続々・お茶の間説法」カテゴリーアーカイブ

「夢の風船」ふくらませたい

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学校というのは、英語でスクールと申しまして・・・
「コレ、若ハン、それくらいのこと、わたしらでも知ってますよ」
と、明治生まれのかしこいおばあちゃん。ゴメン、知らんかと思うとった。いや、話はこれからなんで、そのスクールという英語の語源は、いったいどういうものかと調べたら、これがなんと!ラテン語で、スコーラというそうな。
「なんじゃ、そりゃ」
なんじゃて、わたしもわからんから字引でみたら、「余暇」と書いてある。もとの意味からいうとM、スクールはレジャーじゃということになる。
「軟弱軟弱!それじゃから、近頃の若いもんは遊び半分で学校行っとる。わたしらのころと大違い!教科書だって、字より絵のほうが多いし、どうも肌に合いませんワ」
と、おばあちゃん、気に食わない。
しかし、おもしろいね。学校ちゅうところは昔はヒマなときしか行けなんだ。そこで余暇に通う所ということで、スコーラというた。いやホントに、スコーラよもう一度、といいたいですなあ。

さて、しつこく、小学校1年の教科書を読みあさっておりますが、きょうご紹介するのは、わたしが一番好きな教科書でありましてじつは、ムスコの一年の時のものなんです。

題は「なかよしの き」というの。開いてみたら・・・大きな木の絵が描いてある。ウサギや、ハトや、リスがいて、こどもたちも木にのぼって遊んでます。風船をふくらませて、枝に結んでいるみたいですな。
「あれ、あぶないことを・・・」
おばあちゃん、本日はかなり批判的。
さあ、次のページをみくってみると・・・
「ありゃ、まだ、字が出てこん」
字より絵をみてちょうだい。ほら、おばあちゃん、どうなってる?
「こりゃさっきの木が、飛び上がっとりますぜ、風船で浮いたんやろか。まさか、こんなこと、あるわけないでしょうが」
で、やっと6、7ページになりますと、なかよしの木は、大空に舞い上がり、字が出ました。
たかい たかい みえる みえる
あおい そら くもの うえ
次のページになると、さらになかよしの木は空高く宇宙に向かって、
わたれ わたれ そらのはし
おほしさま きらきら
おつきさま にこにこ
で、最後は、またもとの場所にもどってきて、なんと、さっきまでの風船がパッとまっ白な花にかわって、
さいた さいた きれいな はな
これ読んでたら、わたし、涙出てくるの。おばあちゃん、わかる?
この風船はねえ、わたしら一人一人の夢の風船なの。それをふくらませていたら、夢は宇宙をかけめぐるわけよ。みんな、なかよくして、他人の風船をこわさんように気をつけたら、世の中もうちょっと明るくなるんじゃないかなあ、という願いがこもってるみたい。他人の夢の風船をチクリとやって喜んでいるわたしたち、もういっぺん、この教科書、読みなおさんといかんなあ。


昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。

「お茶の間説法」(37話分)
>> https://www.zengyou.net/?p=5702

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すばらしい一年の教科書

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「いや、本当になつかしいですなあ」
と、小学校の校長先生。入学式に顔を出して、一年の教科書の話をしていたら、
「ぼくは昭和6年入学。サイタ サイタ でしたけどね。何が自慢かといって、教科書が色刷りになったのは、あれがはじめてだった。パァーッとピンクのサクラの絵。うれしかったね。みんなに、どうだって、みせびらかしたのを覚えていますよ」
ついでに、図書室へ入れてもらって、最近の教科書をみせてもらったら、3年ごとに業者が内容を変えて出している。

昭和49年のには、お日さまと、ヒヨコと、小イヌがいて、絵本みたいな感じで、
あかるいな ふたつに わけるよ
と、小イヌが小屋をノコギリで切って、ヒヨコに小屋の半分をあげる。そこへ雨がふってきて、
たいへん たいへん
と、またその小屋を一つに合わせて、一緒にはいる。このころ、ひょっとしたら、住宅難か、あるいは核家族の問題があったんじゃないのかなあ。

