法話」カテゴリーアーカイブ

しんらんさま

昨年は親鸞聖人のご誕生八五〇年という節目の年でした。せっかくのご縁、何か出来ないかと手掛けたのが親鸞聖人像マップづくりです。一般的に銅像と言えばまず名前があがるのが二宮尊徳さんで、銅像をまとめているホームページでもそのように扱われており、親鸞聖人の名前はありませんでした。主にお寺の境内にご安置されているため、多くの人にとってはあまり目にしない像のようですが、全国には二万ヶ寺以上の浄土真宗寺院があり、また関連する学校や保育園も多くあるため、きっと親鸞聖人像が二宮尊徳像以上にあるはずだと、収集を始めたのでした。

結果、現在までに約二九〇〇体見つかり、日本一多い人物像と言っても問題のない数になりました。銅像が多く作られるようになったのは、高度経済成長の時代です。現在は所有者も代替わりしているため、その思い入れは忘れられていますが、ほとんどの像は寄贈によるものなので、そこには様々な願いが込められているはずです。善巧寺の親鸞聖人像も、長らく草木に覆われて普段お参りされる方の目にもあまり留まらない環境になっていましたが、節目の年をご縁に改めて見直すようになりました。

銅像は安くありません。安価なものでも二~三白万、大型の像は五百万を超えるものもあります。高価だからいいというわけではありませんが、その背景には「私のお寺」という意識がとても高かったことが伺えます。改めて先人の願いに向き合うご縁にしたいです。


雪山俊隆(寺報185号より)
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安心の目盛り/利井明弘

1998年夏 春夏秋冬■「一味」法話

 父が道を歩いていて、普請(ふしん)中の家の前にさしかかった。その時、頭の上から声が降ってきた。
 「オーイ、そこの坊主を取ってくれ」
 いきなり坊主と呼ばれて、父は驚いて立ち止まった。父の目に入ったのは、下にいた若い衆が、二階にいる棟梁(とうりょう)らしい男に、ハイッヨと、何かを放りあげる姿であった。
 見上げた父の目に入ったのは、二階の棟梁が片手に、ヒョイッと、受け取った曲尺(かなじゃく)だった。まさか自分が坊主だと知って言ったのではなかろうから、あの曲尺を坊主と言うらしい。そこで、父は棟梁に話かけた。自分は坊主だが、その曲尺も坊主と言うのかと。恐縮した棟梁が答えた。
 「ヘイ、曲尺を我々の符丁(ふちょう)では坊主と…」
 「何故そう呼ぶ」
 ますます恐縮した棟梁が答えた。
 「詳しくは知りませんが、師匠から聞いた話では、坊主も我々と同じで、欲で曲がっとる。しかし、同じ曲がっていても坊主は、我々と違って目盛りが付いているので曲尺を坊主と呼ぶんだそうで」
 「フム!」

 曾祖父の鮮妙の言葉が遺(のこ)っている。
 「蓮如上人の領解文(りょうげもん)は真宗の法律で、安心のさし金じゃ。これを離れて安心を説き、これを離れて聴聞(ちょうもん)するから、とかく大道を踏みあやまる。さし金なで決して立派な安心は成り立たぬ。さし金は不思議なもので、宮殿のような大きなものでもこれで計る。又、納屋のような小さなものでもこれで計る。大徳高僧の安心も、領解文のさし金でできあがれば、無善造悪の我等が信心も、やっぱりこのさし金でできあがる。しかし、さし金はすべての寸法の本であるから、一厘一毛狂っても、できあがった家の上には大きな間違いができる。領解文も同様で、一言一句違っても生死にかかわる大問題である。だからこそ蓮如上人は智慧を尽くし、信心をかたむけて、それこそ一生懸命でこの領解文を造られたのである。短いから何の造作もなく造られたように思っているかも知らぬが、この短い内に浄土真宗の一切のおきてを封じこめ、いかなる智者学者にも、いかなる一文不知(いちもんふち)の尼入道(あまにゅうどう)にも、火を見るよりも明らかに解って、少しの間違いも起こらぬように書き尽くされたのである。そのご苦心は、百部二百部の大きな書を造られるより余程きつかったであろう。早く領解文のお謂れを知って、安心を決定しておかねば、今に一大事になるぞ。」

 精密な計測器を製造している会社で聞いたら、温度が上がると、目盛りが伸び、下がると目盛りは縮むのだそうである。
 このごろの時代の温度で心の目盛りが狂ってはいないだろうか。その内、曲尺を坊主と呼ばなくなるのでは…。

(行信教校校長・常見寺住職)

立ち止まる

前向きにいろんなことに挑戦することは、とても力が必要な分、やりがいや生きがいになり人生を豊かにすると思います。一方で、立ち止まることもとても大事なことです。これまでのことを振り返り、自分自身を見つめて、これから先のことを想像していく。そこにはマニュアルはなく、人それぞれの環境や精神状態によって向き合っていく問題だと思います。

