人は育てる側によって育つ

おはなを かざる
みんな いいこ
きれいな ことば
みんな いいこ

入学式になると思い出すのがこのことばです。昭和22年。なにやら世の中、ガタガタの時でありました。もうすぐ学校だからというんで、兄貴の教科書で勉強せい、ということになって、ヘイタイサン コンニチワ みたいなこといって、勉強しはじめたら、アカンアカンそれはもうアカンといわれ、なんのこっちゃわからずに学校へいったら、1年の国語の教科書をいただいて、ひらいてみたらこれでした。

おはなを かざる みんな いいこ

なにやら知らんがうれしかった。というのは、うちの父が花が好きで、戦争から、帰ってきた次の日から境内の畠にガーベラやら、ポピーやら、デイジーやら、スイトピーやらとにかくカタカナの花を、植えたり、まいたりしはじめた。当時ものすごくめずらしかった蘭の一種で、シプディペデウムなんて花も、どこやらからもらってきたといって、その名を何度もいわされたことを覚えています。

まあ、そんなことで、おはなをかざったり、きれいだといってほめたりすることが身についていたから、この教科書を読んだとたんに、ワァーッ ボクはいい子ナンダ!と思い込んでしまったわけ。で、次が、きれいな ことば みんな いいこ。これはもう全然アカンわけで、当時は大阪弁まる出しで、ナニイウテンネン アホ、などとやっておりました。でも、いい子は、きれいなことばをしゃべらんといかん、どうしようと思っていた折も折、学校内に演劇部ができた。情操教育で心を豊かに、ということなんでしょうが、1年から6年までの選抜で、村田先生という方が指導に当たられた。

その第1回公演で、なんと主役が当たった。題は「村のお地蔵さん」。寺の子で頭がクリクリだったから、選抜されたんでありましょう。コレ!動いたらだめ!お地蔵さんはジッとして、目をつぶってなさい。そうでないと張りぼてのお地蔵さんにしますよ!えらいきびしかった。智恵熱出しながら直立不動でがんばった。これが大阪府のコンクールで準優勝。そのご縁で、NHKの児童劇団に入って、当時やかましかった標準語というヤツを勉強することになった。

きれいな ことば みんないいこ は1年たらずで身について、授業中でも、朗読になると、私に当たって、それこそ、いいこぶりっ子で読んだものです。でね、何がいいたいかと申しますとですね、とにかく小学校1年の国語の教科書はこわい、小学校の先生はすごい、ということなんです。だってね、私はそれから大学を出るまで、終始一貫、きれいなことば、みんないいこの追求で、演劇科を専攻し、あわや新劇の役者になりかかった。これみな、小学校の教科書と、演劇の好きな先生がご縁になっている。その後、新聞社に入って、確かめてみたんですが、編集記者志望の同僚のほとんどが、小学校の時、作文のきびしい先生だったり、習字の上手な先生だったりで、きれいなことばを書くことが好きになった連中ばかりなんです。

人は育てる側によって育つ、というのは本当なんですよね。すごい、と思うより、こわい、という感じ。あなた、小学校の時、どんな教科書でした?どんな先生でした?


昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。

「お茶の間説法」(37話分)
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