52年のは―
あおい あおい うみ
ひろい ひろい そら
とか、
きこえる きこえる
とりの こえ
とか、やたらと、自然の美しさを絵でみせる。これも、やっぱり、自然保護を反映しているんでござんしょうねえ。
そう、そういえば、いつだったか、大阪の小学校で「先生、教科書はウソいってる」と訴えた子供がいたそうだ。
かわには めだかが およいでる
とあるけど、そんな川はどこにもないやんか、ということでありました。
まあ、そんなことの反省もふくめて、小学校1年のこのころの教科書は、豊かな自然、美しい自然を見直しているのでありましょう。いいことだと思います。絵をみても、動物も植物も人間も、みんないっしょになって、笑っている。すばらしいと思う。私のころの、
おはなを かざる
みんな いいこ
と、だいぶ違うと思う。だって、そうでしょ。かざる、というのは、どこへかざるか、という問題がある。あのころは、家庭に和らいだものがなかったから、みんなでお花をかざりましょう、とすすめられたんでしょう。でもね、これは、自然保護からいうと、おかしいのよね、花をかざるというのは、どこからか、とってきてかざる。買ってきてかざるということですもんな。これは自然破壊につながるし、自然をゆがめることになる。売れるもんなら…というわけで、チューリップの球根を冷蔵庫へつっこんで「冬やゾー」とだまして、早く咲かせたり、「年中、昼だー」と電気をつけっぱなしで、キクやらなにやらを店頭に出す。どうも、こういうことを考え出したのは、私たちのあの年代に育った連中じゃないかしら、と思ったりして・・・。図書室を出ようとしたら、若い先生、とてもハキハキしていらっしゃる。先生、あなたの小1の教科書は?「ハイッ。”ひろこさん はい。ただしさん はい” でした」。


昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。

「お茶の間説法」(37話分)
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人の香り、臭みになるものは

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「うちのお母さんのころの教科書はね、若ハン」
と、76のおばあちゃんがいうからすごい。このひと、ずいぶんかしこかったそうな。なるほど、あんたのお母さんの教科書まで覚えてるの?
「ハイ、というても、全部はいえませんちゃ。けどね、なにやら、キミ タミ オヤ コ というのだけ覚えとります」
キミって、あんんたのキミじゃない方のキミのようですな。タミも、タミちゃんのタミじゃなくて、民の方みたいですな。オヤ コは親子か・・・、ナルホド。で、おばあちゃん、あんたの小学校1年の教科書は?
「ハイッ!」
オホッ、おばあちゃん、小学生に返ったぜ。手まであげて、元気なもんだ。それではどうぞ!
「ハナ ハト マメ マス ミノ カサ カラカサ!本に描いてある絵まで覚えてますちゃ。あっ、違うた違うた。これは妹のやわ。モトイ!そう、わたしのは、ハタ タコ コマ ハト マメ・・・そう、これでした、ハタちゅうたら、日の丸がパチッと描いてありました」
すごい記憶力。おばあちゃん、よっぽど秀才だったんだね。そんならもう一つ。今度は2年生の教科書はどうですか?覚えてますか?
「ありゃ、忘れました」
そう、そんなものなんですね。はじめて開いた教科書の印象というのはものすごく強烈で、あとのはもう惰性みたいなもんだから覚えてないんでしょうなあ。
「若ハン。私らのは サイタ サイタ サクラ ガ サイタやったです」
と、さっきよりひとまわり若いおばあちゃん。こっちの方には、うなずく人が多かった。と、そばの奥さんは、
「私ら、もちっと若いもん、さっき若ハンいうとられた、ヘイタイサン、でした。でもコンニチワじゃなくて、ススメ ススメ チテ チテ タ トタ テテ タテタでしたよ」
今日の茶の間は年齢層が幅広いなあ。まあそれで、みなさん、適当に昔を思い出して、若い頃の気分にひたっていただければ、もう、私の説教はいらんわけですが、ちょっといわせてもらうと、やっぱり、小学校1年の教科書はすごい、こわ、ということです。

