親鸞聖人像の普及に貢献した篤信者の広瀬精一氏が最初に手掛けたのは、ナモアミダブツの6字に合わせて6体の聖人像を寄贈したことにはじまる。最初の1体は昭和10年に京都の角坊別院へ。残念ながら胴体は戦時中に供出されたが笠のみ当時のものを残している。四天王寺も戦時中に供出。広島からニューヨークへ移設された被爆像をはじめ、五智国分寺(新潟)、善福寺(東京)、桑名別院(三重)は国への供出を免れ今も残っている。
ここでは、InstagramとTwitterに投稿されている情報を集めてみた。Instagramには桑名別院の聖人像をトップに表示している投稿はまだ見つかっていない。