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ご冥福をお祈りします

亡くなった方に対する「ご冥福をお祈りします」という慣用句は、浄土真宗においてたびたび問題にしてきました。何が問題なのか、冥福とはなにか、「冥」という字にはどんな意味があるのかを改めて整理します。

まずは文字の意味から。


①死者の面を覆う面衣
②くらい、ふかい、おくぶかい、めにみえぬ
③とおい、はるか、かくれる、しずか、だまる、たちこめる、よる
④おろか、まよう
⑤めがくらむ、めくるめく

字通/白川静

文字の象形からくる意味は「①死者の面を覆う面衣」です。他にポジティブな意味としては「ふかい、おくぶかい」という意味があり、ネガティブな意味では「くらい、おろか、まよう」とありました。使う場面によって両方の意味が見られます。

次に一般的な意味として広辞苑を見てみましょう。


目には見えない神仏の働き

冥福
①死後の幸福
②人の死後の幸福を祈るために仏事を修すること

広辞苑

「目には見えない神仏の働き」というのは、だいぶポジティブな意味合いとして見受けられます。そして「冥福」は、「死後の幸福」ということなので、亡くなった人の幸福を願う言葉となっています。

では、仏教辞典ではどうでしょうか。


①闇黒。くらやみ。無知にたとえることから、無知と同義語として用いられる。仏はこの闇黒なる無知を滅したものとされる。
②冥合。ぴったり合う。一致する。
③冥々のうちにまします神仏。

仏教語大辞典

冥福
冥界(死後の世界)における幸福。また、死者の冥界での幸福を祈って仏事をいとなむこと。「魏書」崔挺伝に「八関斎を起し、冥福を追奉す」と見える。また、冥々のうちに形成される幸福の意で、前世からの因縁による幸福、かくれた善行によって与えられる幸福をいう。「毎(つね)に国家のために、先づ冥福を巡らす)

岩波仏教辞典

「冥界」=「死後の世界」と位置づけられ、その幸福を祈る意味なので、広辞苑とほぼ同じ説明です。続けて、中国の魏書にこの言葉が見られることが紹介されています。一説には冥福という言葉は、仏教から生まれた言葉ではなく、中国から伝わり様々な文化が入り交じっているとも言われます。

では、お経にはどのように使われているのか、浄土真宗の聖典から「冥」の字を含む箇所を抜き出してみました。

ポジティブな表現
・冥に加して、願わくは摂受したまえ(帰三宝偈)
・冥衆護持の益(教行信証 信巻)
・冥衆の照覧をあおぎて(口伝鈔)
・諸天の冥慮をはばからざるにや(口伝鈔)
・冥衆の照覧に違し(改邪鈔)
・祖師の冥慮にあいかなわんや(改邪鈔)
・三世諸仏の冥応にそむき(改邪鈔)
・冥加なきくわだてのこと(改邪鈔)
・冥眦をめぐらし給うべからず(本願寺聖人伝絵)
・聖人の弘通、冥意に叶うが致す所なり(嘆徳文)
・真実に冥慮にもあいかない(御文章)
・冥加の方をふかく存ずべき(蓮如上人御一代記聞書)
・冥慮をおそれず(蓮如上人御一代記聞書)
・冥見をおそろしく存ずべきことなり(蓮如上人御一代記聞書)

ネガティブ表現
・三垢の冥(無量寿経)
・窈窈冥冥(無量寿経)
・矇冥抵突して経法を信ぜず(無量寿経)
・悪気窈冥して(無量寿経)
・幽冥に入りて(無量寿経)
・苦より苦に入り冥より冥に入る(無量寿経)
・世の痴闇冥を除く(無量寿経優婆提舎願生偈)
・除世痴闇冥(無量寿経優婆提舎願生偈)
・無数天下の幽冥の処を炎照するに(教行信証 真仏土巻)
・世の盲冥を照らす(教行信証 真仏土巻)
・このさかい闇冥たり(執持鈔)
・闇冥の悲歎(口伝鈔)
・五道の冥官みなともに(浄土和讃)
・よろずの神祇・冥道をあなずりすてたてまつる(親鸞聖人御消息集広本)
・閻魔王界の神祇冥道の罸(親鸞聖人血脈文集)

