銅像はとても高価なもので、等身大の像で200~300万円、2メートルを超える像は500~600万円ほどの予算がかかる。型のあるものでそのぐらいの予算のため、型から制作する一点ものを求めた場合、その倍ほどの予算が必要になる。そんな膨大なお金がかかる事業をどのようにやっているかというと、ほとんどのお寺ではおひとり、もしくは複数名の寄贈による場合が多い。お寺においては、銅像のみならず、あらゆる仏具でも寄贈品が多く、よく見ると至る所に寄進者の名前が刻まれている。高度経済成長期に爆発的に増えた銅像は、経済的に余裕のある人だけではなく、長年コツコツと溜め込んだ貯蓄をお寺にかけたいという人が多数おられた。
日本には寄付する文化が根付いていないと言う人があるが、ひと昔前は、その志しがお寺に向いていた時代があった。自分の家と同様にお寺を第二の家として大切にしていた人たちの所業である。また、経済事情がそれぞれに違うことから、お布施の差も歴然とあった。出す人がしっかりと出して、多くの人はそれに支えられていることを理解していたから、敬意を持って接していた。いつからか「平等」という考え方がスタンダードになり、みんな均一になっていった。心意気のある人が多く出したとしても、歓迎されるどころか、妬みや嫉みの声が聞こえてくる環境になり、人より多く出すことのメリットが薄れていった。誤解を恐れずに言うと、まわりの目を気にした平等風の考え方が、古来から続いていた日本の寄付文化を解体したとも言えるのではないだろうか。
今年、阿波踊りがVIP席を用意するというので話題になっていたが、みんなより多く出す人がいることによって、みんなの出費がおさえられて運営がうまくいく場合がある。欧米では富裕層が積極的に寄付をする文化が根付いていると言われるが、それはみんながそれに支えられていることを理解していることによって成り立つ。誰も好き好んで文句や批判をされてまで出す人はいないわけで、そういう意味では、日本でもその昔、お寺や神社、地域社会の中でそのような文化が根付いていた。お寺の寄贈品を見ると、古いものでは江戸末期から明治にかけてたくさんのお軸が寄贈されている。また、お寺の本堂自体もごく少数の人が半分以上の費用を賄っているということも珍しくない。
廣瀬精一氏
広瀬氏は愛知県桑名市出身の明治28年生まれ、大阪で鋳造業を創立して事業を拡大していった。29歳の時に幼い我が子を亡くし親鸞聖人の教えに出会っていく。それをご縁に親鸞聖人像の寄進を思い立ち、南無阿弥陀仏の6字にちなんで6体の聖人像を寄進した。昭和初期にはまだ人物像はほとんどないので、いずれの聖人像も迎えるにあたって大混雑するほどの人だかりが出来た様子が残されている。全国の8割以上がこの造形を引き継いでいるので、この6体が全国に普及していくモデルになったと思われる。






どういうご縁だったのか定かではないが、私が所属する善巧寺のお内仏にある六字名号も広瀬氏の寄贈によるもので、富山県では、富山別院、黒部市仏舎利塔の童形聖人像などがある。