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夏の行事

こども盆おどり

善巧寺の夏のメイン行事は「こども盆おどり」です。
この行事は、昭和52年から始まった行事で、当時の壮年会(夢を語る会)が定例会中に、長老がその昔寺の境内で盆踊りをしていた話を聞き、復活したのが始まりです。村の盆踊りは毎年行われているため、善巧寺では子供に焦点を当てて、子供たちが踊る「こども盆おどり」として打ち出しました。

盆踊りの案内は住職親子で浦山全軒をポスティングし、うらやま保育園にも児童たちに配布してもらいました。盆踊りの準備で特に人手が必要なのはちょうちん吊りです。本堂内のちょうちんは先に用意しておき、メインの境内ちょうちんは力を貸してくれると言ってくれた高校生たちの予定に合わせて2日前に行いました。

小学生もたくさん参加してくれて、ちょうちん吊りのあとはバーベキューを楽しみました。

当日は18:30より本堂でのおつとめから始まります。

おつとめの後はお寺クイズで仏さまの話に触れてもらい、そのまま本堂の中で1回踊りの練習をしました。2回目は外へ出て本番です。

縁日は、ボール投げ、輪投げ、ヨーヨー、やきそば、ポップコーン、わたがし、カキ氷、ドリンクコーナーの8店でした。

8時頃に2回目の踊りがはじまりました。

今年も中高生たちが協力してくれて、遠方からの助っ人も加わり大いに盛り上げてくれました。お祭りごとは準備期間を合わせて1ヵ月ほどの大きな労力がかかりますが、参加者の笑顔でその疲れを吹き飛ばしてくれます。

お盆参り、納骨壇追悼法要

8月16日はお盆参りです。今年1年に葬儀のあったご家庭の初盆と、納骨壇へお入りの方の追悼法要を行いました。

お寺で怪談 by 黒西組

昨年から黒部市と魚津市の浄土真宗本願寺派の寺院グループ「黒西組(こくせいそ)」で夏のイベントを開催しています。今年は荻生の称名寺で「お寺で怪談」を開催しました。称名寺は広い駐車場、広い境内、冷暖房完備の本堂など県内でも屈指の環境が整ったお寺です。今年は特に暑かったので本堂の冷房はお客さんにとってとても快適だったと思います。複数の寺院が協力して行われる行事はスタッフも充実していて、今年はご婦人方や中高生までがスタッフで参加しました。このイベントで特に驚かされたのは、お寺、怪談、夏というのがよほど相性がよいのか、開催日の10日前にはチケットが完売する人気ぶりです。当日は近くの保育園から縁日に遊びに来る親子も多数おられ、総勢200名を超える人で賑わいました。

展覧会「愚禿」大盛況に終了

4月27日から5月12日までの展覧会「愚禿(ぐとく)」が無事に終了しました。2回定休日を入れて計14日間、休日は100名以上、平日でも50名前後の参加者があり、計1200名以上の方がお越しになりました。ゴールデンウィークを挟んだため、親子での参加も多くあり、たまたまご法事のあたった参拝者にも漏れなくご案内させていただきました。駐車は善巧寺向かいの土地をお借りして臨時駐車場として対応しましたが、ピーク時には満車になり、これ以上になると他に駐車場を借りて誘導スタッフが必要になるため、現在の体制ではこれが限界値です。

境内には大型作品が立ち並び、本堂の受付から展示会場へ。清河北斗さんの15年分の代表作が客間、裏庭、はなれ、お蔵に展示されました。今回の依頼作「愚禿-親鸞聖人像-」は1番奥のお蔵に安置し、空気が一変する空間で親鸞聖人とご対面。多くの感嘆の声が聞かれました。その一端をご覧ください。

愚禿アルバム

紹介動画

SNSの反応

見応えのある作品群を前にスマートフォンやカメラで撮影する方も多くあり、SNSにたくさんの写真が上がっていました。SNSの投稿はこちらからは声の届けられない人に声が届いたり、背中を押してくれる可能性があるため、とてもありがたいです。フェイスブック、インスタグラム、X(旧Twitter)などの投稿をこちらにまとめました。