親鸞聖人は九才から二十九才まで比叡山の生活でした。団体生活には規則があり、やるべきプログラムがいくつも用意されています。その生活に区切りを付けて山を降り、ひとり六角堂へ向かいました。六角堂は、日本仏教の祖である聖徳太子が建立した寺院です。家庭生活を営む中で仏教を支えに生きた第一人者でもある聖徳太子を通して、自分自身と向き合う時間であったと思います。そこへ百日間通うことを決意して九十五日目に聖徳太子の夢を見ます。その夢を元に、法然聖人の元へ同じく百日間通います。

言葉で言うのは簡単ですが、自らの意思で向き合う百日間は相当な時間だと思います。親鸞聖人にはどのような気持ちの変化が起こっていたのでしょうか。この時間があったからこそ、確かな支えを持って生きてゆかれたと思います。

その後、不当な処罰を受け仲間を殺される事態が起こり、流罪の生活を送られました。晩年には息子と絶縁する自体まで起きています。しかし、どのような環境になろうとも、変わらぬ願いに支えられて人生を歩まれました。

※画像は昨年11/28撮影

雪山俊隆(寺報187号より)
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50歳

五十歳になりました。ちょうど父親が往生した歳です。平成二年九月十七日、当時高校二年生の私はその一ヵ月前に得度をしました。頭を丸めて得度から帰ってきた私を見てとても喜んでいたことを思い出します。

父が亡くなってからは祖父と母が住職の役を担い、私も帰省を繰り返していました。そのうち祖父も療養生活に入り、平成八年に往生しました。その翌年、私は善巧寺へ入り住職となります。意気込んでいたものの、現実の厳しさに打ちのめされながら三年を過ごし、いつの間にか心が閉じ切ってしまい再び京都へ行きました。その間、お寺は弟と母が代わりをつとめてくれました。

二年の時を経て、再び善巧寺へ帰り着きました。その二年後に祖母が往生しました。それからまた三年、ある程度は身のほどを知るようになった頃、妻と出会い結婚しました。その後もいろいろありましたが、なんとか生き延び今に至ります。

人生五十年は、ひと昔前ならば締切りの年です。現代の感覚では働き盛りかもしれませんが、川の流れが海に向かうように、あきらかに下流にいます。大海へ向かっている自覚を持たねばならないと感じています。

二十代に心が閉じ籠っていた頃、生死について取り憑かれたように考えていました。この想いはどんなに忘れようとしても、きっとある日突然に襲い掛かってくるはずだと思っていました。あの頃からするとだいぶ鈍感になりましたが、今まさにその時が来ています。

雪山俊隆(寺報186号より)
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「慶讃法要ご親教」に寄せて

本願寺では、親鸞聖人のご誕生850年、宗派が開かれて800年の慶讃法要が、3月から5月にかけて30日間行われました。その折に、毎回、本願寺の代表・大谷光淳門主(専如門主)よりご親教(法話)が読まれていました。問題となっている「新しい領解文」に関しても述べられているので、その箇所を抜粋して思うところを書いておきます。ブルー背景の箇所が専如門主のお言葉です。


今日、核家族や少子高齢化、過疎化など社会構造が急速に変化し、従来のように地域社会のなかで、また世代間を通して、み教えが伝わっていくことが非常に困難になってきています。

おっしゃるとおりです。核家族化は50年以上前からはじまり、少子高齢化は20年以上前から言われ始めました。この期間に我々はなすすべもなく時を過ごしてしまったことに、慚愧の想いと無力さを痛感しております。

このように社会状況や人々の意識が変わるなか、み教えを誰もが理解できるように、わかりやすく、時代に合った言葉で伝えていくことが、伝道教団である私たちの使命であると言えましょう。

そのような取り組みはとても大事だと思います。しかし、「新しい領解文」は、「誰もが理解できるように、わかりやすく、時代に合った言葉」にはなっていません。「弥陀のよび声」「愚身」「自然の浄土」「仏恩報謝」など、一般用語ではない言葉が使用され読み方もままならず、誰もが理解はできません。誤解を生みやすい表現も多用されているので、わかりやすくありません。また、唱和を推奨するという手法が時代と大きくズレていると思います。

以前、教育勅語を保育園児に読ませていることが社会問題になっていましたが、本願寺においても、数年前から「私たちのちかい」を本願寺派の関連学校に唱和させていると聞いて愕然としました。「新しい領解文」も各所で唱和が推進され、次代を担う僧侶たちの得度でも暗唱が義務付けられたと聞いています。これは、経典のように確立した言葉を儀礼として唱和することとは全く違います。若い人たちへ半強制的に読ませる行為は、重々気を付けていただきたいです。

石上智康前総長が若かりし頃は唱和ブーム真っ只中、一体感や全体の士気を高めることが強く求められた時代で、唱和には一定の力があったと思います。しかし、多様性が進んだ現代においては、個々の同意がない限り反発を生む可能性も高く、よほど慎重に進めないと支持されないでしょう。今まさに、その反発が起こっています。

