亡くなった方に対する「ご冥福をお祈りします」という慣用句は、浄土真宗においてたびたび問題にしてきました。なにが問題かと言うと、「冥」の字には、暗黒や暗闇というマイナスの意味があるからです。亡くなった方は暗い場所にいるのではないので、死後の幸福を祈る必要はないというのが浄土真宗の立場です。ただし、「冥」の字にはプラスの意味もあります。蓮如上人が「冥加」や「冥慮」という言葉を使う時には、「目に見えぬ大きな働き」をあらわし、諸仏や菩薩、阿弥陀如来の力をさします。
詰まるところ、「冥」の字には使い方によってどちらの意味もあるため、言葉だけを置き換えたとしてもあまり意味がありません。昨年は先代隆弘の三十三回忌でした。改めて三十二年前の葬儀の挨拶を振り返ります。
父は最後に「やりたいことは全てやった。人生五十年思い残すことはない。いい人生だった」と言っていました。くやしいし哀しいけれど、あれだけ満足してお浄土に行き、八月に亡くなられたお父さんとも再会して、最高の笑顔で私達を見守ってくれていると思えば、何も言うことはありません。私達もこういう世界を支えに、短くはかない人生だけれど、精一杯生きて、今度お浄土で父に逢う時には、父の大好きだった言葉で、「逢えてよかったね」と言ってもらえるような素晴らしい人生をつくっていきましょう。
故人に対しては、あまり慣用句に頼らず、自分の言葉で伝えることが何より大切だと思います。