投稿者「zengyou」のアーカイブ

親鸞聖人像マップ

日本一たくさんある銅像はどなたでしょうか?
銅像データベースサイトでは、二宮金次郎、空海上人、日蓮上人の3名が推測1000体以上と記されていますが、おそらく親鸞聖人はそれを上回ると思います。善巧寺の界隈のグループでは12ヶ寺中、3ヶ寺に親鸞聖人像がありました。全国に浄土真宗寺院は2万ヶ寺ほどあるので、その1割だとしたら2000体です。もし2~3割あるとしたら4000~6000体になります。浄土真宗系の学校や保育園にも見られますし、道路沿いや田畑にある場合もあります。

あまりにも当たり前のようにあるため声高に叫ばれることはありませんが、その影響力の一端を伝えるために親鸞聖人像をまとめることにしました。2023年は親鸞聖人の生誕850年になります。

傘をかぶり杖を持った旅姿がスタンダードですが、全国には特徴的な像もいろいろありますので、特に気になる5体をピックアップします。

海を渡った被爆親鸞聖人像
アメリカのニューヨーク仏教会に設置されている親鸞聖人像です。こちらは、広島で被爆した像を移設したものです。

詳しくはこちらをご覧ください。
>> 海を渡った被曝親鸞聖人像(よみタイム)

一木造りの親鸞聖人木像
落雷被害を受けたモミの木を活かしてチェーンソー作家が手掛けた像が岩手県住田町の浄福寺にあります。完成から5年後には劣化を防ぐために液体ガラスのコーティングがされました。

関連サイト
>> 東海新報

40メートルの巨大親鸞聖人像
大きい!ひたすら大きい!新潟県胎内市の海沿いにあります。

住所:新潟県胎内市中村浜2-29

幼少の親鸞聖人像
親鸞聖人が9才で出家得度した京都の青蓮院にある童形像。親鸞聖人の足跡を辿る時には欠かせない場所です。

>> 青蓮院

親鸞聖人ファミリー像
茨城県水戸市・信願寺のファミリー像。親鸞聖人が新潟から関東へ向かった時の様子が伺えます。

住所:茨城県水戸市緑町1-2-1


親鸞聖人像マップでは全国各地にある像を集めています。情報をお持ちの方はマップに掲載されていないかを確認の後、登録フォームよりお送りください。
>> 親鸞聖人像登録フォーム

ご冥福をお祈りします

亡くなった方に対する「ご冥福をお祈りします」という慣用句は、浄土真宗においてたびたび問題にしてきました。何が問題なのか、冥福とはなにか、「冥」という字にはどんな意味があるのかを改めて整理します。

まずは文字の意味から。


①死者の面を覆う面衣
②くらい、ふかい、おくぶかい、めにみえぬ
③とおい、はるか、かくれる、しずか、だまる、たちこめる、よる
④おろか、まよう
⑤めがくらむ、めくるめく

字通/白川静

文字の象形からくる意味は「①死者の面を覆う面衣」です。他にポジティブな意味としては「ふかい、おくぶかい」という意味があり、ネガティブな意味では「くらい、おろか、まよう」とありました。使う場面によって両方の意味が見られます。

次に一般的な意味として広辞苑を見てみましょう。


目には見えない神仏の働き

冥福
①死後の幸福
②人の死後の幸福を祈るために仏事を修すること

広辞苑

「目には見えない神仏の働き」というのは、だいぶポジティブな意味合いとして見受けられます。そして「冥福」は、「死後の幸福」ということなので、亡くなった人の幸福を願う言葉となっています。

では、仏教辞典ではどうでしょうか。


①闇黒。くらやみ。無知にたとえることから、無知と同義語として用いられる。仏はこの闇黒なる無知を滅したものとされる。
②冥合。ぴったり合う。一致する。
③冥々のうちにまします神仏。

