ほっこり法座Q&A


2月1日に行われた「ほっこり法座」のアンケートで質問をいただきました。それに対して、講師の日下賢裕先生より丁寧なお返事を送ってもらいましたので紹介します。




死は苦悩なのか?人のゴール地点では?
夢に向かって努力することは煩悩・苦悩なのか?(60代男性)

死は人生のゴール、という受け取り方ですが、そのような受け取りを元に人生を歩むこともできるでしょう。しかし、それでは私達の人生やいのちというものは、一体何だったのか?ということにもなってしまいます。死がゴールならば、今すぐゴールしてもいいわけですし、苦悩の人生をわざわざ生きていく必要というものがなくなってしまうのではないでしょうか。

前回の「ゼロから味わう仏教」でもお話しましたが、仏教の目的は「私が仏と成ること」です。ですから、仏教におけるゴールとは、私が仏と成る、というところにあります。そのように私のいのちのゴールを置いてみると、この私の人生、私のいのちは、実は仏と成るためにあった、というように意味が変えられていきます。これはどちらが正しい考え方か、ということではなく、どのような意味をもって、このいのちを歩んでいけるか、という違いがそこに表れてくるのだと思います。

また夢に向かって努力することは煩悩なのか、夢を持って生きることは苦悩なのか、というご質問ですが、今回の「ゼロ仏」でもお話したように、煩悩とは私の心のはたらきそのものを表す言葉です。ですから、私たちの言葉や行為も、その煩悩に突き動かされて生じてくるものです。

夢を持つことというのは、私たちの社会の価値観では、尊いこととしてみなされます。夢に向かって努力することは、とても美しいし素晴らしい。それは私たちの価値観からすれば、間違いのないことです。

しかし、仏教の価値観からすると、少しその見方も変わってきます。その実現しようと望んでいることが、一体なんのためのものなのか。私たちの行為が、煩悩によって突き動かされているのであれば、それはどこまでいっても自己中心性という毒を秘めている可能性を完全に拭い去るということはできません。もちろん、夢の種類にもいろいろあって、社会のため、他者のために、という夢もあることでしょう。それが煩悩によって生まれたものなのかどうか、そこまでは私もわかりませんし、仏教が夢を持つこと、努力すること自体を否定するわけでもありません。

しかし、その夢が破れたときには間違いなく苦悩となることでしょうし、夢が実現したとして、それで満足して何も望まなくなるというわけではありません。夢が破れれば怒りの心「瞋恚(しんに)」が、夢が実現してもむさぼりの心「貪欲(とんよく)」が、と結局は煩悩から離れられない状態が続いてしまいます。人間として、夢を持ち、努力をするということは尊いことですが、しかしそれもまた、煩悩に裏打ちされていることに変わりないと見ていくのが、仏教の見方なのかなと思います。




ほっこり法座 シーズン3


ほとけさまのお話とお寺のごはんを味わって、ココロとカラダのデトックス。2019年の「ほっこり法座」は2月1日からスタートします。

今回はとても盛りだくさんの内容です!体験型の写経と和綴じのワークショップ「マイ経本作り」、他分野からの視点で浄土真宗を語ってもらう林口砂里先生、宗門校「行信教校」出身の注目の女性僧侶・葭田先生、広島からは歌う僧侶が法を説く!佐藤知水先生、そしてレギュラー講師の日下先生と西塔先生が講師をつとめます。

お申し込みはこちらからどうぞ。
>> ほっこり法座申込みフォーム




2月1日(金)11:00~14:00
マイ経本作り~写経と和綴じ~
和綴じ講師:豆本堂 堀麻由美先生
参加費:2,000円(材料費込み)
定員:20名
午前中に写経、昼食後に和綴じのワークショップを行います。定員に達し次第締め切ります。
※終了時間と会費が通常と異なりますのでご注意下さい。
【豆本堂】
富山市岩瀬に工房を構え、2010年より製本・豆本教室を県内3ヶ所にて定期教室を開催。今回は和綴じ本のワークショップを行い、表紙には友禅和紙、カラフルな糸でお好きな組み合わせで作ることができます。
公式サイト https://www.mamehondo.net


