現存する聖人像のほとんどは戦後のものである。それは、戦時中昭和18(1943)年8月12日に制定された「金属類回収令」の影響を受けている。戦時中の日本は金属が不足したため、それを国家総動員で補おうとした政策。一般家庭からは鍋や仏具を供出し、寺院でも仏具の多くが供出された。

2021年に行われた浄土真宗本願寺派の「宗門寺院と戦争・平和問題」調査によると、梵鐘は所持しているお寺の90.3%が供出したという結果。お寺にとっての梵鐘はとても象徴的なものであるため、半強制的な供出は衝撃的なものであったのだろう。地域にとっては時報の役割も果たしていた。その損失感や出来事の伝承を意図してか、梵鐘に見立てたコンクリートや石を吊るしたお寺がいくつもあり、今でも一部残っている。

金属類回収令は戦後、昭和20(1945)年に廃止される。その後、間もなくして復興の気運を高めるがごとくに梵鐘を新調したお寺が多くある。聖人像はさらに時間を経て、高度経済成長の最中に急増していく。
先の統計によると、梵鐘を供出した90.3%の内、5.4%の梵鐘は戻ってきたという。供出していない梵鐘9.8%と合わせると、15.2%の梵鐘が戦前のものとなる。聖人像の記録は残っていないが、わずかに供出を免れた像や戻ってきた像もあり、そのひとつが広島で被爆した聖人像。昭和12(1937)年の像で、被爆後、寄贈者の広瀬精一氏によってニューヨーク仏教会に移設された。原爆が落ちた国の被爆像を落とした国に設置するという事業。改めて広瀬氏の偉業に敬服する。



南無阿弥陀佛
親鸞聖人(1173~1262)は、浄土真宗を開かれた偉大な宗教家であります。浄土真宗のみ教えは、私どもが救われて仏になる唯一の道であります。それは、私どもの人生を正しく導いて下さるともし火であり、生活を力強く支えるいしずえであります。このみ教えを人びとに伝えるために、生涯、伝道を続けられた力強いお姿が、この像です。
この像は1945年8月6日、日本国広島市に投下された史上最初の原子爆弾の爆心地から北西25キロメートルの場所で被爆し、その後1955年9月、原子爆弾被爆の惨禍のあかしと、世界平和を願う貴重な記念像としてこの場所に移されました。
1985年5月21日 浄土真宗本願寺派
関連情報
「非戦平和」への取り組み(本願寺派総合研究所)
研究ノート 戦時日本の銅像供出の実態(PDF)
海を渡った被曝親鸞聖人像