仏教語大辞典

冥福
冥界(死後の世界)における幸福。また、死者の冥界での幸福を祈って仏事をいとなむこと。「魏書」崔挺伝に「八関斎を起し、冥福を追奉す」と見える。また、冥々のうちに形成される幸福の意で、前世からの因縁による幸福、かくれた善行によって与えられる幸福をいう。「毎(つね)に国家のために、先づ冥福を巡らす)

岩波仏教辞典

「冥界」=「死後の世界」と位置づけられ、その幸福を祈る意味なので、広辞苑とほぼ同じ説明です。続けて、中国の魏書にこの言葉が見られることが紹介されています。一説には冥福という言葉は、仏教から生まれた言葉ではなく、中国から伝わり様々な文化が入り交じっているとも言われます。

では、お経にはどのように使われているのか、浄土真宗の聖典から「冥」の字を含む箇所を抜き出してみました。

ポジティブな表現
・冥に加して、願わくは摂受したまえ(帰三宝偈)
・冥衆護持の益(教行信証 信巻)
・冥衆の照覧をあおぎて(口伝鈔)
・諸天の冥慮をはばからざるにや(口伝鈔)
・冥衆の照覧に違し(改邪鈔)
・祖師の冥慮にあいかなわんや(改邪鈔)
・三世諸仏の冥応にそむき(改邪鈔)
・冥加なきくわだてのこと(改邪鈔)
・冥眦をめぐらし給うべからず(本願寺聖人伝絵)
・聖人の弘通、冥意に叶うが致す所なり(嘆徳文)
・真実に冥慮にもあいかない(御文章)
・冥加の方をふかく存ずべき(蓮如上人御一代記聞書)
・冥慮をおそれず(蓮如上人御一代記聞書)
・冥見をおそろしく存ずべきことなり(蓮如上人御一代記聞書)

ネガティブ表現
・三垢の冥(無量寿経)
・窈窈冥冥(無量寿経)
・矇冥抵突して経法を信ぜず(無量寿経)
・悪気窈冥して(無量寿経)
・幽冥に入りて(無量寿経)
・苦より苦に入り冥より冥に入る(無量寿経)
・世の痴闇冥を除く(無量寿経優婆提舎願生偈)
・除世痴闇冥(無量寿経優婆提舎願生偈)
・無数天下の幽冥の処を炎照するに(教行信証 真仏土巻)
・世の盲冥を照らす(教行信証 真仏土巻)
・このさかい闇冥たり(執持鈔)
・闇冥の悲歎(口伝鈔)
・五道の冥官みなともに(浄土和讃)
・よろずの神祇・冥道をあなずりすてたてまつる(親鸞聖人御消息集広本)
・閻魔王界の神祇冥道の罸(親鸞聖人血脈文集)

ポジティブな表現としては、「冥加」「冥慮」「冥見」などが見られ、特に浄土真宗において絶大な影響力をもつ蓮如上人に多く見られます。ここでは、「冥」を目に見えぬ働きの意味で使われ、諸仏や菩薩、阿弥陀如来の力をあらわす言葉として使用されています。一方で、ネガティブな表現は、「闇冥」「盲冥」など、「くらい」「まよい」の意味を含み、苦しみの世界(地獄、餓鬼、畜生)をあらわす場合があります。

浄土真宗においては、「念仏者はいのち尽きた時に阿弥陀如来の極楽浄土に生まれる」と説かれるため、「死後の幸福」を祈る必要はないと考えられています。だから、「ご冥福をお祈りする」という言葉を使用せずに「哀悼の意を表します」と置き換えることが推奨され、門徒さんたちや葬儀社にもそのように説明してきた歴史があります。結果、現在では、浄土真宗のみこの表現は使わないことを注意書きしている葬儀社が多く見られます。
※「祈る」という言葉にも反応する浄土真宗ですが今回は省きます。