2月16日(土)11:00~12:30
ゼロから味わう仏教
講師:日下賢裕先生
参加費:1,000円
レギュラー講師、2回目です。仏教の基礎を学びます。
【日下 賢裕(くさか けんゆう)】
昭和54年生まれ、石川県加賀市・恩栄寺。浄土真宗本願寺派布教使。広島大学文学部卒、中央仏教学院卒。現在、インターネット寺院「彼岸寺」代表も務め、様々な仏教情報の発信にも携わる。
>> 恩栄寺 http://onneiji.net/
>> 彼岸寺 https://higan.net/


3月1日(金) 11:00~12:30
浄土って本当にあるの?
講師:西塔公崇先生
参加費:1,000円
レギュラー講師、2回目です。素朴な疑問から仏教を掘り下げてお話くださいます。
【西塔 公崇】
昭和49年生まれ、富山県富山市・金乗坊。浄土真宗本願寺派輔教。龍谷大学大学院卒。浄土真宗本願寺派宗学院研究員。


3月16日(土)11:00~12:30
浄土真宗と私の仕事
講師:林口砂里先生
参加費:1,000円
他分野の視点から浄土真宗を語っていただきます。
【林口 砂里(はやしぐち さり)】
富山県高岡市出身。アート・プロデューサー。ワタリウム美術館、水戸芸術館アートセンター、P3 art and environmentなどでの勤務を経て、2005年に(有)エピファニーワークスを立ち上げる。現代美術、音楽、デザイン、仏教、科学と幅広い分野をつなげるプロジェクトの企画/プロデュースを手掛けている。浄土真宗本願寺派「子ども・若者ご縁づくり推進室」のアドバイザーをつとめ、本願寺の学びの場「スクール・ナーランダ」を企画する。現在は東京と富山を行き来しながら、地域振興プロジェクトにも取り組んでいる。
>> エピファニーワークス http://www.epiphanyworks.net/


4月1日(月)11:00~12:30
救いってどんなこと?
講師:葭田誓子先生
参加費:1,000円
宗門校「行信教校」出身の注目の若手布教使です。
【 葭田 誓子(よした せいこ)】
昭和57年生まれ。大阪府摂津市・明教寺。浄土真宗本願寺派布教使。龍谷大学大学院文学研究科(仏教学専攻)修士課程修了、行信教校卒業。映画や小説などの物語を通したわかりやすい仏法のお話を模索中。築地本願寺・銀座サロンにおける、映画を題材にした法話の集い「シネマ法話」に参加。


4月16日(火)11:00~12:30
まことのしあわせ
講師:佐藤知水先生
参加費:1,000円
歌う僧侶が法を説く!溢れんばかりの仏様への想いをお聞きください。
【 佐藤 知水(さとう ちすい) 】
昭和53年生まれ。岡山県井原市光栄寺。広島県福山市在住。布教使。元西本願寺布教研究専従職員。仲間と立ち上げたサイト「メリシャカ」で、音楽と法話のコラボイベント「メリシャカライブ」を企画し、僧侶バンド「おまけびと」ではボーカルと作詞を担当する。光栄寺では仏教講座やおてらヨガを企画し、築地本願寺主催の銀座サロン「シネマ法話」にも関わっている。
>> 光栄寺 http://koueiji.net
>> メリシャカ http://www.merry-shaka.com


ほっこり法座シーズン2

仏さまのお話と、お寺のごはんを味わって、「こころ」と「からだ」のデトックス。10月1日(月)より「ほっこり法座」のシーズン2がはじまります!

