立ち止まる

前向きにいろんなことに挑戦することは、とても力が必要な分、やりがいや生きがいになり人生を豊かにすると思います。一方で、立ち止まることもとても大事なことです。これまでのことを振り返り、自分自身を見つめて、これから先のことを想像していく。そこにはマニュアルはなく、人それぞれの環境や精神状態によって向き合っていく問題だと思います。

親鸞聖人は九才から二十九才まで比叡山の生活でした。団体生活には規則があり、やるべきプログラムがいくつも用意されています。その生活に区切りを付けて山を降り、ひとり六角堂へ向かいました。六角堂は、日本仏教の祖である聖徳太子が建立した寺院です。家庭生活を営む中で仏教を支えに生きた第一人者でもある聖徳太子を通して、自分自身と向き合う時間であったと思います。そこへ百日間通うことを決意して九十五日目に聖徳太子の夢を見ます。その夢を元に、法然聖人の元へ同じく百日間通います。

言葉で言うのは簡単ですが、自らの意思で向き合う百日間は相当な時間だと思います。親鸞聖人にはどのような気持ちの変化が起こっていたのでしょうか。この時間があったからこそ、確かな支えを持って生きてゆかれたと思います。

その後、不当な処罰を受け仲間を殺される事態が起こり、流罪の生活を送られました。晩年には息子と絶縁する自体まで起きています。しかし、どのような環境になろうとも、変わらぬ願いに支えられて人生を歩まれました。

※画像は昨年11/28撮影

雪山俊隆(寺報187号より)
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