私も知らない間にそれが当たり前だと思っていました。そして、「冥」という字のネガティブな意味を強調して教わってきたため、それを知らない方たちには伝えていく必要があると考えていました。亡くなった人は暗いとこにいってないよ!と正義感にかられて説明してきました。しかし、それは浄土真宗の中だけの話でした。一般的には常識的な言葉として使用され、天皇陛下や総理大臣も「ご冥福をお祈りします」という言葉で弔意をあらわしています。

何よりも、故人を想って弔意をあらわしている方に、表面的な言葉のダメ出しをすることは、それこそ失礼なことでしょう。相談されればこちらの考え方を伝えますが、その場合も、「冥」にはポジティブな意味もネガティブな意味もどちらも含まれた言葉で、仏さまのご加護をあらわす言葉としても受け取れることを踏まえていきたいです。その上で、浄土真宗の信仰を大事にされている方は、言葉を置き換えるだけでなく、故人に対して、心からの想いを自分の言葉で伝えることが何より大切でしょう。

最後に、私個人の受け取り方として、過去の喪主挨拶を掘り起こして添えておきます。今年、父の33回忌、祖父の27回忌、祖母の17回忌をつとめました。

父の葬儀より
父は最後に「やりたいことは全てやった。人生50年思い残すことはない。いい人生だった」と言っていました。くやしいし、哀しいけれど、あれだけ満足してお浄土に行き、8月に亡くなられたお父さんとも再会して、最高の笑顔で私達を見守ってくれていると思えば、何も言うことはありません。私達もこういう世界を支えに、短くはかない人生だけれど、精一杯生きて、今度お浄土で父に逢う時には、父の大好きだった言葉で、「逢えてよかったね」と言ってもらえるような素晴らしい人生をつくっていきましょう。
(平成2年9月21日 喪主挨拶)

祖父の葬儀より
思い返して見ると、入院までの祖父は、僧侶というより文学者としてのイメージがありました。そんな祖父が、入院してからはたびたび口から念仏がこぼれ、ある時は、蓮如上人や親鸞聖人の夢を見たと話してくれました。そういう夢を一度も見たことがない僕は、とてもうらやましく思い、同時にうれしくも思いました。

人間は人が亡くなった時、その人と関係が深ければ深いほど悲しみも深く、浅ければ浅いほど悲しみも少ない。そういう眼しか持ち合わせていない僕が、死ということを、生きるということを考えさせてもらえるのは、やはり、自分と関係の深い人の死に会う時かもしれません。しかし僕は、祖父の死を目の当たりにした時、自分には感情というものがないのか、とさえ思いました。身近なものの死にあいながら、自分も死ぬということを頭ではわかっていても、実感できないでいる。しかも、そういう中での悲しみさえ、時間とともに忘れてゆくのです。そんな僕も、葬儀までの間に、いろいろと考えさせられ、「いのち」を見つめることができました。

利井明弘先生がお通夜の法話の中でこういうことを言われていました。

「今、こうやって私達は本堂に座っておりますが、これを自分の力で座っておると思ったら大間違いや。私達は、目には見えない、言葉では言いあらわすことができない、大きなご恩の中で生かされておる。皆さん、それをよう味わってください」

流されている生活からは決して気付くことが出来ないことを、祖父のおかげで、今気付かせてもらっています。祖父と深く話すことが出来なかったことは悔やまれますが、今、家族と心から話し通じ合えることをうれしく思っています。念仏が口からこぼれながら死んでいった祖父をもてて、僕は幸せものです。
(平成8年寺報81号)

2,600年前のインド(観経の背景)

ブッダ(お釈迦さま)の誕生時のお名前は「ゴータマ・シッダールタ」といいます。

当時のインドは16大国に区分され、「マガダ国」と「コーサラ国」が特に大きな勢力を持っていました。シッダールタの育った「シャーキヤ族」は16大国には含まれず、小国として存在していました。そのため、近くの大国「コーサラ国」と同盟を組んでいました。

①シッダールタの母「マーヤー」はコーサラ国からシャーキヤ族へ嫁ぎ、後にシッダールタの妻となる「ヤショーダラ―」もコーサラ国の出身です。国同士の関係性を深める意図がうかがえます。