キミ タミ やらヘイタイサン・・・ちゃんと時代を背負っていますわな。そして、その次はなぜか、ハナやら、みんな いいこ やらになる。で、習うた子は、それがどうしてそうなったのやらわからずに、とにかく覚えて身につける。仏教ではこういうの「薫習(くんじゅう)」といいます。印象づけられたものが心にしみつくことでありまして、近頃ではこれを「すり込み」なんていうようです。ちょうど、ものの香りが身にしみつくように、はじめに習うたものは、心にしみついて消えないものらしい。

で、これが長いて、その人の香り、臭みになってゆくわけでありまして、もちろん、他のご縁もいっぱいあるけど、だいたい、キミ タミ と、ハタ タコ と、サクラ ガ サイタと、チテ チチ タ と、みんないいこ が鼻面突きあわせていたら、お互い他人のにおいが、肌に合わず、しまいには、ハラ立ってくる。困ったもんやねーといったら、みんあそろって「そやそや!」


昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。

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人は育てる側によって育つ

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おはなを かざる
みんな いいこ
きれいな ことば
みんな いいこ

入学式になると思い出すのがこのことばです。昭和22年。なにやら世の中、ガタガタの時でありました。もうすぐ学校だからというんで、兄貴の教科書で勉強せい、ということになって、ヘイタイサン コンニチワ みたいなこといって、勉強しはじめたら、アカンアカンそれはもうアカンといわれ、なんのこっちゃわからずに学校へいったら、1年の国語の教科書をいただいて、ひらいてみたらこれでした。

おはなを かざる みんな いいこ

なにやら知らんがうれしかった。というのは、うちの父が花が好きで、戦争から、帰ってきた次の日から境内の畠にガーベラやら、ポピーやら、デイジーやら、スイトピーやらとにかくカタカナの花を、植えたり、まいたりしはじめた。当時ものすごくめずらしかった蘭の一種で、シプディペデウムなんて花も、どこやらからもらってきたといって、その名を何度もいわされたことを覚えています。

まあ、そんなことで、おはなをかざったり、きれいだといってほめたりすることが身についていたから、この教科書を読んだとたんに、ワァーッ ボクはいい子ナンダ!と思い込んでしまったわけ。で、次が、きれいな ことば みんな いいこ。これはもう全然アカンわけで、当時は大阪弁まる出しで、ナニイウテンネン アホ、などとやっておりました。でも、いい子は、きれいなことばをしゃべらんといかん、どうしようと思っていた折も折、学校内に演劇部ができた。情操教育で心を豊かに、ということなんでしょうが、1年から6年までの選抜で、村田先生という方が指導に当たられた。

その第1回公演で、なんと主役が当たった。題は「村のお地蔵さん」。寺の子で頭がクリクリだったから、選抜されたんでありましょう。コレ!動いたらだめ!お地蔵さんはジッとして、目をつぶってなさい。そうでないと張りぼてのお地蔵さんにしますよ!えらいきびしかった。智恵熱出しながら直立不動でがんばった。これが大阪府のコンクールで準優勝。そのご縁で、NHKの児童劇団に入って、当時やかましかった標準語というヤツを勉強することになった。

きれいな ことば みんないいこ は1年たらずで身について、授業中でも、朗読になると、私に当たって、それこそ、いいこぶりっ子で読んだものです。でね、何がいいたいかと申しますとですね、とにかく小学校1年の国語の教科書はこわい、小学校の先生はすごい、ということなんです。だってね、私はそれから大学を出るまで、終始一貫、きれいなことば、みんないいこの追求で、演劇科を専攻し、あわや新劇の役者になりかかった。これみな、小学校の教科書と、演劇の好きな先生がご縁になっている。その後、新聞社に入って、確かめてみたんですが、編集記者志望の同僚のほとんどが、小学校の時、作文のきびしい先生だったり、習字の上手な先生だったりで、きれいなことばを書くことが好きになった連中ばかりなんです。

人は育てる側によって育つ、というのは本当なんですよね。すごい、と思うより、こわい、という感じ。あなた、小学校の時、どんな教科書でした?どんな先生でした?