親鸞聖人は『御消息』の中で、「浄土真宗は大乗のなかの至極なり」と述べられています。大乗のなかの至極とは、大乗仏教の根本精神である智慧と慈悲、自利と利他が、究極的に一つのこととして成り立つ根底にまで至ることであり、このような立場が、「生死即涅槃」とか「煩悩・菩提体無二」といった仏智の側の言葉で語られます。そして、ここにおいて、名号による阿弥陀如来の「そのままの救い」が、煩悩を抱えた私の身の上で成り立っているということができます。

ご説明のとおり、「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」という表現は丁寧な解説がないと誤解されやすいです。解説が必須という時点で矛盾していますが、その解説も「誰もが理解できるようにわかりやすく」するのはかなり困難で、余計に混乱を生む可能性があります。勧学寮による解説と同様に、この説明もいったいどれほどの人が理解できるのでしょうか。

浄土真宗は他力回向の信心をいただいて、凡夫は凡夫のままに、そのお慈悲によって救われるという教えです。しかし、み教えに出遭う前と後で全く同じということではありません。如来のおさとりの真実に遇わせていただくことで、これまでとは全く違った新しい生き方が始まります。それは自分だけの安穏を願うような自己中心的な生き方から、全ての人の苦悩を自らの苦悩とするような生き方への転換です。そして、そこから仏恩を念報しつつ、そのお心にかなうよう精進努力する念仏者の生き方が開かれてくるのであり、その精進努力するままが、如来のお慈悲によって生かされている姿なのです。

今、多くの僧侶と門信徒が、「新しい領解文」をどのように受け取ればよいのかわからず苦悩しています。自分自身が受け取れない言葉は人にも勧められません。そのような状況においても、現場の声には一切耳を傾けずに推進しています。私の想いと本願寺の方針に大きなズレが生じて悩んでいます。この想いを人に伝えてよいものかどうかで悩んでいます。内部に声が届かないならば社会に訴えていくべきかどうかでも悩んでいます。

これらの苦悩は、「新しい領解文」の唱和を推奨する方たちにとって、「自らの苦悩」と受け取っていただけますか?受け取っていただけるならば、本願寺の教えを司る勧学寮、もしくは代表のご門主がご対応ください。渦中にお辞めになった前寮頭の徳永一道勧学にも真相をすべてお話いただきたいです。本来は、これらを主導している総長が答えるべきですが、石上智康前総長も池田行信総長も、責任放棄のスタンスを貫き、宗報6月号においても「門主と勧学寮をはじめ、まわりの責任」という内容を繰り返しおっしゃっているので、軌道修正する見込みは持てません。池田総長は「強制ではない」と公言されているので、ならば、得度での暗唱を義務付け唱和させることと、関連施設での唱和は真っ先に取止めてください。完全に強制的です。どうぞよろしくお願い申しあげます。

このたびの、新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)が、従来の『領解文』の精神を受け継ぎ、智慧と慈悲という如来のお徳を慕いつつ、仏智に教え導かれて生きる念仏者の確かな指針となりますことを願っております。

従来の領解文の「雑行雑修自力の心を振り捨てて」という信仰の在り方や、「後生の一大事」という視点が欠けているなど、その精神を受け継いでいるとは思えません。よって、確かな指針にはなりません。

そしてこれからも、「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と願われた親鸞聖人のお言葉を胸に、すべての人々が心豊かに生きていける社会の実現に向け、ともどもに歩み進めてまいりましょう。

現在の本願寺の方向性に大きな不安があり、心豊かに生きられません。この私の苦悩は「すべての人々」に入れていただけますか?

「すべての人々」とおっしゃるならば、従来の領解文を大事にしてきた人たちにも思いを馳せてください。子どもの頃から日々読み続け、慣れ親しんでいる人たちがたくさんいます。浄土真宗にご縁のある者が正信偈に慣れ親しんでいるのと同様に、領解文で育った人たちがたくさんいます。

領解文は、普及している地域と、していない地域の温度差が激しく、石上前総長や池田総長の地域は普及していない地域ですね。本願寺においても、あまり使用されていないので、ご門主も領解文はさほど慣れ親しんでいないのかもしれません。

ちなみに、私のお寺も1つの会を除き領解文は使用していないので、あまり慣れ親しんでいません。それでも、大事にしてきた人たちの声を聞くと、その想いが伝わってきます。その憤りを少しだけ感じることができます。

「全ての人の苦悩を自らの苦悩とするような生き方」をほんの少しだけでも意識していただけませんか?