ポジティブな表現としては、「冥加」「冥慮」「冥見」などが見られ、特に浄土真宗において絶大な影響力をもつ蓮如上人に多く見られます。ここでは、「冥」を目に見えぬ働きの意味で使われ、諸仏や菩薩、阿弥陀如来の力をあらわす言葉として使用されています。一方で、ネガティブな表現は、「闇冥」「盲冥」など、「くらい」「まよい」の意味を含み、苦しみの世界(地獄、餓鬼、畜生)をあらわす場合があります。

浄土真宗においては、「念仏者はいのち尽きた時に阿弥陀如来の極楽浄土に生まれる」と説かれるため、「死後の幸福」を祈る必要はないと考えられています。だから、「ご冥福をお祈りする」という言葉を使用せずに「哀悼の意を表します」と置き換えることが推奨され、門徒さんたちや葬儀社にもそのように説明してきた歴史があります。結果、現在では、浄土真宗のみこの表現は使わないことを注意書きしている葬儀社が多く見られます。
※「祈る」という言葉にも反応する浄土真宗ですが今回は省きます。

私も知らない間にそれが当たり前だと思っていました。そして、「冥」という字のネガティブな意味を強調して教わってきたため、それを知らない方たちには伝えていく必要があると考えていました。亡くなった人は暗いとこにいってないよ!と正義感にかられて説明してきました。しかし、それは浄土真宗の中だけの話でした。一般的には常識的な言葉として使用され、天皇陛下や総理大臣も「ご冥福をお祈りします」という言葉で弔意をあらわしています。

何よりも、故人を想って弔意をあらわしている方に、表面的な言葉のダメ出しをすることは、それこそ失礼なことでしょう。相談されればこちらの考え方を伝えますが、その場合も、「冥」にはポジティブな意味もネガティブな意味もどちらも含まれた言葉で、仏さまのご加護をあらわす言葉としても受け取れることを踏まえていきたいです。その上で、浄土真宗の信仰を大事にされている方は、言葉を置き換えるだけでなく、故人に対して、心からの想いを自分の言葉で伝えることが何より大切でしょう。

最後に、私個人の受け取り方として、過去の喪主挨拶を掘り起こして添えておきます。今年、父の33回忌、祖父の27回忌、祖母の17回忌をつとめました。

父の葬儀より
父は最後に「やりたいことは全てやった。人生50年思い残すことはない。いい人生だった」と言っていました。くやしいし、哀しいけれど、あれだけ満足してお浄土に行き、8月に亡くなられたお父さんとも再会して、最高の笑顔で私達を見守ってくれていると思えば、何も言うことはありません。私達もこういう世界を支えに、短くはかない人生だけれど、精一杯生きて、今度お浄土で父に逢う時には、父の大好きだった言葉で、「逢えてよかったね」と言ってもらえるような素晴らしい人生をつくっていきましょう。
(平成2年9月21日 喪主挨拶)

祖父の葬儀より
思い返して見ると、入院までの祖父は、僧侶というより文学者としてのイメージがありました。そんな祖父が、入院してからはたびたび口から念仏がこぼれ、ある時は、蓮如上人や親鸞聖人の夢を見たと話してくれました。そういう夢を一度も見たことがない僕は、とてもうらやましく思い、同時にうれしくも思いました。

人間は人が亡くなった時、その人と関係が深ければ深いほど悲しみも深く、浅ければ浅いほど悲しみも少ない。そういう眼しか持ち合わせていない僕が、死ということを、生きるということを考えさせてもらえるのは、やはり、自分と関係の深い人の死に会う時かもしれません。しかし僕は、祖父の死を目の当たりにした時、自分には感情というものがないのか、とさえ思いました。身近なものの死にあいながら、自分も死ぬということを頭ではわかっていても、実感できないでいる。しかも、そういう中での悲しみさえ、時間とともに忘れてゆくのです。そんな僕も、葬儀までの間に、いろいろと考えさせられ、「いのち」を見つめることができました。

利井明弘先生がお通夜の法話の中でこういうことを言われていました。

「今、こうやって私達は本堂に座っておりますが、これを自分の力で座っておると思ったら大間違いや。私達は、目には見えない、言葉では言いあらわすことができない、大きなご恩の中で生かされておる。皆さん、それをよう味わってください」

流されている生活からは決して気付くことが出来ないことを、祖父のおかげで、今気付かせてもらっています。祖父と深く話すことが出来なかったことは悔やまれますが、今、家族と心から話し通じ合えることをうれしく思っています。念仏が口からこぼれながら死んでいった祖父をもてて、僕は幸せものです。
(平成8年寺報81号)