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どうしようもない私でも

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「聞いて、思って、身につける。そら、その通りやけどさあ。なかなか、そう、うまいことゆきませんちゃあ。ねえ、人間やもん。ねえ」
さっきまで、うなずいて聞いていたおばあちゃん。お講の法座の中休み。こたつに足をのばしながら(そう、うちの寺では4月末まではこたつしてるの)仲間のおばあちゃんに「ねえ、人間やもん。凡夫やもん。できんっちゃねえ」と同意を求めている。

「そいが、そいが、凡夫やもんねえ。聞いて、思うまでもいかんわねえ。わたしら、聞く-忘れる、聞く-忘れる やもんねえ」
話し手も話しても、聞く-忘れるで、身につくなんて、とんでもない、という。大阪弁なら、まさに、せーないなー という感じ。
でも、やっぱり、おばあちゃんのいう通りでありまして、ホーキケヨ、のうぐいすの鳴き声を聞いたとたんに、チカッと目覚めて
「そうだ、世の中は無常なんだ。怠りなく努めねば…」
と、仏道修行に一歩踏み出す人ばかりだったら、阿弥陀如来さまなぞ、居なさらんでもよかったかもしれん。ところが、ほんと、おばあちゃんのいう通り、聞く-忘れる で、なんにも身につかん私たちだからこそ、阿弥陀さまというお方、お出ましになったんでしょうなあ。

「仏願の生起本末を聞いて、疑心あることなし、これを聞という」これは親鸞聖人のおことばなんですが、どういうことかと申しますと、仏願は、つまり仏の願い。ここでは、阿弥陀仏というお方の願いであります。で、生起本末といえば、ことのてんまつ、一部始終ということ。ですから、阿弥陀仏というお方が、どういう願いを持ったお方で、どういう働きをしておられるお方かということを、疑いの心を持たずに、素直に聞くというのが、真宗でいう「聞く」ということなんです。上も中も下もない。ただただ、聞かせていただくばかりだという。

で、その願いでありますが、わかりやすくいうと、阿弥陀仏という仏様は、この私-つまり、欠点だらけの、うぬぼれのかたまりの、頭のテッペンから足のツマ先まで、どこさがしたってマルのつけようのない、ペケばっかりの、どうしようもないこの私でありながら、それにも気づかず、ふんぞり返って、オレがオレがと生きている-そんな私を見そなわして、そういうお前だからこそ、救わずにはおかない、目覚めささずにはおかないと立ち上がれられ、もし、その願いがかなわなかったら、自分も仏にはならないとおっしゃって、そして、その願いを全うして仏様になられたのが、阿弥陀仏というお方だというのであります。

仏様というのは、おしゃか様をふくめて、数限りなくいらっしゃるんだけど、その中で、十方の衆生、つまり、どうしようもないこの私を、救わずにはおかぬといってくださるお方が、阿弥陀さまなんだ。それも、聞いて思って身につけて、と、条件つけてではなくて、まったく無条件で、生きとし生けるものみなすべてを悟らしめる、とおっしゃって下さっている。こちらで何をどうするということもない。ただただ手を合わせて、ああ、そうでございましたか、と素直に聞かせていただいて、よろこぶほかはないのであります。
ホッ、なにやらちょっとありがとうなってきたみたい。


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聞いて、思って、身につける

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聞く、というのにも、いろんな聞き方があるもので、お経には、上中下の三つあると説いてあります。
まずは、下。
おい、俊隆!宿題しろよ、と私。
「ウン、わかった!」とむすこ。
で、次の瞬間、むすこはランドセルを放り出し、表へ飛び出している。コラッ!ちっとも聞いていないじゃないか。こういうのは、ただただ、耳で音声を受けとめた、というだけだから、下の聞といいます。