唯一の解決策はいたってシンプルで、「新しい領解文」を取り下げること。親鸞聖人が著書を繰り返し修正していたことを考えると、長年熟考された形跡もない言葉が、一発で完璧なものとして完成したとするほうがあり得ないことです。新しい試みをされたのならなおさらです。

それでも、どうしても制度上取り下げることが出来ないならば、取り下げられない制度自体を変えていくために、組織の構造を抜本的に変えていくしかないと思いますが、そのような時間をかけている猶予が我が宗門にはあるのでしょうか。

現在の状況を鑑みると、旧来のように黙して忘れられるまで待つという策は問題を悪化させるだけです。今回の出来事は忘れません。さまざまな経緯や対応もインターネット上と手元の資料として残り続けます。10年後も昨日の出来事のように情報が残っている環境です。問題意識を持っている人の多くは、軽率な発言や行動にならないように慎んで、耐え忍んでいる状況だと思います。身内の苦しみに目を向けてください。


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信心がない

浄土真宗の開祖、親鸞聖人は二十九才までひたむきに修行の道を歩み、その後、法然聖人との出会いによって、人生観が大きく変わっていきました。それまでは、さとりの障害となる煩悩をひとつずつ捨てる努力をし、清浄な心を保ち、自己の精進努力によって信心を磨き上げてゆく道を歩んでいました。

しかし、法然聖人は全く違う視点を持っておられました。当時、全国から選りすぐりの秀才たちが集まる比叡山において、「智恵第一の法然房」と呼ばれるほどの秀才ぶりで、いわば日本一頭の良かった人です。その方が、「自分の心には信心がない」と言い切っていかれます。頭脳も生き方もこれ以上ないと称される法然聖人が放つ言葉は計り知れない力があります。「まことの心」は我が胸の内にはなく、阿弥陀如来より賜るものであったと聞かされたのです。それまでひたむきに仏の道を追い求めた親鸞聖人にとっては、どれほど衝撃的な言葉だったのでしょうか。二十九才にして、大きな人生の分岐点でした。

身寄りのない人や貧しい子供たちに生涯を捧げたマザーテレサはこんな言葉を残しています。

私の心には信仰がありません。愛も信頼もありません。あまりにもひどい苦痛があるだけです。私はもうこれ以上、祈ることはできません。あなたと私を結びつける祈りは、もはや存在しません。私はもう祈りません。私の魂はあなたと一つではありません。

懺悔の文より抜粋

親鸞聖人も我が心に厳しい眼差しを持ち続け、それは同時に仏様とお会いしている証しです。

雪山俊隆(寺報185号より)
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新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)制定の経緯

浄土真宗本願寺派では、2023年1月16日に本願寺のご門主(代表者)より、「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」が発表されました。時代に合った言葉で表現したとされる内容で唱和を推奨する新しい言葉です。

これに対して、①この文章が制作された経緯の不透明さ ②ネーミングの問題 ③内容の問題 ④唱和を推奨することについてなど、本願寺派僧侶を中心にさまざま疑問の声があがり議論が交わされています。

不安定な状態で門徒さんやご縁のある方たちに伝えるつもりはなかったのですが、事態が収まらないまま、2023年3月29日からはじまる慶讃法要に際して新しい領解文の拝読、唱和を遂行することになったため、浄土真宗本願寺派にご縁のある方はどなたも無関係ではなくなりましたので、事の経緯に重点を置いて情報共有します。

<語句説明>
領解文(りょうげもん)
浄土真宗の教えの受け取り方(領解)を端的にあらわした文章です。本願寺8代の蓮如上人は事あるごとに、「ものを申せ」と口に出して気持ちをあらわすことを勧められました。教えをどのように受け取っているかを告白し、それに対して蓮如上人がご助言(改悔批判)したことが元になり、現在も本願寺ではその形式が残っています。
> 従来の「領解文」本文
> 新しい「領解文」本文

ご門主(もんしゅ)
本願寺の代表者。ご門主のお言葉として、法話を「ご親教(しんきょう)」といい、教団として重要な意志表明をあらわすお手紙を「ご消息(しょうそく)」といいます。ご消息は重みが増すので、勧学寮の諮問が必要条件です。

勧学寮(かんがくりょう)
ご門主の諮問機関であり教学的問題に対して答える役割を担う。勧学は学階の最高位を持つ人たちで、尊敬の意を込めて「和上(わじょう)」と呼んでいます。

宗会議員
各教区の選挙によって選出された議員。その中で内閣的な役割を果たす「総局(そうきょく)」が設置され、その代表が「総長」。総理大臣のような感じです。この人たちが集まって行われる議会を「宗会」といい、日本の国会より先に始まった議会制度といわれます。今回の一連のことは、この中の「総局」が指揮をとって進めている事業です。

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制定の経緯
現代版の領解文と御文章の制作は、2005年にはじまりました。その成果として、2009年に発刊された「拝読 浄土真宗のみ教え」に収録された「浄土真宗の救いのよろこび」が領解文の伝統と精神を受け継いだものとされています。ここでいったんこの企画は終了するわけですが、2014年に即如門主から専如門主へ、総長は石上智康氏、勧学寮頭は徳永一徳氏の体制になり、2015年に現代版の領解文制定が再び事業にあがりました。そして、それまでの「浄土真宗の救いのよろこび」は2019年に人知れず削除されました。