バリア

ほんこさまが始まりました。ほんこさまは、正確には在家報恩講といい、親鸞聖人のご法事を各ご家庭でつとめる行事です。一年ぶりの方も、時折り顔を合わす方も、ホームへお迎えする側として、お寺で会う時とは少し雰囲気が違います。おつとめの後には少し談笑の時間があり、その時その年で話題は変わりますが、こちらが何かを伝える以上に、教えてもらう機会も多いです。

あるお宅では、長く営業のお仕事をされていた方に、お寺の行事のチラシを渡してこんな質問をしてみました。

「こういう行事をどうやって宣伝したらいいですか?」
その方の経験談を聞かせていただく話の流れで、
「なるべく嫌がられたくないんですよね~」と言ったところ、

そりゃ、あなたが勝手にバリアをはっとるがいにけ。自分がバリアをはったら相手も二枚も三枚も、もっとバリアはるちゃよ。それじゃあ熱意は伝わらんよ。

勢いに押されながら、ハッとしました。さすが百戦錬磨のベテランは説得力があります。何よりも熱意を伝えることが大事と改めて教えてもらいました。気弱な私はついつい、嫌われたくないなぁ、煙たがられたくないなぁと自分からバリアを貼って、相手との距離を余計に空けてきたのかもしれません。絶えない仏さまの灯火を私が消していました。定例行事はお寺の要です。これがなければお寺の存在意義は失うということを、熱意を持って伝えていきたいです。

雪山俊隆(寺報182号より)
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本当の自分

家での自分、学校での自分、職場での自分、友人といる時の自分、趣味に没頭している時の自分など、どれが本当の自分なのか?という問いに対して、小説家の平野啓一郎さんは、そのいずれもが「分人(ぶんじん)」であり、分人の集合体が「自分」であると提唱しています。

以前、「自分探し」という言葉をよく耳にすることがありましたが、人は環境や状況によって常に変化しているのに、一側面だけに限定してしまうことはとても窮屈です。平野氏がおっしゃるように、いろんな側面の自分がいることを受け入れられるようになると、少し生きやすくなるのかもしれません。

現在のように名前が固定されたのは、明治四年に制定された「戸籍法」以降のことで、それ以前は自由でした。親鸞聖人は、幼い頃の名を「松若丸」といい、九才で得度すると「範宴(はんねん)」という名を授かり、二十九才で法然聖人の弟子になった時には「綽空(しゃっくう)」の名をいただき、その後、「善信」、「親鸞」と名のっています。名前ひとつとっても、今は随分不自由になったような気がします。

環境によっても相手によっても様々な自分がいて、年齢を重ねるごとに変化していく自分もいます。阿弥陀さまの救いは、空間的にも時間的にも制限されないと説かれてあるのは、どんな自分にも漏れなく救いが行き届いていることをあらわしているのでしょう。阿弥陀さまの手の中で、自分を限定せずにのびのび生きたいですね。

雪山俊隆(寺報182号より)
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シェア

インターネット用語の「シェア」という言葉がよく使われるようになりました。みんなで共有するという意味で使われ、言葉や思想や写真や映像など、ひとりで独占せずに与えたり与えられたりする考え方です。これは今さら英語であらわすまでもなく、みなさんが日常的に行っていることで、生活の中での智恵を教えあったり野菜のお裾分けなどもそれにあたるでしょう。

仏教では「布施(ふせ)」や「喜捨(きしゃ)」という言葉があり、見返りを求めずに相手に与えることです。喜んで捨てるとまではとても言えませんが、人に何かを与えて喜んでくれた時はとてもしあわせな気持ちになります。

最近、外から声をかけてもらう機会が増えました。ありがたいことに、これまでの経験を評価してくださる方がいて、いくつかの企画や運営に関わっています。本願寺富山別院では宗教者の釈徹宗先生と各分野のスペシャリストによる対談企画「ゆるふか対談」のお手伝いをしています。宇奈月温泉の文化施設「セレネ」でも音楽イベントを企画することになりました。ほっこり法座も評価してくれる方がいて、その詳細をインタビューしてもらいました。これまで自分がやってきたことを活かしてそのノウハウをシェアしていくことにとてもやりがいを感じています。