②マーヤーはシッダルタの出産後間もなく亡くなったため、妹のマハープラジャパティ―が次の妃となりシッダールタを育てました。

③シッダールタは、父シュッドーダナ王に従いヤショーダラ―と結婚し、息子ラーフラが生まれますが、間もなくして出家しました。最初に向かった地は、インドのあらゆる文化が集まるマガダ国でした。

④シッダールタは後に悟りを得てブッダとなります。その頃、マガダ国のビンビサーラとイダイケは、ブッダの教えに帰依し世界最古のお寺といわれる「竹林精舎」を寄進します。

シッダールタの従兄弟「ダイバダッタ」は出家してブッダの元で修行し、いつしかブッダ亡き後は自分が教団のリーダーとなっていくと自負しますが、それを断れたことを契機に、ブッダを恨むようになります。

⑤ダイバダッタのブッダに対する怨みは深く、2度殺害未遂を起こします。その後もあきらめず、次に、ブッダの絶大な支援者、マガダ国のビンビサーラ王へ怒りの矛先が向きます。王家では息子のアジャセにトラブルが絶えなかったため、そこに目をつけてアジャセに近づいていきました。

【アジャセ出生の秘密】
ビンビサーラとイダイケには子どもが授からず、悩んだイダイケは占い師を呼び相談します。3年後に仙人の生まれ変わりとして子供を授かると聞かされ、ビンビサーラに伝えたところ、3年は待てないと仙人の元へ行きます。仙人には事情を話し国のために自害することを命じますが、断れた結果、仙人を殺害しました。仙人は「生まれ変わってお前たちを怨み、殺す」と言い残しました。

間もなくしてイダイケは子供を授かりました。しかし、人ひとりを殺して宿った子に不安をもち、また占い師に相談します。その子はいつかビンビサーラ王を殺すだろうと聞き、イダイケの不安は膨らんでいきました。相談した結果、子供を高いところから産み落とし死なせることにしました。子供は小指にケガをしただけで命は助かりました。子供の泣き声を聞きイダイケは我に返り育てることにしました。

※この物語には諸説あり、もう一説には、ビンビサーラ王がシカ狩りに行った時、シカが全くいないのはそこにいた仙人のせいだと言いがかりをつけ仙人を殺害。仙人は死に際に「生まれ変わってあなたを怨んで殺す」と言い残したという話も残っています。

⑥アジャセはダイバダッタと親交を深め、ある時、【出生の秘密】を聞かされます。それを聞いて激怒したアジャセは、父のビンビサーラを牢獄に閉じ込め餓死させ、母イダイケも牢獄に幽閉しました。苦しみのどん底にいたイダイケはブッダに教えを請います。そこで説かれた教えが仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)です。悩み、怨み、怒りの中でしか生きられない者の救いが説かれています。

※相関図の中では、アーナンダが多聞第一、息子のラーフラが密行第一と言われ、釈迦10大弟子の中に含まれています。ダイバダッタにとって、弟のアーナンダがブッダの側近としてつねに一緒にいたことは、怨みを膨らませる一因になっていたのかもしれません。

※シッダールタの一族は、そのほとんどが出家しています。ブッダの影響力の大きさを伺えると同時に、シャーキヤ族の存続にも多大な影響があったのではないかと思われます。

※ブッダの晩年、シャーキヤ族はコーサラ国に滅ぼされます。そしてブッダ滅後、そのコーサラ国もマガダ国に併合されました。

※マガダ国のビンビサーラ(頻婆娑羅)、イダイケ(韋提希)、アジャセ(阿闍世)の3名は、この呼び名が普及しているため漢訳で記しています。

雅楽演奏会レポート

10月1日のほっこり法座特別編として「雅楽演奏会」が行われました。演奏者は富山妙響会のみなさんです。メンバーの中にはほっこり法座の講師として法話をしてくださった平野さんや村井さんもおられました。

