どっちが欲深いのか

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昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。


うちのお寺に、お講というのがあります。月に2度、1日と16日に開かれる法座で、もう何百年つづいています。戦前までは全国各地にあったようですが、近頃はもうめずらしいものになってきています。

ところで、このお講には楽しみがひとつありまして、それは、住職や若院のお説教といいたいがそうではなくて、お昼のお斎(おとき)であります。各地区の当番が腕をふるってごちそうを作って下さいます。音沢(地区)の青物お講は山菜がいっぱい。そしてもうすぐ中陣(地区)のじゃがらお講-新じゃがのホクホクの煮つけが出ます。御膳料はなんと100円ポッキリで食べ放題。うれしいかぎりであります。

朝-。7時を過ぎると、ぼつぼつ当番地区の方が米や材料をかついでこられます。
「お早うございます。年に一度のお講当番に参らせてもらいましたちゃ」
「あー、あんた、ようこそこられましたわね」
てな調子で、いよいよ仕事がはじまります。コシヒカリをバケツにあけて、シャッシャッシャッと米をとぐ。その手に合わせて、20人余りのご婦人方があいさつをかわします。
「あら、あんた参られた?ばあちゃんマメなが?」
マメなが?というのはつまり、まめに暮らしているか、元気か、という意味でありまして、まあ、そんなあいさつがずうっとひとまわりするわけなんです。ま、出席者の確認というところ。

で、米とぎの時はいいんだけど、ダイコンやイモの皮をむくころになると、ちょっと変わってくるんです。
「ありゃ、ちょっと、あの人は?」
「ほんとや、来とらんぜ」
「そういや、あの人もやぜ」
と、欠席者の確認になってくる。でもまあいいじゃないの、たくさん来てるんだから、みんなでやれば軽いもんよ、となるかと思うと、そうはいかない。
「そうよねー、年に一度のご奉仕なんにねー。どうして来んがやろねぇ」
と、そのうち「そら、あんた、あの人、欲やもン」というささやき声。よくわかるのね他人の欲は。つまりその人、パートに出ていったらしいんです。で、最後はどうなるかというと「そら、やっぱり、休んだ人からは罰金もらわんにゃ!」であります。

山寺のほのぼののお講も、このあたりからじつにナマナマしくなってまいるわけですが、さて、そこで考えていただきたいのは、いったい、どちらが欲か、ということなんです。年に一度のお講当番をサボッてパートに走った人が欲なのか、それとも、お米洗って出席者の確認、ジャガイモむきむき欠席者の裁判をして、その人を欲と決めつけ、あげくに罰金とろうといってる方はちっとも欲深くないのか、ということなんです。

答えはかんたんで、どちらも悪い。でも、あえていうなら、パートの方は、会社で少し気がとがめて反省の心がわいたはず。一方は自分の欲を正当行為で覆いかくして、気付かぬままに他人を裁いて慢心にひたっている・・・こっちの方が悪いと思うんだけど、いかがでしょう。おしゃか様が自覚症状のない心の病気の第一に、欲をあげられたのも、こういうことだったんじゃないでしょうか。なにも、うちのお講だけじゃない。あなたのそばの婦人会や町内会やどこだって、こういうことよくありますよね。こんどから、どっちが欲か、よーく考えてみよう。


「お茶の間説法」第一巻(37話分)はこちらからどうぞ。
>> https://www.zengyou.net/?p=5702