときには、いつも、このわたし、ということばを抜いてしまっているんじゃないですか。
 
だれかさんをつかまえて「あの人はいい人」「この人はわるい人」、いっていませんか?ありのままに見れば、世の中に、いい人、わるい人なんていませんよ。「あの人はあの人」であり、「この人はこの人」であって、あの人はあの人なりに一生懸命生きている。この人もこの人なりに一生懸命生きている。それをわたしたちは、自分勝手に、いい人、わるい人と決めつけている。あなたがわるい人と思っている人のことを考えて下さい。ひょっとしたら、その人は、あなたにとって都合の悪い人というだけのことかもしれない。
 
よしあしの文字をもしらぬひとはみな
まことのこころなりけるを
善悪の字しりがほは
おほそらごとのかたちなり
 
こんなうたがある。少し反省してみなくてはなりませんね。(いいのわるいのと、もの知り顔に決めつけていたこのわたしは、いったい、何サマなんだろう。わたしって、ものの善悪を簡単に判断できるほど、上等な生きものだったのかしら…)一度、わたしたち、外ばかり向いていた目の玉をひっくり返して、内なる自分のハラの底をみつめ直してみたらいいのかもしれません。かくいうわたしはどうなのか、いいのか、わるいのか…本当のわたしとは、いった何なのか、と。
「お茶の間説法/雪山隆弘(昭和54年百華苑発行)」より 

雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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お目覚め説法

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


ちょっとうかがいますが、あなたは今朝、何時にお目覚めでしたか?それからいままでどんなことをさないました?朝起きて、顔を洗って、部屋のそうじをして、ご主人を起こして、朝食をつくって、それでいま、ご主人は出ていってホッとひと息…ですか。
 
では、もう一度うかがいます。そのお目覚めのとき、あなたはどんなことを思いました?オヤ、笑っていらっしゃる。その顔は何も考えたりしなかったのかな。それとも、べつに口に出していうほどのことではないのかな。まあいいでしょう。
 
わたしはね、よく思うんですよ。朝、目が覚めたとき(ああ、今日も生きている)。それでお念仏を称えたりするわけです。いやだなあまた笑ったりして。思わないかなあ、今日も生きているって。(このお坊さん、ちょっとキザですがどころじゃないわね。今日も生きているなんて当たり前のことじゃないの)
 
あなたの目を見ていると、こんな感じだな。いや、わかるんですよ。この前もある婦人会でこういったら、同じようにフフと笑ってそんな目つきをしてたもの。
 
しかし、もう一度聞きますが、今日も生きている ということは、当たり前のことですか?仏法では「老少不定」といい「われや先、人や先、今日とも知らず明日とも知らず」ともいう。お通夜の晩などにこんなことばを聞いたことがあるでしょう。人間は生まれて、年とって、病気して、死んでいく。それも吸う息ははくを待たずして…といいますから、いつのことだかまったくわからない。まさに今日とも知れず、明日とも知れないわけです。
 
世の中をありのままに見れば、人間は生まれたら最後、みな死ぬわけで、いくら千年も万年も、とガンバってみたところで仕方がない。人間の死亡率は何%かご存知でしょう。ガンの死亡率は〇〇%、結核の死亡率は〇〇%といろいろありますが人間の死亡率はと聞かれたら、ゾッとするけど100%としかいいようがない。これこそが当たり前のことであって、今日も生きているということは、それから考えると、めったにない、有り難いことなんですよね。
 
わたしの知り合いの奥さんで、九州に住んでいらしたんだが、こどもが三人、小学校へ上がったばかりのときに、ご主人がガンの宣告を受けられた。もちろん本人は知らない。しかし、奥さんはたいへんです。こどもたちを前に「お父さんは重い病気にかかられた。あなた方、しっかりしてちょうだいね」といって聞かす。そして自分は、毎晩眠れません。そして、フト隣に寝ている主人を見る。静かに寝息をたてている。(ああ よかった。お父さん生きている)。朝起きてもそうです。横をみると主人が大きなあくびをしている。(よかった、今日…)あくび一つでも命の尊さにつながるんです。
 
こうして、この家族は来る日も来る日も、生命の緊迫感につつまれて暮らしました。あるときは入院、そしてまた退院…こんな生活が何年つづいたと思いますか。なんと、十五年間もつづいた。強いお父さんだったのでしょう。そして、なくなられてこどもたちはどうなったか。男の子二人は東大、女の子は奈良女子大にストレートではいった。何も一流大学にはいったから素晴らしいというのではありません。命の尊さを知って、毎日を真剣に生きた結果がそうなったので、大事なのはそこだと思うのです。
 
どうやらわたしたちの多くは、恵まれすぎていたらしい。おやじが生きているのは当たり前。おふくろは毎日生きていることの有難さなんていいもしない。これではこどもも命の尊さなどわかるわけがない。大切なものは何かということも気付かずに、なんとなくモコモコと大きくなってしまった。でももう気が付いた。テレビのドラマに「あしたこそ」というのがあったが、あしたこそではなくて、今日こそのいのちを大切に、ということにです。
 
目が覚める。あたりが見える。庭の緑が美しい。小鳥のさえずりも聞こえてくる。そして手足も動くではないか。こんな有難いことはないですよ。よろこびの原点はここにある。はきすてたくなるような人生だって、このよろこびには勝てはしない。さあ、思い切りノビをして、今日一日を精一杯、いきいきと生き切ってみようじゃないですか。
「お茶の間説法/雪山隆弘(昭和54年百華苑発行)」より 

雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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