どこまでいっても自尊心の塊ではありますが、与えられた場を大切に過ごしていきたいです。善巧寺にもその循環が生まれるようにつとめます。

雪山俊隆(寺報181号より)
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つながり

昨年は怒涛の一年でした。令和三年豪雪と名付けられるほどの大雪から新しい年が始まったことが遠い昔のように感じます。二年目のコロナ禍、お講の食事当番は休止したままとなりましたが、お参りだけは止めてはならぬと月二回の全回執り行うことができました。永代祠堂会や報恩講の年中行事も縮小しながら行い、花まつりマルシェや民藝の展覧会もなんとか開催することができました。いずれも、一回一回の緊張感がとても高く、慣例で行っていた時の何十倍もの労力を感じています。その分、行事の意義を改めて問い直す機縁になりました。

交流の場が激減したことは、主催側からすると、人との距離感が広がってしまう恐れを感じますが、一方で時間的な余裕が生まれました。コロナ以前は、考えることなく慣例で行っていたことを、「これってホントに必要なのか?」という問いがあらゆる場面で生じたのではないでしょうか。人と人の繋がりというのは不思議なもので、会話の中身とは別に、一緒に時を過ごした時間が少しずつ関係性を深めていく場合があります。言葉によるコミュニケーションはひとつの要素にしか過ぎず、じつはそれ以外の要素が大きなウェイトをしめていることを改めて実感しています。

仏教では、「言葉は月をさす指」と言います。指を見て欲しいわけではなく、指がさす方向を見て欲しいということです。言葉の先には何があるのか。本質が問われています。

雪山俊隆(寺報180号より)
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「私たちのちかい」に寄せて

浄土真宗本願寺派では、2018年11月23日、本願寺の秋の法要でのご門主ご親教において「私たちのちかい」というタイトルの言葉が示され、以来、本願寺関連施設や宗門学校などで唱和されています。全国の各教区や各組、各寺院でも唱和が推奨されました。その言葉や唱和推奨というアクションに関して、一部の若手僧侶の間では疑問の声があがり、私もその想いを2年前にFacebookにて記しました。改めてここに再掲します。

一、 仏の子は、すなおにみ教えをききます。
一、 仏の子は、かならず約束をまもります。
一、 仏の子は、いつも本当のことをいいます。
一、 仏の子は、にこにこ仕事をいたします。
一、 仏の子は、やさしい心を忘れません。

この言葉は、お寺の子供会「日曜学校」で推奨されている「ちかいのことば」で、善巧寺では年に数回の子供会で唱和していた。高学年になるとこれを読むのがとても嫌だった記憶がある。いつからか、「ひとつ、仏の子は、いつも本当のことを言いません!」と言い換えて友だちと顔を合わせて笑っていた。みんなで真面目に唱和することへの反抗心か、そう出来ない自分を突き付けられることへの反発だったのか。

先日、本願寺より新しい言葉「私たちのちかい」が発表された。冒頭に添えられた言葉には、「大智大悲からなる阿弥陀如来のお心をいただいた私たちが…」とあるので、阿弥陀如来のお心をいただいている人限定のお言葉と受け取れるが、文末には、「中学生や高校生、大学生をはじめとして、これまで仏教や浄土真宗のみ教えにあまり親しみのなかった方々にも、さまざまな機会で唱和していただきたい」とあるので、ピンポイントに絞って作成した言葉を、多くの人に触れてもらいたいという願いがあるようだ。これをもって、浄土真宗とはこういう指針を持った教えですよということを伝えたいのかもしれない。ここにその言葉を紹介する。

「私たちのちかい」
一、自分の殻に閉じこもることなく、穏やかな顔と優しい言葉を大切ににます、微笑み語りかける仏さまのように
一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず、しなやかな心と振る舞いを心がけます、心安らかな仏さまのように
一、自分だけを大事にすることなく、人と喜びや悲しみを分かち合います、慈悲に満ち満ちた仏さまのように
一、生かされていることに気づき、日々に精一杯つとめます、人びとの救いに尽くす仏さまのように

中学生から大学生までに触れて欲しいというだけに、子供バージョンよりもかなり難易度があがっている印象だ。冒頭の「自分の殻に閉じこもることなく」という言葉で、自分の殻に閉じこもる私を突き付けられ、続けて、すぐに眉間にしわが入り、人をののしる私の姿があらわになる。一つ目の誓いからかなりハードルが高く、子供バージョンよりも、より具体的にそう出来ない自分を意図的に知らせている印象を受けた。子供の頃を思い出し、さっそく、言い換えの遊びをやってみた。

