領解文

浄土真宗の教えの要を端的にあらわした「領解文(りょうげもん)」という蓮如上人の文章があります。善巧寺では拝読していないため馴染みはないと思いますが、日常聖典にも掲載されていますのでご覧ください。

領解文の冒頭には、「諸々の雑行雑修(ぞうぎょうざっしゅ)自力の心をふり捨てて」とあります。浄土真宗の救いは南無阿弥陀仏に集約しているため、さまざまな修行は一切必要ないとします。誤解されやすく注意が必要な内容で、救われるために修行をするのではなく、救いに預かっていることを着目していく教えです。

赤ん坊が親の名を呼ぶようになるのは、子が親かどうかを確かめてから呼び始めるのではなく、親のほうが呼んで欲しい名前を用意して、「ママよ」「お母さんよ」と繰返し伝えることによって、それを真似て呼び始めます。呼ばれるほうが用意して子に渡すのが呼び名です。アミダさまは、「ナモアミダブツ」という呼び名を用意してくれました。だから、呼び名はただの名詞ではなく、ありったけの願いが込められた名前です。アミダさまの場合、その願いは四十八個あると仏説無量寿経にあらわされています。

私がどうなればよいのかという視点ではなく、仏さまの願いを聞いていく教えです。私を中心にするのか、仏さまを中心にするのかの違いです。その願いを受け入れた上での行いは、仏になるための修行ではなく、ありがとうの気持ちでつとめましょうと勧めています。

雪山俊隆(寺報190号より)

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