お茶の間説法」カテゴリーアーカイブ

六道はいずこに

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昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


仏教の世界観に、六道輪廻(ろくどうりんね)というのがあります。わたしたちは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上という六つの迷いの世界をぐるぐるとまわっているものだという考え方です。こんなことをいうと、最近の若い人たちは「科学的な証明もないのに、そんなものあるなんて信じられない」といいます。なるほど、死んだあとの世界なんて、わたしたちに想像もつかないことでありますし、あっちから帰って来た人の話も聞いたことがないので、わからないのは確かです。しかし、この六道という世界は、遠くの方で回っているのではなくて、じつはいま、このわたしの心の中ででも、ぐるぐると回りつづけているのだとしたらどうでしょう。

六道の辻はいずれぞ それそこに
明け暮れ 胸におこる煩悩

こんなうたがありまして、じつは、六道というのは、あっちの方にコロンとあるのではなくて、わたしたちの現実の心の中にもあるじゃないかというのです。まさかと思われる方は、次を聞いていただきたい。

まず、地獄ですが、よく新聞の見出しに、さながら地獄絵図、などというのが出てくる。大事故の惨状をあらわすときに使うわけですが、あればかりが地獄じゃない。交通地獄、受験地獄などというのもある。しかし、これもなんだか、このわたしというものを抜きにして客観的にながめているような感じです。六道の辻はいずれぞ、それそこに、ですから、わたしの心の中にあるんです。では、どんな心を地獄というのか、といいますと、人を責める、人を裁く心、これが地獄だというんです。

この夏、わたしも37歳にして、自動車の免許をとるために、教習所に通ったんですが、地獄だね、あれは。教習が終わった若い女の子の話を聞いていると、すごいですよ。
「あーあ、また、あの先生にしかれた。ひどいのよ。足で蹴るんだから。もうイヤ、あんな先生、死ねばいい」
責めるだけじゃない。心の中で先生を殺してしまうんですからね。いや、人だけじゃない。コースの中で信号を無視して注意されると「もォ、あんな信号なきゃいいのにィ」とこうですからね。ちょっとはオノレのことも考えろといいたいね。ま、教習所ばかりが地獄じゃない。わたしたちは毎日毎日、目が覚めてから寝るまでに、自分の都合で、何十人という人を責め、裁いているんじゃないでしょうか。

次に、餓鬼道。これはもうよくご存じ。このガキ、なんてよくいいますが、要するに、もうちょっと、もうちょっとという心、あれですよ。人間の欲望はとどまるところを知らず、あれも欲しい。これも欲しい、もうちょっと、もうちょっと、とむさぼりつづける。そのままが餓鬼道だというんです。

三番目の畜生道。コンチクショーとわたしたちは、よく人にいうけれど、じつはそのことばは自分に返ってくる。ご恩知らずは犬畜生です。おかげさまということを知らないものは、人間のかっこうはしているけど、本当の人間じゃないという。考えさせられますね。

そして四番目は修羅道です。修羅場、修羅の巷とかいうように、ケンカの世界でしょう。ここ2,3日をふりかえって、あなたはケンカはしませんでしたか?してません、と答えた方は、修羅道だけは素通り…かと思えばそうじゃない。<あの人には負けられない>という心のままが修羅道に落ち込んでいる姿なんですから。

地獄-餓鬼-畜生-修羅-と、六道の中の四つの世界までを、わたしの心の中でながめてみたわけですが、どうでしょう。わたしたちの毎日の生活というものは、これの連続ではないでしょうか。いどばた会議の話題にしたって、ひょっとしたら、この四つの世界のつつき合いかもしれませんね。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

<-目次-「お茶の間説法」>
お目覚め説法
いい天気ってどんな空?
カガミよかがみよ鏡サン
心のファウンデーション
決めた!はヤメタのはじまり
だいどこ説法
スプーンはおいしさを知らない
ひとりいきいき
いただきます、してますか?
おかげさま?おカネさま?
るす番説法
あなたのダンナは本当の旦那か?
ベルの音いろいろ
長屋とマンション
ひとりよりもふたり
いどばた説法
浜美枝さん
六道はいずこに
この世はあなたのままになるか
天上界は二分半
ようこそ、ようこそ
居直るか、痛みを感じるか
千々に乱れてグチばかり
生きがいと死にがい
名CMその後
ストーブで心は暖まらない
ハウツー説法
お布施は出演料じゃない
焼香は何のために
仏だんの意義
ありがとう、さようなら
お茶の間説法
焼きイモの味
女のよりどころ
男は富貴
煩悩はいくつある
チャンネル説法

浜美枝さん

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昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


日本国語大辞典によりますと「井戸端会議」とは、(元来、共同井戸の回りで)水くみ、洗たくなどをしながら、女たちが人のうわさや世間話に花を咲かせることをからかい半分にいった語で、現在は、主婦たちが、家事のあいまに集まってするおしゃべりをもいう―—とあります。からかい半分というところがちょっと気になるわけですが、要するに、奥様方がベチャクチャやるのを総称して、いどばた会議というらしい。で、その話し合いの場なんですが、昔は共同の井戸があって、それを囲んでということだったが、近ごろはずいぶん変わってきまして、団地ならば”公園会議”一戸建ちなら”門前会議”アパートなら”階段会議”買い物途中の”道端会議”…とまあ、いろいろ見受けられるわけですが、最近では、家事のあいまもずいぶんあるとみえて、わざわざテレビ局まで出かけて”スタジオ会議”というのが流行しているようであります。