2023年2月号「宗報」での新しい領解文制定の経緯説明には、「浄土真宗の救いのよろこび」に関しては一切触れず、当時の現代版領解文の制作は検討中なままとして記されています。また、この経緯説明では、2005年から長く検討を重ねてきたかのように記されていますが、実際は、2009年でいったん打ち切り、2015年に再び事業に入ったものの、現代版の領解文は2022年の段階でも「制作の議論が行き詰まっている」と当時の総合研究所所長が答えています。つまり、検討自体は断続的にされてきましたが、制作に研鑽を重ねているわけではなく、2022年の段階でも何も決まっていないということでした。

「浄土真宗の救いのよろこび」は、普及も反応も理想通りではなかったのかもしれないけど、しらっと消しちゃったのはとても印象が悪いです。それならば、親鸞聖人もひとつの書に生涯をかけて加筆と修正を繰り返したように、納得できるまで徹底的にブラッシュアップして完成に近づけていってほしかったです。

その後、突如2022年4月1日に「現代版領解文制定方法検討委員会設置規程」が施行されます。名前のとおり、現代版領解文を制作するのではなく、制定方法を検討する会なので、すでに制作自体は視野に入っていないことが伺えます。9月から11月にかけて5回の委員会が開催され、「ご門主様にご制定いただくよりほかはない」という結論を出しました。あたかも初めから決められていたような結論です。

この時、制定方法検討委員会からはこのような意見を残しています。

●従来の領解文との混乱を避けるために新たな名称を検討するべき
●従来の領解文の精神を受け継いで簡潔に表すことは非常に困難ではないか

しかし、その意見は反映されることなく進んでいきます。その後、ご門主からの消息原文を勧学寮が確認するわけですが、提出された言葉は、2021年のご親教「浄土真宗のみ教え」に4行付け足したものでした。検討委員会の意見を取り入れる間もなく、返答を急いだ結果、後に解説文を書くことで理解を図るとした上で同意したとされます。

2023年1月16日、新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)が発布されます。
多くの疑問を残したままの発布となりました。段取り的には、制定方法委員会を設置し、委員会の答申を受けてご門主の言葉をいただき、勧学寮が同意をしたとなっていますが、あまりにも短い突貫工事のような進め方で、いずれも納得できるものではありません。

領解文がそのままでは伝わりにくいから、現代の言葉に置き換えて制作するという試みには賛同します。ただ、今回は出来上がった文章も、その背景や経緯も、そして唱和を推奨(強要)するという手法にも賛同できません。残念です。

●3期に別けて記しました。
・2005~2009年、現代版領解文の始まりと制定に至る第1期
・2015~2021年、再始動から準備期間として第2期
・2022~2023年、制定までの怒涛の期間として第3期
●色分けについて
・赤色・・・現代版の領解文として制定された「浄土真宗の救いのよろこび」に関して。
・青色・・・新領解文の中にある「愚身(み)」という言葉について、その特徴的な読み方が新領解文が制定される前に見られる箇所を記しました。石上智康総長の言葉が色濃く反映されていることを示しています。これに関して宗会において総局は「ご門主さまと宗派総長の考えが似通うことは当然」と答弁しています。
●追加情報
2018年に真宗教団連合(当時の理事長は石上氏)が行った実態把握調査に、真宗10派の企画ながらオリジナル設問として「浄土真宗の救いのよろこび」が調査され、7ページにわたって取り上げられています。
>> 実態把握調査(真宗教団連合)
その翌年に「浄土真宗の救いのよろこび」が削除されました。削除の理由のひとつにこの実態把握調査があったと確認していますので追記しました。

新しい領解文に先だって、2018年のご親教「私たちのちかい」でも唱和が推奨されました。本願寺派関連の施設では朝礼などで唱和されるようになり、全国各地にある浄土真宗本願寺派の系列学校(龍谷大学、武蔵野大学、相愛大学など)でも唱和されています。関連施設にとっては推奨といってもほぼ強制です。ご門主の法話の内容をこのように勧めていくこと自体、問題があると思います。

> 私たちのちかいに寄せて

請願書について
2023年2月下旬から3月上旬までに行われた本願寺派の議会「宗会」において、「唱和推進について慎重性を求める」請願書を提出しました。請願書の提出は、とてもハードルが高く、本願寺の施設等で働く宗務員をはじめ、各地域の組長や副組長などにも請願を出す資格がありません。それらに該当しない者が請願書を出す権利があり、その上で、紹介議員10名以上の署名が必要でした。請願書を提出するにあたってはチームで動いていたため、唱和に反対している議員の協力を得られましたが、個人で物申したいと思っていても届かないルールでした。

また、紹介議員を集めるにあたり、初めて会派という存在を知りました。本願寺派の議員は現在4つの会派に別れており、今回賛同してくださった会派は1つだけです。それ以外の会派の方は、個人の想いとしては賛同してくれても、署名の段階になると参加出来ないという人が何人もあらわれました。驚いたのは、ひとりの方は会派を退会して署名してくださったのです。また、採決の場で退席することによって意思を表明する方もおられました。それほどに会派のしばりが強く、総局側にノーを言えない体制になっていることに落胆しました。