インスタグラム、Xなど
後半にフェイスブックの投稿をまとめてあります

撮影ポイント

SNSの投稿で特に多かったのは、今回メインの親鸞聖人像(2024)をはじめ、大型作品の象駆輪金剛力士座像(2009)、展示室①の水着のお姉さん(2017)でした。今回の展示ではサブ的な立ち位置であった裏庭のカメや道案内のネコが多く撮られていることも興味深いです。また、展示作品に限らず、大イチョウや内陣天井画など、さまざまな場面をご覧いただきました。

オテラ・ザ・エキシビジョン「愚禿」はじまる

4月27日よりオテラ・ザ・エキシビジョン「愚禿」が始まりました。3連休は初日から多くの方で賑わい、ピーク時には駐車場が間に合わないほどでした。初日の夜には、清河北斗さんと善巧寺住職による対談を行い、5月1日のほっこり法座では、親鸞聖人像が納められたお蔵で制作過程やその想いをお話いただきました。

4/27 レセプション

会場について

善巧寺の境内と休憩所(会館)は自由観覧になっています。早めにご到着の方は休憩所をご利用ください。飲食の持ち込みも可能です。

展示室

本堂に入り受付をしていただき、展示室①(空華殿)、展示室②(甘露室)、渡り廊下を通って、展示室③(はなれ)に続きます。

親鸞聖人像(展示室④)

最後は今回の依頼作品「親鸞聖人像」が鎮座する「お蔵」にお入りいただきます。親鸞聖人と対峙するため、扉の開閉を促す注意書きを記しています。

撮影:柳原写真事務所

SNSまとめ

こちらにTwitterとInstagramの投稿をまとめました。

以下、Facebookの投稿です。他に友達までの公開(シェア不可)でたくさんの投稿が見られます。こちらからは届かない人たちに情報が回っているのでとてもありがたいです。

愚禿 gutoku
-OTERA THE EXHIBITION 4th-
清河北斗作品展 HOKUTO KIYOKAWA ART WORKS
期間:2024.4/27(土)~5/12(日)
時間:13:00~17:00(火曜定休)
会場:白雪山善巧寺
入場料:500円(高校生以下無料)

花まつりマルシェ2024アルバム

4月21日、花まつりマルシェを開催しました。雨が危ぶまれましたが、なんとか曇り空で持ちこたえてくれてました。初参式と七五三1組ずつの受式者を迎え、仏前でお祝いの儀礼を行いました。

マルシェは境内と会館に11店舗。今回は照明店のgleetecさんをはじめ半分ほどが初参加のお店となりました。フリーライブは昨年に続き「状況劇団パッチ」さん。小雨の可能性を避けて本堂の中で行いました。縁側にも飛び出してくれて、アグレッシブで自由なパフォーマンスを披露してくれました。また、今回は来週からの展覧会に合わせて、清河北斗さんの作品「一卵性双生馬人」が縁側に登場。多くの方が写真を撮っていました。

愚禿-OTERA THE EXHIBITION-

鎌倉時代、自らを「愚禿(ぐとく)」と
名のる僧がいた。親鸞という。

愚禿の「愚」は愚か者の自覚、
「禿」は頭を剃るでもなく
伸ばすでもなく
中途半端な姿をあらわす。
それは、へりくだって
自虐しているのではなく、
佛と対峙することによって
写し出される自らの姿であった。

その親鸞像の制作に作家の
清河北斗が挑む。
彼もまた、作品に向き合い
手掛けることによって、
内省を深めていくのであろう。


愚禿 gutoku
-OTERA THE EXHIBITION 4th-
期間:2024.4/27(土)~5/12(日)
時間:13:00~17:00(火曜定休)
会場:白雪山善巧寺
入場料:500円(高校生以下無料)

清河北斗作品展
HOKUTO KIYOKAWA ART WORKS
清河北斗| 1974年富山県生まれ。 東京芸術専門学校卒。2009年STUDIO/HOT設立。 2011年パリジャパンエキスポ出展、2015年個展「仮様」下山芸術の森発電所美術館、2017年「舞台の上の美術館Ⅱ 巨無と虚無」AUBADE HALL富山、2023年清河北斗展「SCULP FICTION」@btf東京など。


OTERA THE EXHIBITION(オテラ・ザ・エキシビジョン)は、善巧寺の蔵や客間を展示スペースとしたアート企画です。お寺の伽藍は古来より作家や職人と共に歩んできた道のりがあり、その流れを汲んで、現代作家による展覧会を行っています。出展作家には、仏教をテーマにした作品を一点依頼し、その作品を中心に会場全体がアートスペースに生まれ変わります。お寺を舞台にした現代作家の新たな息吹をお楽しみください。