ところで、その”スタジオ会議”でのことなんですが、以前、小川宏ショーのアシスタントをしていた女優の浜美枝さんに、こんな相談を受けたことがあります。ちょうど、世間で子殺しが連続して起きたころのこと。ニュースショーで、この話題をとりあげることになったそうです。そこで、スタッフが集まって、打合せをした。浜さんは主婦の立場から発言してほしいということになった。そのとき、彼女は考えた。いったいこの問題について、主婦であり、母親である私が、どのようにいえばよいのか、と。ずいぶん深く考え込んでしまったんでしょうね。あまりだまっているので、スタッフの一人がいったそうです。
「ですから、浜さん、あなたは母親なんだから、自分のこどもがかわいい顔をして眠っている姿を見たりすると、とてもじゃないが、その子を殺そうなんて思いもおよばない。子殺しの犯人は鬼のような人だ、とかなんとか…」
このことばに、また彼女は考え込んでしまったというんです。<本当に犯人は鬼のような人なんだろうか。そしてまた、わたしは、慈母観音のように、やさしくあたたかい母親なんだろうか…>とうとう本番になっても、ことばが出なかったそうです。そして、それからしばらく、このことが頭にこびりついて離れない。
「ええ、どうなんでしょう」と浜さんがいう。
「そりゃあね、私にもこどもは3人いて、みんなそれなりにかわいいわよ。寝姿を見えれば、抱きしめたくもなりますよ。この子たちのために、がんばろうとも思いますよ。でもね。たとえば、わたしが夜遅くまで仕事をして、明くる日また、朝早くから出かけなくてはならない。寝不足でとっても眠いときに、夜中にこどもがギャーッと泣く。そんなとき、ああよしよしなんて思えないわ。正直いって、コンチクショーですよ。わたしにとって都合のよいときや、こどものきげんがとてもいいときはいいけれども、もしも両方が悪いときだったら、ひょっとしたらわたしも、あの子殺しの犯人たちと、同じような気持ちになるのかもしれない。そう思うと、人間って、とてもこわい生き物のように思えてきて、ゾッとするの。こんなこと考えるなんて、わたし間違っているかしら」

考えさせられますね。もちろん、犯人の行為は悪い。しかし、もし、わたしたちが犯人と同じ立場になったらどうなのか、そういう縁にふれたらどうなのか、それでも鬼のようなことはできない、といい切れるのかどうか。たまたま、わたしたちにはチエがある。都合のよい性教育も受けている。だから、犯人のような結果としてあらわれない前に、多くのこどもたちを葬ってしまっている。そんなわたしたちに、鬼のような犯人と決めつけることができるのか、どうか。きょうのいどばた会議で、この問題を、ひとつ話し合ってみてはいかがでしょう。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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お目覚め説法
いい天気ってどんな空?
カガミよかがみよ鏡サン
心のファウンデーション
決めた!はヤメタのはじまり
だいどこ説法
スプーンはおいしさを知らない
ひとりいきいき
いただきます、してますか?
おかげさま?おカネさま?
るす番説法
あなたのダンナは本当の旦那か?
ベルの音いろいろ
長屋とマンション
ひとりよりもふたり
いどばた説法
浜美枝さん
六道はいずこに
この世はあなたのままになるか
天上界は二分半
ようこそ、ようこそ
居直るか、痛みを感じるか
千々に乱れてグチばかり
生きがいと死にがい
名CMその後
ストーブで心は暖まらない
ハウツー説法
お布施は出演料じゃない
焼香は何のために
仏だんの意義
ありがとう、さようなら
お茶の間説法
焼きイモの味
女のよりどころ
男は富貴
煩悩はいくつある
チャンネル説法

いどばた説法

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昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


悲しいことは奥歯をかみしめてガマンすることが出来ますが、うれしいことというのはなかなかガマンしにくいものです。ところが、世の中はサカサマで、悲しいこと、人の不幸は聞きたがるが、しあわせな話なんて、まるで聞いてくれません。

わたしの日曜学校で、この夏、こんなことがありました。5,60人のこどもが集まって、楽しく遊んでいたんです。ところが、その中にたった一人、しょんぼりした子がいる。みんなその子をチラッと見るのだが、すぐにソッポを向いてしまう。ヘンだなあと思いながら、じっと観察していました。すると、その子は、わたしの視線に気がついた。とたんにスッと身をすり寄せてきた。どうしたの?と聞いてみた。間髪を入れず、
「センセイ、バーベキューって知ってる?」
ときた。何のことだかわからないけど、とにかく返事をしました。
「うん、知ってるよ」
すると、その子はニコーっと笑って、
「あれ、おいしいだろう」という。
「うん、そうだね、ジュージュー焼いて食べたらおいしいだろうね」と答えた。そしたら、その子は、さっきの3倍ぐらいニコニコーッと笑って
「ぼくねえ、きのう、うちで、みんなで、バーベキューを食べたんだ!おいしかったよォ」と叫んだ。
「よかったなあ」といったら、もうその子は、わたしからその日1日、離れなかった。

サテ、質問。この子は、なぜさっきまで1人ぼっちだったのでしょう。じつは、わたしもはじめはわからなかった。ところが、ふと思い出したんです。日曜学校がはじまる前、寺の境内で、その子がいろんな友達に話しかけている姿をです。あっそうか。この子は、きのうバーベキューを食べたうれしさを、みんなにいいたかったんだ。それで、早くから来て、それを実行したんだ。ところが、どうだろう。こどもはみんな正直で、うらやましい話を聞かされたとたんに、
「フン、あんなもの、ぼくだって食べたけど、おいしくないよ」と、ソッポを向いてしまった。仲間はずれの原因は、きのう食べたバーベキューだったんです。うれしいことって、なかなか人は聞いてくれないものなんですよね。そして、もっとショックなことは、自分だけのよろこびだったものを、人に話したとたんに、そのよろこびが、悲しみに変わってしまうということです。