そして、最後は宗会議長に請願書を受理されるかどうかという難関です。そもそも、ご門主に批判的な内容は受理されず、それ以外でもいろんな理由をつけて取り下げようとする対応に思えました。今回は、とにかく受理されることを第一にした結果、「唱和推進について慎重性を求める」というマイルドな内容になった次第です。

それだけの関門をくぐり抜けて提出した請願書も、当初チームメンバーに聞かされていた通り、賛同者は20%ほどの惨敗で否決になりました。この結果は、総局に圧倒的な政治力があることや、間近に迫った慶讃法要に向けて事業案はすでに進んでいることなどがあげられますが、特に象徴的だったのは宗会において公文名眞議員の発言(中外日報2023.3.8号掲載)でした。

唱和・普及を懸念する内容の請願書が採択されれば、結果的に宗務の基本方針が否定されることになり混乱を招きかねない。

新しい領解文の問題を議論する以前に、大人の事情が立ちふさがっていました。おそらく請願書に反対した議員の多くは同様の考えなのではないかと思われます。はたして、これで事態はまるく収まるのでしょうか。信仰に関わる問題を置き去りにしたことは、何よりも大きな遺恨を残したと思います。

それ以降、全国各地の僧侶をはじめ、勧学の方からも異議の声が高まっています。Facebookグループ「新しい領解文を考える会」の参加者も、宗会前は300人ほどでしたが、宗会後に急増して現在(2023年3月)800人を超え、不安、批判、落胆の声で溢れています。このような状態のまま、3月29日からはじまる親鸞聖人のご誕生850年、浄土真宗が開かれて800年の慶讃法要が行われることに、とても不安を感じています。

「納得出来ないなら読まきゃいいだけ。静かにしておけばそのうち忘れられる」という意見もあります。しかし、ご覧のように今回の推し進め方はこれまでのものとは違い、「2023年度宗務の基本方針」の支柱に定め、2026年までに全寺院100%唱和を掲げるという驚愕の目標を立てていますので、慶讃法要や関連施設での行事をはじめ、関係者にとっては避けがたい状況です。必然的に門信徒の浄財もすでに流れています。

理解を深めるためのパンフレット

続報

2023年3月26日 浄土真宗本願寺派勧学・司教有志の会(18名)より声明発表
>> 勧学・司教有志の会Facebookページ
※「勧学(かんがく)」とは本願寺派最高位の学者をといい、そのひとつ前の学位を「司教(しきょう)」といいます。いわば本願寺の頭脳であり支柱です。

宗意安心の上で重大な誤解を生ずる危惧を抱かざるをえない
「宗祖親鸞聖人のご法義に照らして、速やかに取り下げるべきである」

京都新聞3/27朝刊

アンケート集計結果

関連動画

深く知る


<関連リンク>

新しい領解文を考えるページ(Facebook)
新しい領解文へのTwitterの反応
私たちのちかいに寄せて(ZengyouNet内)
超訳領解文(ZengyouNet内)

ご冥福

亡くなった方に対する「ご冥福をお祈りします」という慣用句は、浄土真宗においてたびたび問題にしてきました。なにが問題かと言うと、「冥」の字には、暗黒や暗闇というマイナスの意味があるからです。亡くなった方は暗い場所にいるのではないので、死後の幸福を祈る必要はないというのが浄土真宗の立場です。ただし、「冥」の字にはプラスの意味もあります。蓮如上人が「冥加」や「冥慮」という言葉を使う時には、「目に見えぬ大きな働き」をあらわし、諸仏や菩薩、阿弥陀如来の力をさします。

詰まるところ、「冥」の字には使い方によってどちらの意味もあるため、言葉だけを置き換えたとしてもあまり意味がありません。昨年は先代隆弘の三十三回忌でした。改めて三十二年前の葬儀の挨拶を振り返ります。

父は最後に「やりたいことは全てやった。人生五十年思い残すことはない。いい人生だった」と言っていました。くやしいし哀しいけれど、あれだけ満足してお浄土に行き、八月に亡くなられたお父さんとも再会して、最高の笑顔で私達を見守ってくれていると思えば、何も言うことはありません。私達もこういう世界を支えに、短くはかない人生だけれど、精一杯生きて、今度お浄土で父に逢う時には、父の大好きだった言葉で、「逢えてよかったね」と言ってもらえるような素晴らしい人生をつくっていきましょう。

故人に対しては、あまり慣用句に頼らず、自分の言葉で伝えることが何より大切だと思います。

雪山俊隆(寺報184号より)
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ご冥福をお祈りします

亡くなった方に対する「ご冥福をお祈りします」という慣用句は、浄土真宗においてたびたび問題にしてきました。何が問題なのか、冥福とはなにか、「冥」という字にはどんな意味があるのか。これまではネガティブな意味だけを強調されてきましたが、ポジティブな意味もあります。

