無明(むみょう)

百八つ、八万四千・・・いろんな煩悩があるわけですが、諸悪の根源は、この無明なのだと仏さまはおっしゃっています。

むかしからこのことばはあったようで、よこしまな考えや、深い欲望のために、仏法の真理を悟ることができない状態を、酒の酔いにたとえたようです。もとは空海の「徒らに忘想の縄に縛られ、空しく無明の酒に酔う」という言葉から広まったようですが。

善導大師はこの無明について「無明煩悩のわれらが身にみちみちて、欲も多く、いかりはらだち。そねみねたむこころ多くひまなくして臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえず」ーーーという強烈な一文を残されておりまして、それこそが「凡夫」だとおっしゃってくださるのであります。いやあ、もう、どうにもこうにも、ここまでいわれたら。口のききようがないといった感じでありまして、それなら、サッと酔いがさめるかといえば、またまた、もう一杯・・・。