それでも、こどもはまだいい。あしたになったら、どちらも忘れてしまいますから。ところが、大人はそうはいかない。顔に出さないから始末におえない。
「ねえ、奥さま、わたしんち、こんど娘にねだられてね、とうとうピアノを買わされちゃったの。それもね。安いチャチなのはだめだ。一生使うものなんだから、とびきりいいのっていうんでしょう。困っちゃったわ。ほんとに…」
「あーら、いいじゃないの。娘さんのためなんだから…」
とかなんとかいってるけど、相づちを打った方は、ハラの中でコンチクショーと思ってる。”なによ。わざわざ安物のピアノも買えないわたしに、そんなこといわなくたっていいでしょ。この人、ちょっと神経がおかしいんじゃないかしら。覚えてらっしゃい”ということになる。そして、しばらくすると、ピアノ殺人…とまではいかないまでも、くだんの奥さん、一発バシンとくらうことになるわけです。

わたしのよろこびは、わたしだけのよろこびであって、他人のよろこびにはならないことを、よくよく心得た上で、いどばた会議に出席しないと、そのよろこびは、必ず悲しみに変わってしまいます。お気をつけあそばせ。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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お目覚め説法
いい天気ってどんな空?
カガミよかがみよ鏡サン
心のファウンデーション
決めた!はヤメタのはじまり
だいどこ説法
スプーンはおいしさを知らない
ひとりいきいき
いただきます、してますか?
おかげさま?おカネさま?
るす番説法
あなたのダンナは本当の旦那か?
ベルの音いろいろ
長屋とマンション
ひとりよりもふたり
いどばた説法
浜美枝さん
六道はいずこに
この世はあなたのままになるか
天上界は二分半
ようこそ、ようこそ
居直るか、痛みを感じるか
千々に乱れてグチばかり
生きがいと死にがい
名CMその後
ストーブで心は暖まらない
ハウツー説法
お布施は出演料じゃない
焼香は何のために
仏だんの意義
ありがとう、さようなら
お茶の間説法
焼きイモの味
女のよりどころ
男は富貴
煩悩はいくつある
チャンネル説法

ひとりよりもふたり

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昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


ひとりより、ふたり
これをこれを わすれたもうな

――サトウハチローさんのことばに、こんなのがありました。いいことばですね。とてもあたたかい。心の通い合った家族、そしてお友達、1人より2人、2人より3人、たくさんいれば、それだけよろこびがふくらみます。

ところで、これと対照的なことばに、こんなのがあります。

独生 独死 独去 独来

お経の文句ですが、世の中をありのままにみると、人間は、ひとり生まれ、ひとり死に、ひとり来たりて、ひとり去ってゆく、ということであります。ひとりぼっちで、おるす番のあなたには、さびしすぎる話かもしれませんが、大切なことなので、もう少し続けることにいたします。要するに、わたしたちは、生まれてから死ぬまで、たったひとりなのですが、そのたったひとりのわたしが、生きている証しを求めて、だれかと、何かと関わり合ってゆく――

これが存在すれば あれも存在する
これが生ずれば あれも生ずる
これが存在しなければ あれも存在しない
これが滅すれば あれも滅する

このように、お互いに関わり合い、存在しあって存在しているという関係が、仏教の根本思想である「縁起」というものの考え方なのです。縁起というのは祝ったり、かついだりするものではありません。すべては縁によって起こるということなのです。で、こういう考え方の上にたってみると、奥さんがいま、奥さんと呼ばれるようになったのも、あなたが1人で奥さんになったのではない。それこそ、縁談というものがあって、ご主人ができたから、奥さんと呼ばれるようになった。ということは、夫がいて、はじめて妻という名がついたのだから、夫婦は同い年ということですよね。結婚式の日が、つまりは夫婦の誕生日なんだ。

さらにいえば、あなたが、お母さんと呼ばれるようになったのは、お子さんが生まれたおかげでしょう。こどものないお母さんというのは、ありえないんですから。すると、親と子というものも同い年ですね。わたしたちは、こうしてまたとない縁によって、ふれ合いの輪を広げ、そしてみんな同い年の仲間になってゆく…とてもすばらしいことだと思うんです。ひとりよりもふたり、本当にこれは忘れたくないですね。生きている証しなのだから。

しかし、しかしです。経典にはまた、こんなことが書いてある。

「愛別離苦(あいべつりく)」

世の中は、自分の思うままにならないもので、縁によって結ばれた愛しい人たちとは、いつまでも一緒にいたい、同い年のままでいたいと思ってみても、必ず別れなくてはならない、それが世の中だというのです。とてもつらい、さびしいことだけれど、これも事実です。ひとりよりもふたり、といっていても、そのぬくもりはすぐにさめてしまい、結局、またわたしたちは、ひとりぼっちになってしまう。

そこで、わたしたちは、はじめて気付くんですね。ひとりよりふたりではなく、ひとりでもふたりと思える何かがないものか、と。じつはこれが宗教の出発点というものでありましょう。たったひとりで生まれて生きて、老いて、病気して、死んでゆくわたしたちが永遠に変わらない心の支え、ひとりでもふたりだと思える心のよりどころを求める――それが宗教というものを主観的にとらえた、本来の姿だとわたしは思うんです。