「本当のわたし」
一、 自分の殻に閉じこもり、眉間にしわを寄せて、人をののしり、そんなどうにもならない私を、仏さまはそのまま受け止めてくれます。
一、 むさぼり、いかり、おろかさに流され、しなやかな心と振る舞いを持てない私を、仏さまはそのまま受け止めてくれます。
一、 自分だけを大事にしてしまい、人と喜びや悲しみを分かち合えない私を、慈悲に満ちた仏さまはそのまま受け止めてくれます。
一、 生かされているとは思えず、日々に苦しむ私を、仏さまはそのまま受け止めてくれます。

不思議なことに、反対に読んでみると阿弥陀如来の大きな慈悲の心が浮き彫りになり、浄土真宗の特長のひとつを端的にあらわしているように感じた。なるほど、これはもしかすると、こう読むべきものとして作成されたのかもしれないと思うほど。ただ、原文は、子供バーションとは比較出来ないほどに自分を突き付けられて「ダメな自分」という見方を与えてしまう可能性がある。元気な人向けの言葉で、苦しむ私を置き去りにされた気分になる。しかも、「大智大悲からなる阿弥陀如来のお心をいただいた私たち」が主語になるので、様々な人が集まる場で唱和するには無理があると言わざる得ない。

奇しくも、本願寺では「若者の生きづらさ」に焦点をあてた研修会を開いたり、「寄り添う」という言葉を多用して、困っている人たちへ手を差し伸べていくことを推奨している。今まさに闇の真っただ中にいて、自分の殻に閉じこもらざる得ない人たちへは、この言葉はとても厳しい。やもすると、上司から部下への強すぎる指導のように受け取ってしまうかもしれない。あるいは、数多くある「ちかいのことば」と同様に、どの言葉にも引っかからず、風景が流れていくのように言葉も流れていくのだろうか。

学校にも、会社にも、市町村にも、世の中には形骸化された理想や指針があふれている。おそらく、多数がひとつの方向を向いていた時代には有効なものだったのかもしれないが、声をあげられず置き去りになった人たちへ少しでも目を向けようとしているのが「いま」だと思う。本願寺も同様に、把握出来ないほどの「ちかいのことば」があるが、多様化という言葉が定着して、苦しんでいる人たちへの眼差しが重要視されつつある現代で、これらの言葉は「生きた言葉」になり得るのだろうか。時代に合わせる意図があるのならば、今だからこそ、「道徳」の先にある「どうにもならない私」に向けた救いの言葉を届けてほしいと切に願う。

雪山俊隆

<私たちのちかい関連サイト>
・浄土真宗本願寺派公式サイト
https://www.hongwanji.or.jp/message/m_000322.html
・お西さん(本願寺公式サイト)
https://www.hongwanji.kyoto/know/chikai.html

健康第二

私事ですが、40半ばを過ぎてから体の代謝が非常に悪くなり、気付けばお腹まわりにはたっぷりと脂肪をかかえ、ピーク時には76キロに達しました。靴下を履く時お腹につかえて倒れそうになるほどの状態です。もちろん正座にも影響します。これではいかんと、子供の夏休みに合わせて一念発起しダイエット生活が始まりました。食後のウォーキングで村の人とすれ違うのは今でも少し気恥しいのですが、2ヵ月を経ておよそ12キロ減量しました。今のところ病気ではありませんのでご心配なく。短期の減量はリバウンドの危険性も高く多くの方に忠告を受けましたが、長期計画できるほどの自信がないため、短期決戦に挑んだ次第です。

さて、一応の成果を出せたので、改めて健康は第二であることを申し上げます。というのも、これは闘病中の父がよく言っていたことで、「健康第一」という言葉には気を付けろと。たしかに病院でそれを言ったらどうなるでしょう。また、我々は老病死を避けられない身。健康であることはとてもありがたいことではありますが、不健康な者にも人生はあります。いずれ私も不健康になります。

みなさんは人生において何が第一でしょうか?私は仏法第一です。根源的な私の救いはそこにしかありません。阿弥陀さまは常に我を照らしたもうなり。老いる時も、病を患う時も、死にゆく時も、一時も離れず私を包み込んでくれます。健康の有無を問わず光を当ててくれる阿弥陀さまに帰依します。

雪山俊隆(寺報179号)