次の中。これは、聞いて、思う。つまり、話を聞いて、心に当てて、うなずくってこと。
「うん、うん」
とお講参りのおばあちゃん。ちょっと、まだ早い。ほれ、前にも、お講の法座で話したことありましたよね。うちのむすこと、母親の対話。

そう、5,6年前のこと、うちの家族7人が、朝ごはんを食べていた。そしたら、長男が、
「ねえ、うちで、一番最初に生まれたのはだれ?」
と聞く。当ててごらん、といったら、エート、とみんあの顔を見まわしながら、
「ウン、一番はおじいちゃま、で、二番はおばあちゃま、三番はお父ちゃん、四番はお母ちゃん、五番はお姉ちゃん、そいで、六番目がぼくで、七番がのりくん」
とやりだして、何度も何度もくり返す。それからしばらくして、こんどは、不思議そうにもう一度、みんなの顔を見ながら、ポツンといったの。
「みーんな、生まれたねー」
グッと胸がつまって、どういったらいいか戸惑っていたら、女房がフッと
「そうねー。あえて、よかったわね」
といったの。なんかこう、ブワーッとうれしくなったわけ。」で、やっぱり、私たち、本当にめったにないご縁で、夫婦になったり、親子になったり、嫁と姑になったんだから、女房のまねしてさ、一ぺん、みんな、手をにぎり合って、「あえてよかったねー」っていい合っておこうよ-とまあ、そんな話を、いろんなところでしたわけだ。婦人会でも、老人会でも、みんな「うんうん」って、うなずいて下さってね、私もうれしいなあって思ったことがある。

まあ、こういうのが、中も聞。つまり、聞いて、心に当たるものがあって、うなずいて下さったわけでしょ。でも、これは、中も聞であって、上じゃない。というのは、うなずいて下さったから、よし、それでは今日これから帰ったら、まず、あなたと嫁さんで手をにぎり合って「あえてよかったわね」とやって下さいませ、とたのんだら、
「そら、若ハン、ダメダメ!」
だと。

そう、上の聞は、聞いて、思って、身につけるってことなんです。ウン、それで、この話にはおまけがついていて、明日の土曜日の八木治郎ショーでアシスタントをやめなさる浜美枝さん。あの方、うちの婦人会のメンバーでもあるんだけど、この話をいつだったか聞いて下さったようで、今日発売のあの人の本の題名が、ズバリ「あえてよかった」なんですと。先日、電話をかけてきて、「番組はやめますけど、いろんな人にあえてよかったって思うし、それに、人生すべて出会いですものね。その出会いを、やっぱり、あえてよかったとよろこばなくっちゃね。あのことば、いただきます」ですと。話し手より身についているみたい。


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ねえちょっと聞いてョ

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ホンコさん、というのがあります。報恩講と書きまして、早い話が、真宗の宗祖、親鸞聖人の法事なんです。これを秋から春までの間、ちょうど農閑期にあたる時期に、門徒の家を一軒一軒まわっておつとめするわけです。
「寺の坊さん、ホンコまわりにこられたら空が荒れて・・・」
とか、
「ホーラ、宇奈月の雪坊さんがこられた」
とか、いらんことをいってはやします。名前が雪山だからといって、雪を持ってくるわけはない。それこそ、因果の道理に反するわけなんだけど、やっぱり、こういうこと、いいたいんですね。ホンコさんだけじゃなくって、新聞社でもそうですね、あのデスクのときは事件がつくとか・・・そんなアホなことはないんだけど、因果の道理もわきまえず、ちょっといってみたくなることらしい。

コンニチハ!
「あー、ようこそ、お待ちしておりました」
またホンコさんになりました。よろしゅうに。
「ハイ、こちらこそ」
で、お仏だんにおあかりつけておつとめがはじまる。
キミョウムリョウ ジュニョライ―
おつとめが終わると、お説経。そのあと、御文章という蓮如上人のお便りを古式ゆかしく拝読してホンコさんはおしまい。あとは茶の間で、お茶とお菓子をいただいて世間話に花を咲かせるんですが、なかにはおもしろいこともありましてね、きのうおまいりしたお宅では、おばあちゃんとお孫さんが迎えて下さった。

