お寺の本堂に安置される親鸞聖人の肖像画は、親鸞聖人70才頃の写し画「鏡のご影」や、80才頃の「安城のご影」などが元になっている場合が多いが、銅像・石像の約8割を占める、笠をかぶり杖を持った旅姿は何をモデルにしているのだろうか?
親鸞聖人のひ孫にあたる覚如上人は、親鸞聖人の生涯を絵であらわした「御絵伝(ごえでん)」を残した。四幅にわたる様々なエピソードの中で、聖人が関東から京都へ移動する旅姿が描かれている。
おそらく、当時の僧侶の旅姿はいずれもこのようなスタイルであったと思われるが、親鸞聖人の旅姿としてはこれが最も古いひとつだろう。風で笠が曲がり衣がはねている姿に躍動感がある。
昭和初期、まだ屋外に設置する銅像の文化が根付いていない頃、親鸞聖人像を屋外に設置する提案に広島の門徒たちは反対の声をあげたという。仏教誌「唯」にはこのようにある。
浄土真宗の墓石は、全国的にみると「南無阿弥陀仏」と刻銘されます。しかし広島では仏さまのはたらきである「南無阿弥陀仏」を雨ざらしにできないと考え、「倶会一処」(いのち終えてのち阿弥陀仏の浄土に出会う意)などの仏語を刻み、それが徹底されていました。南無阿弥陀仏を大切に思うように親鸞聖人を敬う安芸門徒の中心道場に、雨ざらしを前提とした銅像設置を許容できない意見が根強かったのは想像にかたくありません。苦肉の策で郊外に設置されたのではないかと考えられるのです。さらに葦笠を着けた行脚のお姿は、当時少なからずあった雨ざらし反対の意見への対応とも考えられます。
(「浄土真宗 唯 VOL.41」)
雨ざらし反対の声も、それに対応して笠をかぶせた案も、ひじょうに興味深い。初期の銅像が御絵伝を参考にしたかどうかは定かではないが、結果、旅姿の銅像がスタンダードとなっていったのだった。