開演はおつとめからスタートです。雅楽隊のみなさんにもご参加いただき、総勢14名での読経となりました。

演奏は、雅楽の定番「越殿楽(えてんらく)」からはじまり、現代曲の「赤とんぼ」や「遠き山に陽が落ちて」もありました。

曲の合間には、雅楽の概要や楽器の紹介を詳しくお話してくださいました。雅楽との距離が近づいたと思います。

善巧寺のランマに施されている迦陵頻伽(かりょうびんが)も紹介してくださいました。美しい声で鳴くことから雅楽の演奏をしている姿をしています。

最後は文字通りの曲「千秋楽(せんしゅうらく)」です。これで終わると思いきや、演奏後にアンコールの拍手がなり、もう一曲演奏していただきました。

終演後は、テイクアウトのカレー弁当を縁側や本堂で食べていかれる方もありました。妙響会のみなさま、ご参加のみなさま、ありがとうございました。

出演:富山妙響会
法要:善巧寺、照行寺、法輪寺、富山妙響会
協力:有馬啓、太田智紀、ごっちゃん、あやめ、せいわ
撮影:朝倉ゆかり
主催:善巧寺

バリア

ほんこさまが始まりました。ほんこさまは、正確には在家報恩講といい、親鸞聖人のご法事を各ご家庭でつとめる行事です。一年ぶりの方も、時折り顔を合わす方も、ホームへお迎えする側として、お寺で会う時とは少し雰囲気が違います。おつとめの後には少し談笑の時間があり、その時その年で話題は変わりますが、こちらが何かを伝える以上に、教えてもらう機会も多いです。

あるお宅では、長く営業のお仕事をされていた方に、お寺の行事のチラシを渡してこんな質問をしてみました。

「こういう行事をどうやって宣伝したらいいですか?」
その方の経験談を聞かせていただく話の流れで、
「なるべく嫌がられたくないんですよね~」と言ったところ、

そりゃ、あなたが勝手にバリアをはっとるがいにけ。自分がバリアをはったら相手も二枚も三枚も、もっとバリアはるちゃよ。それじゃあ熱意は伝わらんよ。

勢いに押されながら、ハッとしました。さすが百戦錬磨のベテランは説得力があります。何よりも熱意を伝えることが大事と改めて教えてもらいました。気弱な私はついつい、嫌われたくないなぁ、煙たがられたくないなぁと自分からバリアを貼って、相手との距離を余計に空けてきたのかもしれません。絶えない仏さまの灯火を私が消していました。定例行事はお寺の要です。これがなければお寺の存在意義は失うということを、熱意を持って伝えていきたいです。

雪山俊隆(寺報182号より)
> 寺報はこちら

LINE公式アカウントはじめました

善巧寺のLINE公式アカウントをつくりました。
善巧寺からのお知らせをダイレクトに受け取っていただける方はどうぞご登録ください。上記の画像にそってご登録いただき、「追加」をクリックすると善巧寺と直接やり取りできるようになります。仏事相談、お悩み相談、行事のお申込みなどご連絡お待ちしております。対応は住職の雪山俊隆が担当します。

画面下部にはこのようなメニューがありますので、合わせてお楽しみください。

「公式サイト」・・・こちらのホームページのことです。
「ライブカメラ」・・・善巧寺の境内の様子です。たまに途切れますことはご了承下さい。
「PR」・・・行事のチラシを掲載しています。
「寺報」・・・年4回発行のお寺の広報紙です。ホームページでは「ニュース」の中に入っています。
「超訳聖典」・・・浄土真宗でよく拝読される聖典の超訳です。
「ひとくち説法」・・・5~10分の音声法話です。

雅楽演奏会

10月のほっこり法座は、特別編として雅楽演奏会からスタートです。
雅楽は日本の古典音楽のひとつで、仏教音楽としても古くから用いられてきました。生の演奏はなかなか聞く機会がないと思いますので、どうぞこの折にご参加ください。