コンニチワ!
「あらー、お坊さんこられたわよ。さあ、ミッちゃん、お坊さんにいらっしゃいしましょ。ハイ、おあがり下さいっていいましょ。さあさ、どうぞっていいましょ。ねー、ミッちゃん。ハイ、ののさままいりましょ。ハイおすわりして。ハイ、いいコしてるんですよ。ハイ、ナンマンダブっていいましょ」
キミョウムリョウ ジュニョライー
「ホーラ、ミッちゃん、おつとめはじまった。いいコしてなさいよ。そうそうハイいいコですねー。ホラ、終わった」
エー、今日は年に一度のホンコさんであります。ホンコさんと申しますのは親鸞聖人のご法事を申しておるのでありまして・・・
「ハイ、ミッちゃん、お説教はじまったわねー。お行儀よくしとらんと、お坊さん、お寺へ連れていかっしゃるよ」
(そんなこというてないがな)エー、それで浄土真宗の念仏の一門を開いて下さった聖人のご法事は、毎年毎年こうしてつとめさせていただいておるわけでありまして・・・
「これ、ミッちゃん、ちゃんとしとろ!ちゃんと、お説教聞きましょ。ホラホラ、お焼香はあとで、あとで!」
エー、でありますからして、この私たちは南無阿弥陀仏のみ教えを信じ、必ず仏にならせていただく身のしあわせをよろこび・・・
「まあ、ミッちゃん、そんなことしたらダメ!もう!お坊さんに連れてってもらいますッ!」
コレ、おばあちゃん、さっきからみとったら、あんた、ひとつも、私の話聞いてないのとちがうか。ミッちゃんもええけど、あんたちょっと、こっち向いて、ホーキケヨ。
「さ、ミッちゃん。すみましたよ。お坊さんにありがとうっていいなさい!」
あのなー。


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だれが「冷え症」にした?

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春めくと、庭でうぐいすが、ホーホケキョ
他所では、ホケキョかもしれないけど、うちでは、ホーキケヨ
と鳴くんです。いや、うぐいすは、うぐいす語で鳴いているんだけど、聞く側が都合のいいふうに聞いちゃうんですね。
法 聞けよ、法 聞けよ

庭のうぐいすまでが、仏法を聞けよ、説法聞けよ、とのおすすめだ。
法とは、真実の理法のことでありまして、おしゃかさまがお悟りになった真理そのものを、私たちは、法とか、仏法とかいっている。で、その法を聞くというのは、つまりは、正しいことを聞いて、目を開けということになるわけなんですが、例えば縁起の理法、「深く因果の道理をわきまえて、ありのままに世の中を見よ」とおしゃかさまはおっしゃる。そこで「ハイッ、左様でございますか」とチカッと目をさまして、次の日から占いもまじないも縁起かつぎもあさらばで、清く、正しく、美しい生き方が出来るのなら、いうことはありません。

ところが、私たち、心の奥底をのぞいてみたら、ケイチツどころか、煩悩のうじ虫がウジャウジャうごめいて、おさまるきざしはまるでない。
「そうそう、その通り!ホーキケヨ ホーキケヨ」
さすが聞きなれたおばあちゃん、合いの手が胴に入っている。しかし、そういう煩悩を一つとしてなくすことの出来ない私だからこそ、智恵の目を開かさずにはおかん、救わずにおかんと、立ち上がり、手をさしのべ、抱きとって下さるお方が、阿弥陀如来というお方でございました。教えの親はおしゃかさま、救いの親はアミダさまなんですよねー。
「ようこそ、ようこそ ナンマンダブ」

