20万坪という広大な土地に、親鸞聖人のエピソードを20シーン以上を配置する一大テーマパーク「五色園」。なんと、昭和39年に開園している。あらゆるところに配置されている群像は、コンクリート像作家の浅野祥雲氏制作。園内は頂上の本堂まで車で移動することが可能で、ストリートビューも通っているため、写真と合わせて紹介しよう。
入口
五色園の入口には検問のような場所があるが、現在は無人で開園時間8:00~17:00、入場無料で出入り自由になっている。
月見の宴



入園してすぐに到着するのがこちら。まずは1体1体の像が等身大以上に大きいことに驚かされる。親鸞聖人が2歳の頃、月見の宴で「ナモアミダブツ」と初めて声を発したという伝説。
信行両座


親鸞聖人が師匠の法然聖人の庵に身を寄せていた頃、阿弥陀仏の救いは、「信」が大切か、あるいは南无阿弥陀仏を称える「行」が大切かを問うシーン。親鸞聖人をはじめ少数が「信」の座に座り、遅れてきた熊谷直実もそちらに座す。そこへ法然聖人も座ったという話。
川越の名号

親鸞聖人が越後にいた頃の話。とある民家に1泊し、翌日お別れの際、河の向こうに渡ってしまった親鸞聖人に対して、名号を書いて欲しいと請うたところ、親鸞聖人は空中に向かって名号を記し、それが文字となって届いたという伝説。
御田植


越後時代、田植えに励む親鸞聖人。
桜ヶ池大蛇入定の由来

像もさることながら、池がデカい…。ちなみに敷地内には他にも複数池がある。
御流罪
念仏弾圧によって親鸞聖人35歳の時に新潟へ流罪の刑を受ける。
鈴虫松虫の剃髪得度


念仏弾圧の機縁となった事件。法然聖人の門弟、住蓮と安楽が主催となって行った法要に、後鳥羽上皇の女官、鈴虫と松虫が参加し、いたく感動したところ、出家を申し出る。これに激怒した後鳥羽上皇は、住蓮と安楽を処刑し、法然聖人と親鸞聖人も流罪の刑を受けることになる。
六角堂御参篭雲母坂お通い
親鸞聖人は9才から29才まで比叡山で修行をつみ、その後、六角堂へ通った後に法然聖人の元へゆく。
日野左衛門門前石枕


本堂
五色園
住所:愛知県日進市岩藤町一ノ廻間932-31
開園時間:8:00~19:00
公式サイト