白雪山善巧寺(はくせつざん・ぜんぎょうじ)は、室町時代開基の浄土真宗本願寺派の寺院です。宇奈月温泉まで車で15分、海へも30分圏内の黒部川扇状地に位置します。
名称
白雪山善巧寺(はくせつざんぜんぎょうじ)
宗派
浄土真宗本願寺派
住所
富山県黒部市宇奈月町浦山497
連絡先
TEL 0765-65-0055
FAX 0765-65-0975
本願寺より下附
阿弥陀如来絵像が本願寺9代実如上人より下附。
2代善超(~1532)
4代慶悟(~1567)
安土桃山
江戸
3代超慶(~1611)
5代慶祐(~1653)
6代慶善(~1675)
7代正因(~1686)
寺内に法輪寺建立(初代照傳)
8代霊泱
9代慶壽(~1740)
本堂再建。1881年に3回目の再建の折に、木材は入善町の持専寺の本堂に活用される。
空華盧(くうげろ)
11代僧鎔(そうよう)が開設した学塾。その門弟は3,000人及んだと伝えられ、現在もその遺徳を偲び、年に一度、空華忌が営まれている。
10代慶扇(~1776)
11代僧鎔(1723-1783)
僧侶を育成する私塾「空華盧(くうげろ)」を開き、その流れを空華派と称した。門弟は3000人と伝わる。天明3年11月5日(1783)61歳で往生。
12代慶恩(~1831)
僧鎔墓碑
11代僧鎔の遺徳を偲び、門弟の行忠が建立。
黒部市指定文化財(史跡)
13代慶因(~1842)、14代慶遠(~1842)
寺内に照行寺建立(初代順道)
15代慶悟(~1849)
16代魏山(~1863)
滑川・称念寺出身
明治
本堂建立
現在の本堂が再建。木材はすべて宇奈月町音沢の山から降ろされたと伝わる。
17代順圓(~1895)
射水・浄誓寺出身。命日の1日が後にお講の日に指定され、通称「ついたちのごえはん」とよばれる。
18代僧眼(~1918)
はなれ建立
19代俊夫の書斎として建立
大正
昭和
記念句
19代俊夫が僧鎔150回忌に詠んだ歌。「ありし日の 面影かたれ 老銀杏樹」
19代俊夫(1880~1946)
ドイツ文学者として活躍し京都大学教授を就任。日本ゲーテ協会創立者の一人。著書「ニーベルンゲンの歌基礎の研究」などで日本人初のドイツ政府からフンボルト賞を受賞。兄の18代僧眼がはやくに亡くなったため19代の世継ぎとなる。昭和21年往生。
除夜の鐘新調
彫刻家・佐々木大樹の彫刻が施されている。
空華殿・集会所建立
空華殿は客僧控室、集会所はご門徒の控室として使用。
野休み落語会
永六輔氏を座長に寄席の地方巡業
雪ん子劇団発足
親鸞聖人誕生800年春の大法要
親鸞聖人誕生800年秋の大法要
本堂屋根修復落慶法要
平成
21代隆弘(1940~1990)
大阪府高槻市常見寺に生まれる。縁あって善巧寺の娘玲子と結婚し世継ぎとなる。児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ各種団体を創設し、劇団の定期公演や永六輔氏を招いての「野休み落語会」など、文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。
門徒会館建立
1Fは有縁の方に開かれた集会所、2Fは研修会や会議が行えるホールを備える。
開基500年、門徒会館落慶法要
20代俊之(1911~1996)
僧侶になるまでは文学者の道を志し「日本浪漫派」として評論を発表。立命館大学の哲学教授、富山大学講師、富山女子短大教授、富山県教育委員長を就任。昭和54年、三法要記念事業で集会所、甘露室、空華殿を建設。昭和60年本堂大修復。平成8年往生。
雪ん子劇団シニア部発足
第22世住職継職奉告法要
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内陣天井画
親鸞聖人750回大遠忌の記念事業で、本堂修復の一環として新調。制作は日本画家の清河恵美氏。
親鸞聖人750回大遠忌法要
令和
納骨壇
本堂の山側一角に納骨スペースを設ける。正面には麻田弘潤氏による襖絵が施されている。
歴代住職
各種団体
<総代会>
善巧寺の中枢団体。各地区の代表が総代となり、総務部、営繕部、教化部の三部会いずれかに配属され、総勢30名からなる(本山への届け出は3名)。任期は4年。
<仏教婦人会>
各地区が2年交代で担当し、お寺の年間行事を支えていただく。
<花の会>
若婦人会。別名「日本一おいしいお菓子を食べる会」。月に1回、第2火曜日に集まり、おつとめとお話の後、当番が用意したお菓子を食べながら歓談。過去には、浜三枝トークショー、村上信夫アナウンサー講演会、本山へコーラスなどを行っている。
<お寺座実行委員会>
お寺の音楽会「お寺座LIVE」を主催するメンバー
<歴代の総代長>
~1998 鬼原勝次(浦山新)
1999~2000 野畑一雄(浦山)
2000~2005 住職不在
2006~2007 野島義春(浦山)
2008~2017 有馬文義(浦山)
2019~2020 中坂岩雄(三日市)
2020~ 澤田正(浦山)