企画・問合せ:白雪山善巧寺
富山県黒部市宇奈月町浦山497

紹介動画

清河北斗作品

展示会場


これまでの OTERA THE EXHIBITION

花まつりマルシェ2024

2024年の「花まつりマルシェ」は4月21日(日)に開催します!
お釈迦さまの誕生をご縁に、境内いっぱいに飾り付けられたチューリップの中で、魅力的なお店が並びます。本堂では、赤ちゃんの誕生を祝う「初参式(しょさんしき)」と子供の成長を祝う「七五三」が行われます。どなたもご参加心りお待ちしております。

花まつりの流れ

前日20日(土)
9:00~15:00 花つみ&花かざり
当日21日(日)
10:00 初参式、七五三
10:40 マルシェスタート
11:30 ライブ&パフォーマンス
14:00 お花シャワー、終了予定

ライブ&パフォーマンス(11:30)

状況劇団パッチ
歌と美術のお遊戯会”をテーマにしたオトナコドモの世界。パペットやてあそび、大胆な美術と衣装を身に纏い、歌謡曲や唱歌を歌うユニット。

マルシェ出店紹介(10:40~14:00)

ひみつカレー
氷見からやってきたテイクアウトカレー専門店。誰でも食べやすいスパイスカレーをどうぞ。
>> Instagram

Ume Kitchen
ドッグパン屋。ソーセージやベーコン、いちごやあんこまで、いろんなメニューがあります。
>> Instagram

takozaki
富山で移動販売車にてたこ焼き焼いてます♪出汁がきいたトロッ♪フワッ♪な本場大阪たこ焼きをご賞味あれ
>> Instagram

源七
郷土料理”芋かいもち”を現代の暮らしに合わせて再編集。新感覚の「もちもなか専門店」
>> Instagram

ミユク
名水の里、黒部の地場産フルーツや地粉など使用して作った体に心に優しいケーキやお菓子を作っています
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ランパラコーヒー
実店舗がまだない珈琲屋。丁寧に自家焙煎したコーヒーをハンドドリップでご提供します。香りに癒されてください♪
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gleetec
照明雑貨やフラワーベース、器etc.インテリアが楽しくなるアイテムをセレクト。
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gemini
古代米を使ったアクセサリーやレジン。インクアート作品など委託販売。
>> Instagram

chienowa
北海道産の天然のどんぐりで作った雑貨を中心に出店


ワークショップ/会館(10:40~14:00)

シェアサロン02
美しい発色を長期間楽しめる『ハーバリウム』自分好みのハーバリウムを制作。
時間:約30分〜60分
ボトル1本1200~2300円(税込、材料費込み)
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CraftRie
さをり織り体験のワークショップ「コースター制作」
時間30分/500円
>> Instagram

チューリップシャワー(14:00)

初参式(しょさんしき)

~赤ちゃんの誕生を仏前に祝う儀礼~
新たな命の誕生をよろこび、初めて仏さまにごあいさつをさせていただく大切な儀礼です。一生の記念にどうぞご参加ください。
時間:10:00(受付9:30)
対象:生後100日~2才頃まで
参加費:3,000円
申込み締切り:4/14

七五三

~こどもの成長を仏前に祝う儀礼~
新たな命の誕生をよろこび、初めて仏さまにごあいさつをさせていただく大切な儀礼です。一生の記念にどうぞご参加ください。
時間:10:00(受付9:30)
対象:3才、5才、7才
参加費:3,000円
申込み締切り:4/14

【注意事項】
・駐車は「うらやま交流センター」へお停め下さい。

初参式・七五三を募集します。

2024年4月21日(日)開催の花まつりマルシェにて、こどもの誕生と成長をお祝いする儀礼を執り行います。花まつりとはお釈迦さまの誕生をお祝いするおまつりです。その日に合わせて、赤ちゃんとこどもたちの誕生や成長をお祝いします。