さて、そろそろ時間です。ご縁があったらまた来週――。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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お目覚め説法
いい天気ってどんな空?
カガミよかがみよ鏡サン
心のファウンデーション
決めた!はヤメタのはじまり
だいどこ説法
スプーンはおいしさを知らない
ひとりいきいき
いただきます、してますか?
おかげさま?おカネさま?
るす番説法
あなたのダンナは本当の旦那か?
ベルの音いろいろ
長屋とマンション
ひとりよりもふたり
いどばた説法
浜美枝さん
六道はいずこに
この世はあなたのままになるか
天上界は二分半
ようこそ、ようこそ
居直るか、痛みを感じるか
千々に乱れてグチばかり
生きがいと死にがい
名CMその後
ストーブで心は暖まらない
ハウツー説法
お布施は出演料じゃない
焼香は何のために
仏だんの意義
ありがとう、さようなら
お茶の間説法
焼きイモの味
女のよりどころ
男は富貴
煩悩はいくつある
チャンネル説法

長屋とマンション

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昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


東京で新聞の仕事をしているときのことでした。ブン屋長屋とでもいうんでしょうか。横浜の日吉にモルタル塗りの二階建て、一棟八戸というアパートに住んでいたんです。

朝起きて「さあ、そろそろ出かけるか」と茶の間でいうと、両隣の健サンと六サンが「よおし」「あいよ」と返事をする。とにかく、カベ一枚ですからね。お隣さんというよりも同居人という感じ。寺で生まれたわたしも女房も、このアパートには感動いたしまして、なるほどコミュニケーションとは、かくあらねばならないと思ったものです。

るす番していても心強いんですよね。押し売りが来たって、横の連絡が早いから、女房も安心です。ところが、そのブン屋長屋の健サンが、新婚早々でありまして、やっぱり、この…カベの厚いマンションに移るということになった。長屋中があつまって、健サンをマンションに送る会をやりまして、とにかく彼は引っ越していった。しばらくたって、会社で会うと、彼、浮かぬ顔をしている。
「どうしたの?」
「どうもこうもないよ。いやだねえ」
とこうです。さらに聞いてみると、彼いわく。
「いやね。マンションに引っ越したからというんで、ウチの女房、やっぱりお隣さんにもごあいさつをしなくてはと、引っ越しソバがわりに何か手みやげをもって行ったんだよ。そしたら、中の一軒で、こんなことがあったんだ」
どんなことかといいますと、彼の奥さん、手みやげ持って、あるお宅へ行ったわけです。
――ポンピーン
「どなた?」
「あのォ、わたし同じマンションに引っ越してきたものなんですけど…」
と、手みやけを差し出そうとしたらその奥さん。
「あら、そんなの関係ありませんわよ。お宅はお宅、うちはうちですから、なにもあいさつなんて」ときた。「そんなことおっしゃらずに、そでふれ合うも他生の縁とかで…」といっても「いいえ、関係ありません」とシャットアウト。健サンの奥さん、これにはガックリときた。関西の旧家に育った奥さんは、「東京って、こんなに冷たいところだったのかしら」と頭をかかえ込んでしまった、というのです。

長屋とマンションの違い――あなたはどう思われますか?わたしは、この話を聞いたとき<ナルホド、漢字と横文字の違いだな>と思ったんです。漢字とは、つまり東洋的なものの考え方で、仏教をベースにしています。健サンの奥さんがおっしゃるように”他生の縁”という受け取り方です。仏教の根本は”縁起”の世界です。縁起とは、よって起こる。世の中は、相より相まって共に生じている。おたがいが助け合って、おかげさまで生かされている、という考え方です。

ところが、マンションの奥さんは横文字文化できた。つまり、キリスト教をベースに培われてきた西欧の合理的なものの考え方です。これはひとことでいうと”創造”の世界であり、すべて、神が造りたもうたという世界です。”他生の縁”ではなくて、このわたしが中心になる。だから、アチラの人へ手紙を書くときの書式を思い出してみると、まず名前、そして名字、それから番地、所、町名、市名、県名、国名となっているでしょう。日本はこの反対で国―県―市―町―番地―名字―名前―とこうなる。まったくサカサマなんですよね。

近ごろは、長屋も横文字になりつつあるわけですが、サテ、どうなんでしょう。わたしたちはものの考え方や心の中まで、そう簡単に横文字文化になり切れるものなんでしょうか?


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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お目覚め説法
いい天気ってどんな空?
カガミよかがみよ鏡サン
心のファウンデーション
決めた!はヤメタのはじまり
だいどこ説法
スプーンはおいしさを知らない
ひとりいきいき
いただきます、してますか?
おかげさま?おカネさま?
るす番説法
あなたのダンナは本当の旦那か?
ベルの音いろいろ
長屋とマンション
ひとりよりもふたり
いどばた説法
浜美枝さん
六道はいずこに
この世はあなたのままになるか
天上界は二分半
ようこそ、ようこそ
居直るか、痛みを感じるか
千々に乱れてグチばかり
生きがいと死にがい
名CMその後
ストーブで心は暖まらない
ハウツー説法
お布施は出演料じゃない
焼香は何のために
仏だんの意義
ありがとう、さようなら
お茶の間説法
焼きイモの味
女のよりどころ
男は富貴
煩悩はいくつある
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ベルの音いろいろ

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昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


一水四見―—ということばがあります。同じ水でも、魚が見れば住み家だし、餓鬼が見れば膿血に見え、人間なら水、天人なら宝石の池に見える――つまり、同じ対象であっても、見る者の心が異なると、おのおの異なった見解をいだくということであります。