まずは文字の意味から。


①死者の面を覆う面衣
②くらい、ふかい、おくぶかい、めにみえぬ
③とおい、はるか、かくれる、しずか、だまる、たちこめる、よる
④おろか、まよう
⑤めがくらむ、めくるめく

字通/白川静

文字の象形からくる意味は「①死者の面を覆う面衣」です。他にポジティブな意味としては「ふかい、おくぶかい」という意味があり、ネガティブな意味では「くらい、おろか、まよう」とありました。使う場面によって両方の意味が見られます。

次に一般的な意味として広辞苑を見てみましょう。


目には見えない神仏の働き

冥福
①死後の幸福
②人の死後の幸福を祈るために仏事を修すること

広辞苑

「目には見えない神仏の働き」というのは、だいぶポジティブな意味合いとして見受けられます。そして「冥福」は、「死後の幸福」ということなので、亡くなった人の幸福を願う言葉となっています。

では、仏教辞典ではどうでしょうか。


①闇黒。くらやみ。無知にたとえることから、無知と同義語として用いられる。仏はこの闇黒なる無知を滅したものとされる。
②冥合。ぴったり合う。一致する。
③冥々のうちにまします神仏。

仏教語大辞典

冥福
冥界(死後の世界)における幸福。また、死者の冥界での幸福を祈って仏事をいとなむこと。「魏書」崔挺伝に「八関斎を起し、冥福を追奉す」と見える。また、冥々のうちに形成される幸福の意で、前世からの因縁による幸福、かくれた善行によって与えられる幸福をいう。「毎(つね)に国家のために、先づ冥福を巡らす)

岩波仏教辞典

「冥界」=「死後の世界」と位置づけられ、その幸福を祈る意味なので、広辞苑とほぼ同じ説明です。続けて、中国の魏書にこの言葉が見られることが紹介されています。一説には冥福という言葉は、仏教から生まれた言葉ではなく、中国から伝わり様々な文化が入り交じっているとも言われます。

では、お経にはどのように使われているのか、浄土真宗の聖典から「冥」の字を含む箇所を抜き出してみました。

ポジティブな表現
・冥に加して、願わくは摂受したまえ(帰三宝偈)
・冥衆護持の益(教行信証 信巻)
・冥衆の照覧をあおぎて(口伝鈔)
・諸天の冥慮をはばからざるにや(口伝鈔)
・冥衆の照覧に違し(改邪鈔)
・祖師の冥慮にあいかなわんや(改邪鈔)
・三世諸仏の冥応にそむき(改邪鈔)
・冥加なきくわだてのこと(改邪鈔)
・冥眦をめぐらし給うべからず(本願寺聖人伝絵)
・聖人の弘通、冥意に叶うが致す所なり(嘆徳文)
・真実に冥慮にもあいかない(御文章)
・冥加の方をふかく存ずべき(蓮如上人御一代記聞書)
・冥慮をおそれず(蓮如上人御一代記聞書)
・冥見をおそろしく存ずべきことなり(蓮如上人御一代記聞書)

ネガティブ表現
・三垢の冥(無量寿経)
・窈窈冥冥(無量寿経)
・矇冥抵突して経法を信ぜず(無量寿経)
・悪気窈冥して(無量寿経)
・幽冥に入りて(無量寿経)
・苦より苦に入り冥より冥に入る(無量寿経)
・世の痴闇冥を除く(無量寿経優婆提舎願生偈)
・除世痴闇冥(無量寿経優婆提舎願生偈)
・無数天下の幽冥の処を炎照するに(教行信証 真仏土巻)
・世の盲冥を照らす(教行信証 真仏土巻)
・このさかい闇冥たり(執持鈔)
・闇冥の悲歎(口伝鈔)
・五道の冥官みなともに(浄土和讃)
・よろずの神祇・冥道をあなずりすてたてまつる(親鸞聖人御消息集広本)
・閻魔王界の神祇冥道の罸(親鸞聖人血脈文集)

ポジティブな表現としては、「冥加」「冥慮」「冥見」などが見られ、特に浄土真宗において絶大な影響力をもつ蓮如上人に多く見られます。ここでは、「冥」を目に見えぬ働きの意味で使われ、諸仏や菩薩、阿弥陀如来の力をあらわす言葉として使用されています。一方で、ネガティブな表現は、「闇冥」「盲冥」など、「くらい」「まよい」の意味を含み、苦しみの世界(地獄、餓鬼、畜生)をあらわす場合があります。

浄土真宗においては、「念仏者はいのち尽きた時に阿弥陀如来の極楽浄土に生まれる」と説かれるため、「死後の幸福」を祈る必要はないと考えられています。だから、「ご冥福をお祈りする」という言葉を使用せずに「哀悼の意を表します」と置き換えることが推奨され、門徒さんたちや葬儀社にもそのように説明してきた歴史があります。結果、現在では、浄土真宗のみこの表現は使わないことを注意書きしている葬儀社が多く見られます。
※「祈る」という言葉にも反応する浄土真宗ですが今回は省きます。