真ん中

善巧寺のイメージ図を書いてみました。ご覧のように、中心にはお寺の要になる法要が位置し、それに並んでご門徒方の葬儀や法事、年に1度のほんこさま、そして、月2回のお講・ほっこり法座があります。また、善巧寺の枠をはみ出している活動が多くありますが、地域や有縁の方たちともご縁を結びお寺を支えていく大事な活動です。他に課外活動としては、黒西組や黒部市仏教団など、お寺さん方との繋がりや、住職個人としては、黒部市教育委員会や宇奈月セレネ美術館の運営委員として地域との繋がり、本願寺や真宗教団連合の活動など仏教組織との繋がりがあります。

みなさまはどこにご縁がありますか?葬儀と法事以外に用はないという方もおられるかもしれません。花まつりなどの楽しい行事に興味を持つ方もいれば、仏教講座だけ受けたいという方もおられます。近年は天井画をご縁に参拝者も増えました。それぞれの入口で善巧寺とご縁が生まれていますが、関心の有無にかかわらず、どなたにも忘れてもらいたくないのは中心は仏さまです。真ん中に永代祠堂会や報恩講の法要があります。

「おつとめ」とは「つとめて」行うものなのでラクではありませんが、何よりも大事な行いです。ここが崩れると、お寺全体が不安定になり存在意義を失ってしまいます。みなさまの祖父母、父母、夫や妻、我が子の命日をご縁に「永代祠堂会」がつとまります。ど真ん中の法要へ、どうぞつとめてお参りくださいますよう、お願い申し上げます。

雪山俊隆

頼る力

小学校の卒業式で祝辞を述べました。これから人間関係を築いていくこどもたちに伝えたいことを考え、小児科医の熊谷晋一郎さんの言葉を紹介しました。一部紹介させてもらいます。

自立して生きるというのは、誰にも頼らず、ただひとりで生きていくことのように思われがちですが、本当はそうではなくて、たくさんの依存先をもつことだと熊谷さんは言います。

私たちは、あまりにもたくさんのものに依存しているから、何にも依存していないと錯覚してしまいますが、じつは、あらゆるものに支えられて生きています。熊谷さんが親なしで生活できるように独り暮らしをはじめたのも、親からの自立ではなくて、親以外にも依存先を増やしていくことだったのです。

みなさんはこれからもいろんな経験をしていきます。まわりが見えなくなるぐらい何かに熱中したり、誰かを大好きになったり、それはとてもステキなことですが、依存先がひとつに偏ると、とても危ない時があるので気を付けて下さい。苦しくなった時は、誰かに助けを求めてください。苦しいということを、誰かに伝えてください。人に頼れるようになってください。ここに仲間がいます。ここにいる大人も、みんなの応援団です。きっとわかってくれる人がいます。そして、自分に少しの余裕がある時は、困っている人に手を差し伸べられる心をもちましょう。そんな人を私は尊敬します。

「自立とは、依存先を増やすこと。希望とは、絶望を分かち合うこと」

雪山俊隆(寺報177号)

居場所

善巧寺の本堂は明治14年に建立されました。当時はコレラが蔓延していて、明治12年には富山県だけで1万人以上の死者が出たという記録があります。その年の過去帖を見ると、8月だけで100人以上のお名前が記されていました。コレラは江戸末期から数10年にわたって続き、明治19年にも再び県内で1万人以上の方が亡くなっています。

そんな過酷な状況の中で、現在の本堂は建立されました。しかも、それまでの本堂では手狭ということで、ひと回り大きなサイズになりました。まわりで人がバタバタと亡くなっていく最中、200~300人の収容が想定されていたことに驚きを隠せません。現在とは社会状況が大きく違うので比較にはなりませんが、今回のコロナウィルス騒動でも、改めてお寺の存在意義が問われ、見つめ直す機会になりました。

7年前の大法要では「みんなのお寺 わたしのお寺」というスローガンを掲げました。ひと昔前の方たちは、嫁いですぐに「お寺へ参りなさい」と有無を言わさず足を運ぶことになり、そこでコミュニティに入り、仏さまの教えに触れ、50年以上通い続けた方たちがおられます。長い年月を経て、いつしか第二の家としてお寺が居場所となりました。昨今、「居場所」という言葉をよく耳にしますが、即席で叶うものではなく、じっくりと腰を据えて苦楽を共にした中で生まれるものでしょう。価値観の変化に適応しつつも、大事なところを踏み外さずに歩んでいきたいです。

雪山俊隆