さて、これを身近な問題に置きかえてみましょう。例えば、いま、玄関のチャイムが”ポンピーン”と鳴ったとします。るす番をしていると、一日に二度や三度はだれかがやってくるでしょうから、ポンピーンとくれば、
<あら、だれかしら。この時間だと、クリーニング屋さんかな。それとも、ガスの集金かしら。ひょっとしたら、また例のセールスマンかもしれないわ>
とまあ、そんなことを、応対に出るまでのわずかな間に考えられることでしょう。

ところが、もし、あなたが商店の方ならどうでしょう。ポンピーン――あら、お客様だ――と即、もうけにつなげて考える。また、あなたが、古いお友達と久しぶりに会う約束をしていたとしたら、ベルの音は、一瞬にしてなつかしさと、よろこびにかわることでしょう。同じ一つの玄関のベルでも、その聞こえ方、感じ方は、こちらの心の持ちようでさまざまなわけです。

ところで、そのベルの音一つで、地獄の苦しみを受けている人も、世の中にはある、というお話を――
これを聞いたのは、大阪の郊外のある老サラリーマンの家庭の奥さんからでした。
「いえね、このあたりは土地ブームで、みんなえらい金持ちになられたでしょ。うちのお隣さんも、その隣も、みんな億万長者なんですよ。それにひきかえ、うちは昔ながらのサラリーマンで、土地もなければ蓄えもない。まわりはみんなりっぱな家に建てかえられて、いままでなら、こんにちわといって、すぐに玄関に入れたのに、いまでは全部大きな門をつくって、ベルを押したら、インターホンで”どなた?”といわれます。わたしもあんな生活、いっぺんしてみたいなあと思っていたんです。そしたらねえ。こないだ、お隣の奥さんがこられましてね。”あんたとこはいいわねえ”とおっしゃる。わたしはまた、皮肉かしらと思ったんです。ところが、違うんですよ。お金持ちにはお金持ちの悩みがあるものなんですねえ」

この奥さんの話では、お隣さん、億万長者になったのはよかったが、とたんに、朝から晩まで、ポンピーン、ポンピーンの連続で、なんとか会とかの連中で、お金目当ての勧誘と寄付の話ばかり。とうとう奥さんノイローゼになって、ポンピーンと鳴ったとたんに、ドキリ。ああ、また寄付かと身の細る思いで、夜も眠れない毎日なんだそうです。
「そこへ行くと、奥さん、あなたのところはいいわねえ、とお隣さんにいわれましてね。わたし、よろこんでいいのやら、悲しんでいいのやら、おかしな気分になりました。人間の暮らしって、何がしあわせなのか、わからないものですねえ」

それにしても、ベルの音一つでドキリとする長者の悩み…一度でいいから味わってみたい、なんてあなたも思われたんじゃないですか。お恥ずかしや、わたしもそうなんだが、お経には、こんなことが書いてあるんです。
<田があれば田に悩み、家があれば家に悩み、また、田が無ければ田を欲しいと悩み、家が無ければ家を欲しいと悩む。一つが得られると他の一つが欠け、これがあれば、かれが無いというありさまで、いたずらに思い悩んで、身心ともに疲れはて、立ち居ふるまいは安らかでなく、いつも憂いに沈んでいる>

これが、あさましい人間の姿だというわけですが、こういい当てられると、ホッとため息をつかざるをえませんねえ。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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ひとりいきいき
いただきます、してますか?
おかげさま?おカネさま?
るす番説法
あなたのダンナは本当の旦那か?
ベルの音いろいろ
長屋とマンション
ひとりよりもふたり
いどばた説法
浜美枝さん
六道はいずこに
この世はあなたのままになるか
天上界は二分半
ようこそ、ようこそ
居直るか、痛みを感じるか
千々に乱れてグチばかり
生きがいと死にがい
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ストーブで心は暖まらない
ハウツー説法
お布施は出演料じゃない
焼香は何のために
仏だんの意義
ありがとう、さようなら
お茶の間説法
焼きイモの味
女のよりどころ
男は富貴
煩悩はいくつある
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あなたのダンナは本当の旦那か?

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昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


ついさっき、会社へ出て行くご主人を、イッテラシャーイ、とにこやかに見送った奥さまに、ちょっと質問。あなたのダンナ様は本当のダンナ様でありましようか?

ということ??と首をかしげていらっしゃるあなたに、もうすこしくわしくおうかがいします。そりゃあ、もちろん、さっき見送った男性は、ウチの人であり、夫であり、亭主であり、宿六であり、ハズであり、カレではある。これは間違いない。ご主人に対する呼び方はいろいろあるわけですから、しっくりとくる名で呼べばいい。しかし、その中で、もし”ダンナ様”ということばを使うとしたら、これはチト問題がある。というのは、この”ダンナ”ということばは、仏教からきたことばなんです。で、仏教本来のダンナという意味は、いったい何か、ということを、これからお話しますから、それを聞いたうえで、もう一度<わたしのダンナは本当のダンナか>と、自分に問いただしてもらいたい。

ダンナということばは、インドのことばでありまして、あちらでは”ダーナ”という。そのダーナが、中国に渡って音訳されて”旦那”となった。それを日本では”旦那様”というふうに使っているわけです。さて、その元のことば、ダーナですが、これを意訳しますと”布施”ということばになります。”布施”―—ご存知でしょう。お布施などといって、坊さんが来たら包むもの、そう思っていらっしゃる方、多いんじゃないかしら、ところが、あれは、坊さんがお経を読んだときの出演料ではないんですよ。じつはこれ、仏道を歩むものにとっての大事な行の一つなんです。どんな行かというと、施すという行、こだわりを捨てて、すべてを与えてゆくという行なんです。そして、この行は、彼岸(さとりの世界)へ至るための第一歩とされているのです。