月に二度のお講とよばれる法座も、寒い間はお茶の間説法。6,70人のお参り衆が、こたつとストーブを入れた22畳のお茶所に、ひざすり合わせてうなずいて下さる。なかにテカテカの顔した人が7,8人。午前中、すぐ近くにある老人福祉センターの風呂にはいって、お昼はお寺で出る精進料理を食べて、昼からゆっくり説法聞いて、3時になったらセンターで、もう一ぺんお湯につかって福祉バスで帰ろうという人たち。

「センターでなら、体はあったまりますけど、心はあったまりませんがでね」
わーすごい。ほんといいことおっしゃる。なんていうか、本質をついていますよね、福祉っていうものの。そういえば、役所はせっせと老人御殿を建てて、バスで送り迎えしてサービスこれつとめていらっしゃるようだけど、ちょっと二三歩さがってながべてみると、おとしよりのためというより、おとしよりをどこかへ隔離しておこうという「隔離福祉」になってるみたい。

センターへ行けば、お風呂があって、テレビがあって、碁があって、リハビリがあって、カラオケがあって、なんでもあって結構ずくめのようだけど、いまのテカテカのおばあちゃんみたいに、体はヌクヌクでも心はスカスカなんじゃないかしら。でも、もっとすごいのは、そのおばあちゃんたち、家では心どころか、体もあったまらないんじゃないかしら。身心ともに冷え症のおばあちゃんにしたのは、一体、だれだ?


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「もらう」っていいことばです

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「いいことばねー」
さし絵の晃子さんが、スケッチの手を休めて、ポツンという。
そう、私もいま、そのことばを反すうしていたところ。
ガイドのアーナンダさん。名前もすごい。おしゃか様の一番弟子と同じなんです。ほら、お経の中によく「仏号阿難(ぶつごうあなん)」と出てくるでしょう。もうそれだけで、とっても親しみを感じているところへもってきて、日本語がペラペラ。いや、ペラペラというより、もっとこう、しっかりとした感じ。

聞けばこのアーナンダさん、スリランカ1番のコロンボ大学の経済学部を卒業して、日本に留学したんですと。大阪の千里に下宿して、大阪大学で2年間勉強して、その間、近所の子に英語教えて、しっかりお小遣いをためて、北海道から九州まで、くまなく旅して、そうして、国へ帰って、いま、オーストラリア大使館に勤めている。マスターした日本語を忘れないように、年に2度は休みをとって、日本の観光客のガイドをしているんだという。
「ボク、仏教徒デス。町デ働イテ、週末ハイナカヘ帰ッテ、百姓シマス。ソシテ、母タチト一緒ニ仏サマニオマイリシマス」
もう、とってもうれしくなっちゃって、ようこそようこそ、という感じ。で、じつは、いいことばっていうのは、そのアーナンダさんのことばなんです。
「皆サン、スリランカハ、ミドリ、多イデスネ。ホラ、ムコウニ見エルノハ、ヤシノ林デス。ズートズート、ゼンブ、ヤシノ林デス。ワタシタチスリランカデハ、アノヤシノ木カラ、ヤシノ実ヲモラッテ、ソノ実カラ飲ミ水ヲモラッタリ、花カラ出ル汁ヲモラッテオ酒ヲツクリマス」
「コンドハ、ゴムの木ノ林ガ見エテキマシタ。ミナサンゴ存知デショウ。ゴムノ木ニキズヲツケテ、ソコカラ出ル、ノリノヨウナモノヲモラッテ、ゴムヲツクリマス」☆◇♡・・・?!このマークは、黒柳徹子さんが、日本にパンダがやってくるというニュースを聞いたときに使われた感嘆の符なのでありますが、まさにこれがピッタリの感動でありました。ねえ、おわかりでしょう。さし絵の晃子さんも、じつは、このこと思い出していたの。

