空華の里


明教院僧鎔(みょうきょういんそうよう)

越中・水橋の農家に生まれ、幼名を渡辺與三吉といいました。11歳で、上市明光寺の霊潭(れいたん)師の門人となり、のち自坊に空華廬(くうげろ)を設けて学僧を教育、その門弟は3,000人に及ぶといわれています。天明3年11月5日(1783)61歳で入滅。
善巧寺の第11世、明教院僧鎔の祥月法要を、空華忌といいます。僧鎔は本願寺派空華学轍の祖といわれ、名は慶捜(けいそう)、字は子錬(しれん)。甘露室、雪山と号しました。

 

僧鎔法師石碑

善巧寺の門を入って左側に僧鎔法師の石碑があります。







法物蔵
お蔵には僧鎔師の遺墨などが展示されています。
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写真 (1)

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>> 黒部市HPより