私も知らない間にそれが当たり前だと思っていました。そして、「冥」という字のネガティブな意味を強調して教わってきたため、それを知らない方たちには伝えていく必要があると考えていました。亡くなった人は暗いとこにいってないよ!と正義感にかられて説明してきました。しかし、それは浄土真宗の中だけの話でした。一般的には常識的な言葉として使用され、天皇陛下や総理大臣も「ご冥福をお祈りします」という言葉で弔意をあらわしています。

何よりも、故人を想って弔意をあらわしている方に、表面的な言葉のダメ出しをすることは、それこそ失礼なことでしょう。相談されればこちらの考え方を伝えますが、その場合も、「冥」にはポジティブな意味もネガティブな意味もどちらも含まれた言葉で、仏さまのご加護をあらわす言葉としても受け取れることを踏まえていきたいです。その上で、浄土真宗の信仰を大事にされている方は、言葉を置き換えるだけでなく、故人に対して、心からの想いを自分の言葉で伝えることが何より大切でしょう。

最後に、私個人の受け取り方として、過去の喪主挨拶を掘り起こして添えておきます。今年、父の33回忌、祖父の27回忌、祖母の17回忌をつとめました。

父の葬儀より
父は最後に「やりたいことは全てやった。人生50年思い残すことはない。いい人生だった」と言っていました。くやしいし、哀しいけれど、あれだけ満足してお浄土に行き、8月に亡くなられたお父さんとも再会して、最高の笑顔で私達を見守ってくれていると思えば、何も言うことはありません。私達もこういう世界を支えに、短くはかない人生だけれど、精一杯生きて、今度お浄土で父に逢う時には、父の大好きだった言葉で、「逢えてよかったね」と言ってもらえるような素晴らしい人生をつくっていきましょう。
(平成2年9月21日 喪主挨拶)

祖父の葬儀より
思い返して見ると、入院までの祖父は、僧侶というより文学者としてのイメージがありました。そんな祖父が、入院してからはたびたび口から念仏がこぼれ、ある時は、蓮如上人や親鸞聖人の夢を見たと話してくれました。そういう夢を一度も見たことがない僕は、とてもうらやましく思い、同時にうれしくも思いました。

人間は人が亡くなった時、その人と関係が深ければ深いほど悲しみも深く、浅ければ浅いほど悲しみも少ない。そういう眼しか持ち合わせていない僕が、死ということを、生きるということを考えさせてもらえるのは、やはり、自分と関係の深い人の死に会う時かもしれません。しかし僕は、祖父の死を目の当たりにした時、自分には感情というものがないのか、とさえ思いました。身近なものの死にあいながら、自分も死ぬということを頭ではわかっていても、実感できないでいる。しかも、そういう中での悲しみさえ、時間とともに忘れてゆくのです。そんな僕も、葬儀までの間に、いろいろと考えさせられ、「いのち」を見つめることができました。

利井明弘先生がお通夜の法話の中でこういうことを言われていました。

「今、こうやって私達は本堂に座っておりますが、これを自分の力で座っておると思ったら大間違いや。私達は、目には見えない、言葉では言いあらわすことができない、大きなご恩の中で生かされておる。皆さん、それをよう味わってください」

流されている生活からは決して気付くことが出来ないことを、祖父のおかげで、今気付かせてもらっています。祖父と深く話すことが出来なかったことは悔やまれますが、今、家族と心から話し通じ合えることをうれしく思っています。念仏が口からこぼれながら死んでいった祖父をもてて、僕は幸せものです。
(平成8年寺報81号)

バリア

ほんこさまが始まりました。ほんこさまは、正確には在家報恩講といい、親鸞聖人のご法事を各ご家庭でつとめる行事です。一年ぶりの方も、時折り顔を合わす方も、ホームへお迎えする側として、お寺で会う時とは少し雰囲気が違います。おつとめの後には少し談笑の時間があり、その時その年で話題は変わりますが、こちらが何かを伝える以上に、教えてもらう機会も多いです。

あるお宅では、長く営業のお仕事をされていた方に、お寺の行事のチラシを渡してこんな質問をしてみました。

「こういう行事をどうやって宣伝したらいいですか?」
その方の経験談を聞かせていただく話の流れで、
「なるべく嫌がられたくないんですよね~」と言ったところ、

そりゃ、あなたが勝手にバリアをはっとるがいにけ。自分がバリアをはったら相手も二枚も三枚も、もっとバリアはるちゃよ。それじゃあ熱意は伝わらんよ。

勢いに押されながら、ハッとしました。さすが百戦錬磨のベテランは説得力があります。何よりも熱意を伝えることが大事と改めて教えてもらいました。気弱な私はついつい、嫌われたくないなぁ、煙たがられたくないなぁと自分からバリアを貼って、相手との距離を余計に空けてきたのかもしれません。絶えない仏さまの灯火を私が消していました。定例行事はお寺の要です。これがなければお寺の存在意義は失うということを、熱意を持って伝えていきたいです。

雪山俊隆(寺報182号より)
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