わたしたちには、あらゆる執着がある。こだわりがある。それをすべて捨て去ってゆくとき、真実なるものが見えてくる、とでもいいましょうか、とにかく、インドの修行僧はこの布施行をやったわけです。

こんな話があります。布施の行をしていたある仏弟子が、街頭で乞食と出会う。乞食は「そなたの目は本当に美しい。その目を一つわたしにくれぬか」という。仏弟子は、こだわりを捨て、自分の目を乞食に与える。受け取った乞食は舌打ちした。「なんだ、そなたの顔についているときは美しかったが、いまは血みどろの汚れもの」そういいって足でそれを踏みにじる。仏弟子はそのとき、心の中で<しまった。こんな男に、やらなければよかった>と思った。—もうこれで布施の行はダメなわけです。仏弟子の心には、美しい目を与えれば、相手がどれほどよろこんでくれるだろうか、という代償を求める心があったのですから。

ある高僧のことばに「よいことをしたときは、なるべく早く忘れなさい。それも布施の行ですよ」「問われたことには、正直に答えなさい。それも布施の行ですよ」というのがあります。わたしたちは、とてもじゃないが、そうはいかない。よいことをしたら一生忘れない。それを自慢のタネにする。問われたことには本心を出して答えることがない。こよみの上ではきょうは彼岸の入りだけれど、本当の彼岸は遠い遠いあちら側、という感じです。

さて、ダンナ様―—本来の意味からすると、代償を求めずに、こだわりを捨てて何でも施してくれる人、ということになります。そこで、はじめの質問にもどって、うちのダンナ様は、本当のダンナ様かしら?
「オレがこれだけ働いてきてやっているんだから、せめて、これぐらいのことしたっていいだろう」
「あら、なによ。うちでひとりで、るす番しているわたしの身にもなってちょうだいよ」
われわれは、こうして常に代償を求めて、こだわりの世界の中で生きている。本当のダンナ様なんて、いないみたいですね。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

<-目次-「お茶の間説法」>
お目覚め説法
いい天気ってどんな空?
カガミよかがみよ鏡サン
心のファウンデーション
決めた!はヤメタのはじまり
だいどこ説法
スプーンはおいしさを知らない
ひとりいきいき
いただきます、してますか?
おかげさま?おカネさま?
るす番説法
あなたのダンナは本当の旦那か?
ベルの音いろいろ
長屋とマンション
ひとりよりもふたり
いどばた説法
浜美枝さん
六道はいずこに
この世はあなたのままになるか
天上界は二分半
ようこそ、ようこそ
居直るか、痛みを感じるか
千々に乱れてグチばかり
生きがいと死にがい
名CMその後
ストーブで心は暖まらない
ハウツー説法
お布施は出演料じゃない
焼香は何のために
仏だんの意義
ありがとう、さようなら
お茶の間説法
焼きイモの味
女のよりどころ
男は富貴
煩悩はいくつある
チャンネル説法

るす番説法

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昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


ご主人は会社へ、お子さんは学校へー
いつものことだけれど、たいへんでしたね、けさも。でも、これからは、あなたの時間。だれにもじゃまをされない、ひとりっきりの留守番タイムのはじまりです。寝なおしますか?きのうのつづきのテレビを見ますか?さっそくラジオの伴奏で掃除洗たくですか?

オヤッ 素晴らしい。あなたは新聞を読んでいらっしゃる。そしていま、わたしとあなたはピッタリと視線が合ってしまった。これはたいへん。ムダ口たたいていないで、さっそく”るす番説法”をはじめることにいたしましょう。

時まさに敬老月間、ということで、けさはあなたにとっても身近な問題、お年寄りについて、わたしの感じていることを少しばかりー。
まず、この老人ということなんですが、「老」という字を調べてみると、背のまがった人がツエをついている姿、そこからこの字がうまれたんだそうですね。で、その意味はどうかと申しますと、年長者、おとろえた人、古い人、経験ある人、などとなる。

正直なところ、若い連中にとっては、これすべて気にさわることばかりですよね。おとろえた人ーということは、自分の20、30年後の鏡のようなものだから、使用前、使用後みたいな感じで、あーあ、わたしもこんなになってしまうのか、とタメ息の一つもつきたくなる。古い人ーということでいえば、若いものは新しがり屋ですからね、どうもしっくりこない。さらに、経験ある人ーということになれば、これはもうピターッと床に頭をつけて、聞かせていただくしかないのだけれど、素直にそうしているかといえば、なかなかそうはいかない。なにくそ負けるもんか、という心がムラムラとわいてきて、若さと新しさでもって、老いたるもの古いものを押さえつけてしまおうとする。

古い人、経験ある人というのは、自分一人で生きてきたのではなく、あらゆる人のおかげによって生かされてきたんだ、ということを知っている。
先日テレビで80歳を超える財界人、原安三郎さんがいっていました。「わたしがこうして長生きできるのも、親のおかげ、先祖のおかげ、みなさんのおかげだ」と。それに尺貫法で頑張った永六輔さんも「明治の人たちには、祈りと感謝の心がある。なのにボクたち、そのへんをチットモうけついでいないということに、トテモうしろめたさを感じる」といっていた。