そう、ヤシの木から、ヤシの実をもらうんだって。ゴムの木からのりをもらってゴムにするんだって。わたしたちはこんないい方はしないよね。なんでも取ったり、獲ったりするだけで、もらうなんて思ってもいない。コメをとる。サカナをとる。客をとる。票をとる。月給をとる・・・。ね、そうでしょ。でも、ほんとは、なにもかも、もらいものばかりなんだよね。まいったなあ。スリランカまで行って、日本語を教えてもらっちゃった。
「若ハン、そんなことウチでいうたら、なにやら他人の家から盗ってくるみたいやぜ」
アハハとお経の会のおなちゃんたちが笑った。笑ったけど、やっぱり、そうだなーとうなずいた。
「そういえば、水は天からもらい水だったわねー」
「そうそう、自分の名は親からもらって、母ちゃんという名は子供からもらって、なにもかも、もらって生かされているんでしたわねー」
あなたもこのことばをもらって、人生味わい直してみませんか。


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慕う心がかたちになって

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人が死んだら、まわりの者は、どうします?
「そら、わかっとるこっちゃ。悲しんで、葬式出しますっちゃ。わたしら、なにほど出してきたもん。そーや、あのときは・・・」
茶の間のお経の会のおばちゃんの目が、チカッと輝いた。(ヤバイ。このばあちゃんが失った人たちの話をはじめたら、エンドレステープで二晩かかる)
いやそうでしたね。ではもう一つ。その人が、じつに偉大な、リッパな人だったら、どうします「ン?」
いや、なくなったじいさんの話じゃなくて、すべての人が慕うような、そんな人が・・・。
「あーそーか。それでもやっぱり、デッカイ葬式出して、弔電やら弔辞やら・・・」
でそのあとは、
「あとは、まあ、デッカイ墓建てて、デッカイ法事するぐらいじゃなかろうか」
そうだよね。で、銅像つくったり言行録出したりして・・・。そうそう、それなんです。じつは、スリランカへ行ってみて、よくわかったのは、おしゃか様がなくなられて、そのあとに残されたものが、どんな風にしておしゃか様をお慕いしたか-そのことを目の当たりに見ることができたんです。
「そういえば、むこうのお寺には仏さんの足あとやら、仏舎利塔やら、いろいろあったちゃねー」と、同行したおばちゃん。

はじめはね、おしゃか様の教えを、大切にそのまま、口伝えで覚え、守っていたの。だけど、おしゃか様がなくなられたとたん、お弟子さんの中で「ああ、よかった。これで勝手にふるまえる」といったヤツがいた。じつはこれが逆の縁になって、口伝の教えを字にすることはもったいないが、あんなヤツもいることだから「自分達が聞いた教えを、キチンとまとめておきましょう」とみんなが集まってお経をつくったの。

「如是我聞」(にょぜがもん)というこは、そのとき集まった人たちが「我はかくのごとく聞けり」とやったことなんです。で、さすがと思うのは、ただ自分1人で聞いたんじゃなくて、それは、いつ、どこで聞いたもので、まわりには弟子のだれそれとだれそれと・・・と、何十何百の人の名をあげて、だから間違いない、とあるんです。
「私らがお経を読んだり聞いたりできるのも、その、ああ、よかった、といった悪いお弟子のおかげなんだねー」
お経会の級長さん、なかなかいいことをいう。
あちらでは、そのお経を木の葉に刻んで残したそうですが、つい一ヵ月前には、黄金の板に刻んだお経が発掘されて、大さわぎ。博物館の特別室には、たくさんの仏教徒が列をつくって、手を合わせていました。

ところで、仏を慕う心は、お経だけでなく何かこう、礼拝の対象をこしらえよう、ということになってくる。それが、おばあちゃんのいうデッカイ墓-仏塔-おしゃか様の足あと-仏足石となり、だんだんと、立体化して、仏像へとすすんでくるんです。お寺とか、仏壇というのは、そういう二千数百年の仏様を慕う心の歴史の中でできてきたものなんですよね。

そう、慕う心といえば同行のおばちゃん。仏様もさることながら、死んだご主人の形見の手帳を肌身離さず、毎晩、「とうちゃん、今日はここへおまいりしました」と書き込んでいたみたい。
「こらぁ、若ハン、バラしたらだめー」


昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。

「お茶の間説法」(37話分)
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