初参式(しょさんしき)
~赤ちゃんの誕生を仏前に祝う儀礼~
新たな命の誕生をよろこび、初めて仏さまにごあいさつをさせていただく大切な儀礼です。一生の記念にどうぞご参加ください。
日時:4月21日(日)10:00~10:40(受付9:30)
対象:生後100日~2才頃まで
参加費:3,000円

七五三
~子どもの成長を仏前に祝う儀礼~
3才、5才、7才は、昔から人生の節目とされてきました。今日まで無事に成長したことに感謝して、仏さまの前でお祝いする儀礼を行います。
日時:4月21日(日)10:00~10:40(受付9:30)
対象:3才、5才、7才
参加費:3,000円

初参式・七五三の流れ

春のほっこり法座

ココロとカラダのデトックス。春のほっこり法座の予定です。
お寺の本堂で心静かに仏さまのお話を聞きましょう。
初めての方も大歓迎。どなたも心よりお待ちしております。

参加費:1,500円(昼食代込み)
持ちもの:じゅず/服装:自由

ゼロから味わう仏教
3月1日(金)11:00~12:00
講師:日下賢裕(加賀市・恩栄寺)

知ってるようで知らない仏教の「キホン」をゼロから味わう連続講座。スライドを使ったり、毎回復習も行いながら進めていきますので、はじめての方でも安心してご参加ください。

立山信仰と立山曼荼羅
3月16日(土)10:00~12:00
講師:福江充(北陸大学教授・善住寺)

立山曼荼羅は、越中立山にかかわる山岳宗教、立山信仰の内容が網羅的に描かれた掛軸式絵画「立山曼荼羅」をとおして、先人たちが培ってきた様々な思想や宗教観を考えてみます。

親鸞聖人の生涯①
4月1日(月)11:00~12:00
講師:雪山俊隆(善巧寺)

今年は浄土真宗が開かれて800年の記念イヤーです。親鸞聖人の生涯をご誕生から順に解説し、その歩みをとおして学びを深めていきたいと思います。

屋外の人物像日本一は親鸞聖人像

全国で人物像が1番多いのは親鸞聖人じゃないのか?!という仮説のもと、昨年11月からGoogleマップで親鸞聖人像を集め出しました。浄土真宗のお寺は全国に2万1千ヶ寺以上あります。そのリサーチがようやく終わりました。

2023年10月16日現在、親鸞聖人像の総数は「2,676体」です!

1番多く見られた県は広島県でした。浄土真宗寺院の数に対する設置率(31%)が非常に高いです。次いで、真宗寺院が最も多い滋賀県でした。そして兵庫県、大阪府と関西が続きます。

全体の寺院数に対する像数の割合いは13%です。像数は寺院数に比例していない地域も多く、愛知、富山、新潟、石川などは、寺院数は1,000ヶ寺ほどと全国でもトップクラスに多い地域ながら像数の割合は低めでした。特に富山県は銅像の9割が高岡で製造されているので設置率も高いと予想していましたが、意外に少ない結果となりました。

日本一の密集地帯は、滋賀県の彦根市周辺です。直径10数キロの間に140体の像があり、どこを歩いても1キロごとに遭遇できる、犬もあるけば聖人像に当たる地帯です。

彦根  58体
愛知郡 26体
犬上郡 26体
東近江 30体

寺院数に対する割合が特に多いのは栃木県と茨城県でした。いずれも親鸞聖人ゆかりの地でもあり、50%ほどの高確率で設置されてありました。また、浄土真宗の中でも本願寺派に多く見られる傾向があり、これは親鸞聖人像の普及を牽引した広瀬精一氏が本願寺派の別院等に多く寄贈された影響が伺えます。

参考までに全国の真宗寺院数も載せておきます。

-余談-
これらの銅像、石像の歴史はそれほど古くはなく、戦時中に金属召集令によって銅像、梵鐘など鋳物類はすべて取り上げられたため、現存するほとんどの像は戦後のものです。また、人物像自体が西洋の文化の影響を受けているので、日本においては近代の現象といえます。ここに登録した2000体以上の像の多くは昭和に作られています。高度経済成長期に日本が豊かになっていく過程で、多くの像がお寺や学校、市町村に寄贈されました。この寄贈によって生まれた文化ということも重要なことです。等身大でも車1台ほどの予算がかかる銅像をお寺に寄贈するに至った経緯は、それまで育まれた関係性をあらわしていると思います。