1坪3.3平方メートルといい、1尺を30.3センチと換算しなければならない不自由さと同じように、ひょっとしたら、わたしたち、古くから語りつがれてきた”おかげさま”という心を”おカネさま”に換算してしまって、それでいま、心のサバクなどという不自由さにぶつかっているのではないでしょうか。これは尺貫法よりさらに根深くお年寄りの心を傷つけているようで、近頃のおばあちゃんやおじいちゃん、まるで元気がない。古くてよいこと、経験によって得たことの一かけらも口にすることができなくて、小さく小さくなっている。

がんばれ!おばあちゃん。老人の老は、背のまがった人がツエをついている姿だといったけれど、そのツエをムチに持ちかえて、若いものをしかっている姿―それが教育の「教」という字なんだ。もっと自信をもって、若いものを教えてほしい。ムチでビシビシしかってほしい。

そして、わたしたち若いものは、お年寄りのチエを、謙虚に聞く耳を持とうじゃないですか。そりゃあ気にさわることもたくさんあるかもしれないけれど、そこは思いやりと察し合い。もしいま聞いておかなかったら、大事なものを永久に失ってしまうことになるかもしれない。——年に一度の老人の日に、形ばかりの花を贈って、おじいさんおばあさんありがとうなんていっている自分を、深く反省しながら、こんなことを思うのです。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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お目覚め説法
いい天気ってどんな空?
カガミよかがみよ鏡サン
心のファウンデーション
決めた!はヤメタのはじまり
だいどこ説法
スプーンはおいしさを知らない
ひとりいきいき
いただきます、してますか?
おかげさま?おカネさま?
るす番説法
あなたのダンナは本当の旦那か?
ベルの音いろいろ
長屋とマンション
ひとりよりもふたり
いどばた説法
浜美枝さん
六道はいずこに
この世はあなたのままになるか
天上界は二分半
ようこそ、ようこそ
居直るか、痛みを感じるか
千々に乱れてグチばかり
生きがいと死にがい
名CMその後
ストーブで心は暖まらない
ハウツー説法
お布施は出演料じゃない
焼香は何のために
仏だんの意義
ありがとう、さようなら
お茶の間説法
焼きイモの味
女のよりどころ
男は富貴
煩悩はいくつある
チャンネル説法

おかげさま?おカネさま?

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昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


うちのおばあちゃんが、小さいころの、わたしによくいったものです。
「ごはんは残さず、こぼさず、きれいに食べなさいよ」
そういわれても、こどものわたしは、よくこぼした。ごはんつぶポロリ、おかずもポロリ…。
「コレッ!拾いなさい!」
しぶしぶわたしが拾うと、
「食べなさい!」
じつにこわかった。そして、そのあとのお説教を、わたしはいまでも覚えています。
「お百姓さんはね。あなたにごはんつぶをゴミにしてもらおうと思って、お米をつくっているのとちがうのよ。一つぶのお米でも、あんたのいのちになってくれ、人のいのちになってくれといって、つくって下さっているんです。それを思ったら、あんた、もったいないじゃないか。ちょっとぐらいよごれても、拾ってちゃんと食べなさい」

前回、ご紹介した、食前のあいさつのなかに「つつしんで、食の来由をたづねて…」というのがありました。食の来由―つまり、目の前にあるごちそうが、どのようにして、わたしの所に届いて来たのか、それを少しは考えてごらんなさい、ということでしょう。一つぶのお米は、いったいどのようにしてできるのか―ちょっと考えてみましょうか。

お米は、農家の人たちがつくるもの。これはだれでも知っています。しかし、よく考えてみると、農家の人が一人でつくるものじゃない。一つぶの種モミ、それを育てる土壌と肥料、肥料はどこで、だれがつくるのか。苗になったら、田植えの機械、草とりの機械、何千何万という人が汗水流してつくった農機具や農薬によって、田んぼの米はスクスクと大きくなってゆく。さらに忘れてはならないのは、大地自然の恵みでしょう。そしていま、収穫の秋—またまた機械の世話になり、農協さんの手間を取り、米屋さんもそれに加わり…と考えてゆくと、たった一つぶのお米にも、幾千万の人たちの汗と苦労がこもっている。それがごはんになるには、さらに、水がいる、電気がいる。ガスもいる。茶わんがいる。はしがいる。さあ、そうなると、もう数えきれないほどの人たちのおかげによって、いま、ようやく、わたしたちの前に、一杯のホカホカのごはんが届いたことになる。
「みほとけと、みなさまのおかげにより、このごちそうを恵まれました。深くご恩をよろこび、ありがたくいただきます」
こういって手を合わせるのが、やはり礼儀でありましょう。

ところが、。さいきんの若い人たちの考え方は、この逆なんです、”おかげさま”より”おカネさま”なんだ。すべてがおカネ中心。だから、
「何いってんですか。このごはんは、わたしがかせいだおカネで、わたしが買ってきて、わたしが買った台所用品で料理して、わたしが食べるんです。ちゃんと電気、ガス、水道料金も払ってあるんだから、残そうと、捨てようと、わたしの勝手でしょッ」
とくる。自分一人で米屋から電気、ガス、水道会社を養っているような気でいるんだから、始末におえない。くたばれ!だね、ホントに。

それでいて、値上げとなると、おそろしい顔をして「わたしたちを飢え死にさせる気かッ」とくる。そんなことをいう前に、自分の台所に残り物はないか、くさらして捨ててしまうものはないか、よーく考えてほしい。タバコを吸うものに大気汚染を論ずる資格がないように、ごはんつぶをこぼしたり、余り物を捨てたりするものに値上げを論ずる資格はないと思うね、わたしは…。

オヤオヤ、ずいぶん熱くなってしまった。ハラを立てたらスマートにならない、なんて自分でいっておきながら、これだから…。気分をしずめて、もう一度「おかげで、ごちそうさまでした。」


