1日1年の悩みに気をとられ・・・

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昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。


「飢渇寒暑(きかつかんしょ)」-これも仏様がおっしゃる病気の一つでして、キカツカンショ、つまり、「ハラヘった、ノドかわいた」とか「寒い暑い」とさわぐのも、ほどほどにしなさいと戒めていらっしゃるわけです。

そういえば、私達の生活を振り返ってみると、毎日毎日これおばっかりじゃありませんか。特に、主婦は朝昼晩、飢と渇の家族をいかにして満足させようか、ということに身をけずっていらっしゃるわけでしょう。いや、亭主だってそうですよ。「なんたって、食わしていかなきゃならないもんな。うちにはクチバシの黄色いのが口あいて五つも待っているんだもんな。あーあ、ラクしたいよ」
そして、そのクチバシの黄色い方も
「あーノド渇いた、なんかない?」
「おなかすいた、ごはんまだ?」
なんていってる。なんだ、家中そろって、朝から晩まで、こればっかりなんだよね。だから仏様も、一日の悩みはこれにつきるとおっしゃるわけだ。

で、その悩みが、もうすこし長いものになるとどうかというと、これが「寒暑」なんです。シーズンにまたがって、寒いの暑いのとやっている。家を建てるなんてのも、結局は、寒さをしのぐとか、雨露をしのぐというところからきているんでしょ。
「ねー、暑いわねー。なんとかならないかしら。今年こそ、寝室にも、クーラー入れたいわねー」
「待ちなさい、子供部屋が先だ」
なんて、シーズンにまたがって悩みのタネとなるのは、この、寒いの暑いのという問題なんじゃないですか。

一日の悩み-飢渇。一年の悩み-寒暑。まあそれも大変だろうけど、一生の問題も、ゆっくり考えておかなくてはいけないよ、と仏様おっしゃてるんですよね。ところが、これが聞こえない。「一生過ぎやすし」なんていっても、「そんな先のこと!」ととり合わないで、ハラへったノドかわいた、寒いの暑いのとやっている。これが自覚なき心の病気の第四「飢渇寒暑」であります。

さて、つづいて第五は、なんと「睡眠」であります。これも病気?いや、正常なる眠り、明日の鋭気を養う眠りは健康的でけっこうなんですが、お経にある睡眠は、なまけ心とくっついていまして、とにかく目をふさぐだけじゃなくて、人はすぐに耳をふさぎ、心までもふさいでしまう、これがいけない、とあるんです。

そういえば、いけないと知りながら、車の運転中に、目をあいたまま、睡眠をたのしんでいらっしゃる方、近頃多いね。この1週間で私は5件の事故現場を目撃しましたが、どうやら居眠り運転だったみたい。気をつけなくっちゃいけません。ていいながら、じつはちっとも気をつけていないのが私達で、条件がそろたら、ついウトウトとやっちゃうわけです。本当にどうしましょう。

いや、車の運転ばかりじゃない。私達はいつも、自分に都合の悪いものには目も耳も心もふさいでしまう悪いクセがあります。学校の先生のおっしゃること、目も耳も心もひらいて聞いていたら、それこそ、もっともっとかしこくなっていたはずなのに…。じゃあ、どうすれば目が覚めて心が開けるか-残念ながら、そうと気付いて本人が努力するしかないそうです。


「お茶の間説法」(37話分)
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