親鸞聖人のご誕生850年の年に軽いノリで始めた企画でしたが、銅像の制作者や銅像マニアの方たちとも交流が生まれ、最近では浄土真宗冊子「唯」への情報提供や「築地本願寺新報」からの原稿依頼もいただきました。先月から強力な助っ人(ふかみどりさん)もあらわれかなりスピードアップ。登録フォームからも多数情報をいただきありがとうございます。

寺院名簿からのリサーチはひとまず終了しましたが、Googleマップ上ではストリートビューがお寺の敷地に届かない場所も多くあるため、まだ未登録も相当数あると思われます。親鸞聖人像の情報をお持ちの方がおられましたら是非登録フォームよりご登録ください。

親鸞聖人像登録フォーム

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「慶讃法要ご親教」に寄せて

本願寺では、親鸞聖人のご誕生850年、宗派が開かれて800年の慶讃法要が、3月から5月にかけて30日間行われました。その折に、毎回、本願寺の代表・大谷光淳門主(専如門主)よりご親教(法話)が読まれていました。問題となっている「新しい領解文」に関しても述べられているので、その箇所を抜粋して思うところを書いておきます。ブルー背景の箇所が専如門主のお言葉です。


今日、核家族や少子高齢化、過疎化など社会構造が急速に変化し、従来のように地域社会のなかで、また世代間を通して、み教えが伝わっていくことが非常に困難になってきています。

おっしゃるとおりです。核家族化は50年以上前からはじまり、少子高齢化は20年以上前から言われ始めました。この期間に我々はなすすべもなく時を過ごしてしまったことに、慚愧の想いと無力さを痛感しております。

このように社会状況や人々の意識が変わるなか、み教えを誰もが理解できるように、わかりやすく、時代に合った言葉で伝えていくことが、伝道教団である私たちの使命であると言えましょう。

そのような取り組みはとても大事だと思います。しかし、「新しい領解文」は、「誰もが理解できるように、わかりやすく、時代に合った言葉」にはなっていません。「弥陀のよび声」「愚身」「自然の浄土」「仏恩報謝」など、一般用語ではない言葉が使用され読み方もままならず、誰もが理解はできません。誤解を生みやすい表現も多用されているので、わかりやすくありません。また、唱和を推奨するという手法が時代と大きくズレていると思います。

以前、教育勅語を保育園児に読ませていることが社会問題になっていましたが、本願寺においても、数年前から「私たちのちかい」を本願寺派の関連学校に唱和させていると聞いて愕然としました。「新しい領解文」も各所で唱和が推進され、次代を担う僧侶たちの得度でも暗唱が義務付けられたと聞いています。これは、経典のように確立した言葉を儀礼として唱和することとは全く違います。若い人たちへ半強制的に読ませる行為は、重々気を付けていただきたいです。

石上智康前総長が若かりし頃は唱和ブーム真っ只中、一体感や全体の士気を高めることが強く求められた時代で、唱和には一定の力があったと思います。しかし、多様性が進んだ現代においては、個々の同意がない限り反発を生む可能性も高く、よほど慎重に進めないと支持されないでしょう。今まさに、その反発が起こっています。

親鸞聖人は『御消息』の中で、「浄土真宗は大乗のなかの至極なり」と述べられています。大乗のなかの至極とは、大乗仏教の根本精神である智慧と慈悲、自利と利他が、究極的に一つのこととして成り立つ根底にまで至ることであり、このような立場が、「生死即涅槃」とか「煩悩・菩提体無二」といった仏智の側の言葉で語られます。そして、ここにおいて、名号による阿弥陀如来の「そのままの救い」が、煩悩を抱えた私の身の上で成り立っているということができます。

ご説明のとおり、「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」という表現は丁寧な解説がないと誤解されやすいです。解説が必須という時点で矛盾していますが、その解説も「誰もが理解できるようにわかりやすく」するのはかなり困難で、余計に混乱を生む可能性があります。勧学寮による解説と同様に、この説明もいったいどれほどの人が理解できるのでしょうか。