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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お目覚め説法
いい天気ってどんな空?
カガミよかがみよ鏡サン
心のファウンデーション
決めた!はヤメタのはじまり
だいどこ説法
スプーンはおいしさを知らない
ひとりいきいき
いただきます、してますか?
おかげさま?おカネさま?
るす番説法
あなたのダンナは本当の旦那か?
ベルの音いろいろ
長屋とマンション
ひとりよりもふたり
いどばた説法
浜美枝さん
六道はいずこに
この世はあなたのままになるか
天上界は二分半
ようこそ、ようこそ
居直るか、痛みを感じるか
千々に乱れてグチばかり
生きがいと死にがい
名CMその後
ストーブで心は暖まらない
ハウツー説法
お布施は出演料じゃない
焼香は何のために
仏だんの意義
ありがとう、さようなら
お茶の間説法
焼きイモの味
女のよりどころ
男は富貴
煩悩はいくつある
チャンネル説法

いただきます、してますか?

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昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


外国人の夫婦が、こども連れで、ホテルのレストランにすわっている。しばらくすると、食事が運ばれてきた。夫婦は、手を合わせて、食前のお祈りをはじめた。ところが、こどもはむずかって、お祈りをしない。こんな場面に出くわした、わたしの友人は、自分の食事も忘れて、成りゆきを見守っていたそうです。
「いやあ、おどろいたよ。その夫婦は、こどもがお祈りをしないとなると、サッと皿をボーイに引かせた。そして、自分たちだけで談笑しながら、うまそうに食事をはじめるんだ。こどもは、泣くさ。でも、平気な顔で”君は食前のお祈りをしないから、食事があたらないんだよ”と、いとも簡単にいってのける。とうとう、夫婦の食事が終わるまで、こどもに食べ物はあたらなかった」

そして、次の朝。また、友人はこの家族とレストランで出くわしました。
「今度もこどもは、お祈りをしないんだ。すると、夫婦はまた、こどもの皿を引き、自分たちはとても楽しそうに食事をはじめた。二度の食事を抜かれたこどもは、とうとうネを上げて、”パパ、お祈りするから食べさせてよ”といっている。すると、夫婦は、ニコーッと笑ってOK!すぐに料理を運ばせて、今度はさっきの三倍ぐらいなごやかに、家族そろって食べだした。感動したね。これがしつけだと思ったね。」

食前の祈り、食前のことば―日本ではいったいどうなっているんでしょう。食堂なんかでみていると、いただきますもいわない連中がほとんど。合掌なんて、とんでもないといった感じです。ちょっと気になって、こどもたちに聞いてみました。小学校三年の娘がいうには、学校では統一されたあいさつはなくて、各学級思い思いにやっているという。「姿勢!礼!」という、まったくなんのことだかわからないのもあれば「キオツケ!合掌!いただきます」というのもある。また、保育所のと同じあいさつで「お父さん、お母さん、お当番さん、ありがとう。先生、いただきます」とやっているクラスもあるという。びっくりしたのは、ごちそうさまの方で、こどもたちが「ごちそうさま」というと、「おそまつさま」とやる先生までいるということでした。

さて、あなたのお宅では、どうでしょう?食事の前後に、どのようなあいさつをなさっているでしょう。「姿勢!礼」ですか。それとも、ただ無言で、ガツガツですか。手を合わせて、「いただきます」ですか。

参考までに、ここに二つの食前食後のことばを紹介しておきましょう。
はじめは、比叡山西塔居士林のあいさつ。
「吾今幸いに仏祖の加護と衆生の恩恵によって、この清き食を受く。つつしんで食の来由をたづねて、味の濃淡を問わず、其の功徳を念じて品の多少をえらばじ。いただきます」
「吾今此の清き食を終わりて、心ゆたかに力身に充つ。願わくば此の身心を捧げて、己が業にいそしみ、ちかって四恩に報い奉つらん。ごちそうさま」

次は西本願寺のあいさつ。
「み仏とみなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。ふかくご恩をよろこび、ありがたく、いただきます」
「尊いおめぐみにより、おいしくいただきました。おかげで、ごちそうさまでした。」

あらゆるものの命を犠牲にして、あらゆるもののおかげによって、わたしたちは毎日の食事をさせていただいているのですが、どうも近頃、その感覚がうすれてしまって、いただきますや、ごちそうさまという感謝の心がなくなってきています。こんなことでは、こどものしつけもおぼつかない。つつしんで食の由来をたづねて、ありがたくいただく心をとりもどそうではないですか。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

<-目次-「お茶の間説法」>
お目覚め説法
いい天気ってどんな空?
カガミよかがみよ鏡サン
心のファウンデーション
決めた!はヤメタのはじまり
だいどこ説法
スプーンはおいしさを知らない
ひとりいきいき
いただきます、してますか?
おかげさま?おカネさま?
るす番説法
あなたのダンナは本当の旦那か?
ベルの音いろいろ
長屋とマンション
ひとりよりもふたり
いどばた説法
浜美枝さん
六道はいずこに
この世はあなたのままになるか
天上界は二分半
ようこそ、ようこそ
居直るか、痛みを感じるか
千々に乱れてグチばかり
生きがいと死にがい
名CMその後
ストーブで心は暖まらない
ハウツー説法
お布施は出演料じゃない
焼香は何のために
仏だんの意義
ありがとう、さようなら
お茶の間説法
焼きイモの味
女のよりどころ
男は富貴
煩悩はいくつある
チャンネル説法