-特別編- 雅楽演奏会
10月1日(土)11:00~12:00
出演:富山妙響会
参加費:2,000円(弁当無500円引)
弁当:カレー(インド料理インディラ)

雅楽演奏を中心に、歴史的な背景や仏教とのつながりも聞いていきます。生の演奏をご堪能ください。

ブッダの生涯
10月16日(日)11:00~12:00
講師:雪山俊隆(善巧寺)
参加費:1,500円(弁当無500円引)

仏教を説いたお釈迦さま(ブッダ)はどんな人生を歩まれたのでしょうか。映画「リトル・ブッダ」の映像を参考資料にその足跡をたどります。

死を忘れた幸せ
11月1日(火)11:00~12:00
講師:飛鳥寛静(高岡・善興寺)
参加費:1,500円(弁当無500円引)

仏教は、人生の最も確実なことは死ぬことであると説きます。しかし私たちは死を遠ざけ、直視したくありません。なぜなのでしょう?みなさんと一緒に考えるひと時を過ごしましょう。

本当の自分

家での自分、学校での自分、職場での自分、友人といる時の自分、趣味に没頭している時の自分など、どれが本当の自分なのか?という問いに対して、小説家の平野啓一郎さんは、そのいずれもが「分人(ぶんじん)」であり、分人の集合体が「自分」であると提唱しています。

以前、「自分探し」という言葉をよく耳にすることがありましたが、人は環境や状況によって常に変化しているのに、一側面だけに限定してしまうことはとても窮屈です。平野氏がおっしゃるように、いろんな側面の自分がいることを受け入れられるようになると、少し生きやすくなるのかもしれません。

現在のように名前が固定されたのは、明治四年に制定された「戸籍法」以降のことで、それ以前は自由でした。親鸞聖人は、幼い頃の名を「松若丸」といい、九才で得度すると「範宴(はんねん)」という名を授かり、二十九才で法然聖人の弟子になった時には「綽空(しゃっくう)」の名をいただき、その後、「善信」、「親鸞」と名のっています。名前ひとつとっても、今は随分不自由になったような気がします。

環境によっても相手によっても様々な自分がいて、年齢を重ねるごとに変化していく自分もいます。阿弥陀さまの救いは、空間的にも時間的にも制限されないと説かれてあるのは、どんな自分にも漏れなく救いが行き届いていることをあらわしているのでしょう。阿弥陀さまの手の中で、自分を限定せずにのびのび生きたいですね。

雪山俊隆(寺報182号より)
>寺報はこちら

ほっこり法座(6月~8月)

仏さまの教えを生活の中に。ほっこり法座の予定です。

参加費:1,500円(昼食代込み)
持ちもの:じゅず/服装:自由

ブッダの生涯
6月1日(水)11:00~12:00
講師:雪山俊隆(善巧寺)

仏教を説いたお釈迦さま(ブッダ)はどんな人生を歩まれたのでしょうか。映画「リトル・ブッダ」の映像を参考資料にその足跡をたどります。

すくわずにはいられない
6月16日(木)11:00~12:00
講師:奥野寛暢(富山市・妙行寺)

「縁なき衆生は度し難し」。仏縁のない人は救われないという意味でしょうか。一方で阿弥陀如来の慈悲を「無縁の慈悲」という言い方もします。縁のあるなしに関係なく向けられる慈悲の前では、もうすくわずにはいられない!

故人の命日をご縁に~永代祠堂会~
7月01日(金)13:30~15:00
7月16日(土)13:30~15:00
01日:西塔公崇(富山市・金乗坊)
16日:雲林重正(新潟・
参加費:2,000円

きびしさ と やさしさ
8月01日(月)11:00~12:00
講師:藤島秀恵(八尾町・勝福寺)

阿弥陀さまのおこころは、「きびしさ」と「やさしさ」で完成してるんだって…。私の生活をどう支えてくださるんだろう?