浄土真宗は他力回向の信心をいただいて、凡夫は凡夫のままに、そのお慈悲によって救われるという教えです。しかし、み教えに出遭う前と後で全く同じということではありません。如来のおさとりの真実に遇わせていただくことで、これまでとは全く違った新しい生き方が始まります。それは自分だけの安穏を願うような自己中心的な生き方から、全ての人の苦悩を自らの苦悩とするような生き方への転換です。そして、そこから仏恩を念報しつつ、そのお心にかなうよう精進努力する念仏者の生き方が開かれてくるのであり、その精進努力するままが、如来のお慈悲によって生かされている姿なのです。

今、多くの僧侶と門信徒が、「新しい領解文」をどのように受け取ればよいのかわからず苦悩しています。自分自身が受け取れない言葉は人にも勧められません。そのような状況においても、現場の声には一切耳を傾けずに推進しています。私の想いと本願寺の方針に大きなズレが生じて悩んでいます。この想いを人に伝えてよいものかどうかで悩んでいます。内部に声が届かないならば社会に訴えていくべきかどうかでも悩んでいます。

これらの苦悩は、「新しい領解文」の唱和を推奨する方たちにとって、「自らの苦悩」と受け取っていただけますか?受け取っていただけるならば、本願寺の教えを司る勧学寮、もしくは代表のご門主がご対応ください。渦中にお辞めになった前寮頭の徳永一道勧学にも真相をすべてお話いただきたいです。本来は、これらを主導している総長が答えるべきですが、石上智康前総長も池田行信総長も、責任放棄のスタンスを貫き、宗報6月号においても「門主と勧学寮をはじめ、まわりの責任」という内容を繰り返しおっしゃっているので、軌道修正する見込みは持てません。池田総長は「強制ではない」と公言されているので、ならば、得度での暗唱を義務付け唱和させることと、関連施設での唱和は真っ先に取止めてください。完全に強制的です。どうぞよろしくお願い申しあげます。

このたびの、新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)が、従来の『領解文』の精神を受け継ぎ、智慧と慈悲という如来のお徳を慕いつつ、仏智に教え導かれて生きる念仏者の確かな指針となりますことを願っております。

従来の領解文の「雑行雑修自力の心を振り捨てて」という信仰の在り方や、「後生の一大事」という視点が欠けているなど、その精神を受け継いでいるとは思えません。よって、確かな指針にはなりません。

そしてこれからも、「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と願われた親鸞聖人のお言葉を胸に、すべての人々が心豊かに生きていける社会の実現に向け、ともどもに歩み進めてまいりましょう。

現在の本願寺の方向性に大きな不安があり、心豊かに生きられません。この私の苦悩は「すべての人々」に入れていただけますか?

「すべての人々」とおっしゃるならば、従来の領解文を大事にしてきた人たちにも思いを馳せてください。子どもの頃から日々読み続け、慣れ親しんでいる人たちがたくさんいます。浄土真宗にご縁のある者が正信偈に慣れ親しんでいるのと同様に、領解文で育った人たちがたくさんいます。

領解文は、普及している地域と、していない地域の温度差が激しく、石上前総長や池田総長の地域は普及していない地域ですね。本願寺においても、あまり使用されていないので、ご門主も領解文はさほど慣れ親しんでいないのかもしれません。

ちなみに、私のお寺も1つの会を除き領解文は使用していないので、あまり慣れ親しんでいません。それでも、大事にしてきた人たちの声を聞くと、その想いが伝わってきます。その憤りを少しだけ感じることができます。

「全ての人の苦悩を自らの苦悩とするような生き方」をほんの少しだけでも意識していただけませんか?

唯一の解決策はいたってシンプルで、「新しい領解文」を取り下げること。親鸞聖人が著書を繰り返し修正していたことを考えると、長年熟考された形跡もない言葉が、一発で完璧なものとして完成したとするほうがあり得ないことです。新しい試みをされたのならなおさらです。

それでも、どうしても制度上取り下げることが出来ないならば、取り下げられない制度自体を変えていくために、組織の構造を抜本的に変えていくしかないと思いますが、そのような時間をかけている猶予が我が宗門にはあるのでしょうか。

現在の状況を鑑みると、旧来のように黙して忘れられるまで待つという策は問題を悪化させるだけです。今回の出来事は忘れません。さまざまな経緯や対応もインターネット上と手元の資料として残り続けます。10年後も昨日の出来事のように情報が残っている環境です。問題意識を持っている人の多くは、軽率な発言や行動にならないように慎んで、耐え忍んでいる状況だと思います。身内の苦しみに目を向けてください。


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