今回は、千葉県より西原龍哉先生と富山市の若林浄正先生が初参戦です。
この法座は、初めての方にも入りやすいように心がけていますので、どうぞどなたもご参加お待ちしております。参加希望の方は、料理の準備がありますので、こちらよりお申込みお願いします。

※お電話の場合は、善巧寺(0765-65-0055)までお願いします。

それ以外にも、秋は報恩講や空華忌、仏教講座「正信偈に学ぶ」など、仏法を聞く機会が盛りだくさんです。仏さまの教えを通して実りある日々を過ごしましょう。

ほっこり法座Q&A

5月16日に行われた「ほっこり法座」のアンケートの中でいくつかご質問をいただきました。日下賢裕先生より丁寧なお返事を送ってもらいましたので、許可をいただき一部ここに共有します。





お寺の行事で朝事(あさじ)とありますが、これも仏教語ですか?



朝のお勤め(お参り)をお朝事と呼びますね。仏教語、というわけではありませんが、私たちもそのように呼ばせていただいております。正式には、晨朝勤行(じんじょう ごんぎょう)といいます。かつては一日を6つに分けて、一日六回のお勤めを行っていました。今で言う朝の時間が晨朝と呼ばれたので、晨朝勤行と呼ばれています。





ナモアミダブツと称える時、なぜ「ツ」はハッキリ言わないんですか?



「ツ」は唾が出やすい言葉で、仏さまの前では失礼にあたるということから、ハッキリ発音しないと聞いたことがあります。古来より、お経の正式な読み方には、口からではなく鼻から息を抜いて発音する「鼻音(びおん)」と呼ばれる唱法があります。





善人と悪人とは同時にあるものでしょうか?



一般論で言いますと、私達には善と悪の両面があるのだと思います。
仏教的に考えますと、善人とは悪を為さない人と言えますから、同時には存在しません。また仏教で言う悪というのも、犯罪を犯すようなことではなく、例えば嘘をついたり、綺語(お世辞を言う)、悪口(汚い言葉を使う)なども悪い行いとなります。行動に移さなくても、人を傷つけようと心に思うことも、悪い行いです。ですから、仏教で言う悪を為さない、ということは実はとてもむずかしいことです。

とは言え、悪を為す人であっても、善い行いもできるはずなのですが、清らかな水に一滴でも毒が混じればそれは毒水となってしまうのと同じように、私たちの行いは、毒が混じった雑毒の善、と呼ばれたりもします。完全なる善を為す、というのは、実はとてもむずかしいことと言えるかもしれません。

また「歎異抄」で言うところの善人・悪人は少し意味合いが異なっておりまして、善人とは、自分の行いを振り返らず自分を善人だと思い、自分の力で仏となれると思っている人、悪人は、自分の行いを振り返って、自分の悪を見つめ、自分では仏となるなど到底できない、阿弥陀仏の力によるしかないとする人、という理解です。ですので、こちらも善人から悪人に、ということはあっても、同時に、ということはないかと思います。





真実に目覚めることができるでしょうか?



真実に目覚める。言葉で言ってしまいますととても簡単なようですが、なかなか難しいことです。知識として知ることはできるかもしれませんが、それを「我が事」として行いにまで反映されるということが、特に私たちには難しいのです。例えば、怒ることは煩悩による誤った行為である、という教えを聞いても、実際に怒らないようにできるわけではありません。目覚めるということは、頭で理解することではなくて、行いにまでしっかりと結び付けて、100%徹底できる、ということです。

その難しさに気づかれたのが、法然聖人であったり親鸞聖人でした。そんな私が、目覚めていけるのか?ということに悩まれて、そう徹底できない自分のために、すでに目覚められた阿弥陀仏という仏さまが、私を目覚めたいのちとして迎えとりますよ、とはたらいてくださっている。その阿弥陀仏という仏さまのはたらきに出会われて、私たちのところに今ありますのが、浄土真宗という教えになります。ですから、自分の力では目覚めることができなくても、目覚めたいのちとならせていただける教えというのが、浄土真宗ということになります。