何者でもない

NHK「こころの時代」特集「こう生きた どう生きる 山折哲雄 現在を問う」にて、善巧寺の親鸞聖人像(清河北斗氏作)が紹介されました。昨年十一月、ほんの一場面の映像を撮影するために東京から三名のスタッフが富山まで足を運ばれ、強い熱意を感じました。

番組冒頭では、宗教学者・山折哲雄さんが心を揺さぶられた言葉として、服部之総著『親鸞ノート』の「呪われたる宗門の子」が紹介されました。宗教的理想と現実のはざまで葛藤する人間の姿に、山折さんは自身の人生を重ね、親鸞聖人の生き方に深く共鳴している様子が伝わってきました。

聖人像とともに放送されたのは、親鸞聖人の和讃「愚禿悲嘆述懐」の一節です。

浄土真宗に帰すれども
真実の心はありがたし
虚仮不実のわが身にて
清浄の心もさらになし

浄土の真実の教えに帰依したが、この私にまことの心などない。嘘や偽りばかりの我が身で、清らかな心などありはしない。そんな厳しい自己認識が語られています。これはただの自己否定ではなく、そんな自分をまるごと引き受けて救おうとする阿弥陀如来の願いに照らされた時にこそ起きる、深い気づきといえるでしょう。

非僧非俗の説明では、「僧侶でも俗人でもない。自分は何者でもない」とナレーションが語り、「自分は何者でもない」という受けとめ方は、山折さん自身の言葉によるものでした。阿弥陀如来の大いなる願いの前で、何者でもなかった自分自身に安堵している姿が、とても印象的でした。

雪山俊隆(寺報193号より)

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