ずーっと、よろこべるか

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昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。


自覚症状のない心の病気の2つ目は「不歓喜(ふかんぎ)」といいます。歓喜しない、喜べない。だれが?この私が、です。何を?すべてを、です。そうかしら?これでもけっこうよろこんでいるみたいだけど、とおっしゃるかもしれない。そうですね。自分の気に入ったことには、けっこうよろこんでいるみたい。しかし、それが、あまり長続きしないんじゃないですか?

例えば、旦那様はいかがです。彼と逢えたよろこびをいついつまでも持ち続け、ずっとよろこんでいらっしゃいますか?
「功、大好き!」
「ばっか」
そう、なくなられた俳優、木村功さんとこみたいに。学生時代に木村さんの劇団で1年ほどお世話になったことがありまして、よくお宅へ泊めていただきたんですが、ほんと、すばらしかった。20年余り前もやっぱり、木村さんと妻の梢さんは
「だーいすき!」
「ばっか」
でした。それが臨終の枕元までなんだからすごいですね。今朝届いた朝刊の本の広告には、2人の愛は星になった、とうたってある。星になったかどうかは、私達にはわからないけれど、いつもよろこび合っているすてきな2人だったことには違いありません。

さて、ふり返って、あなたはいかがですか?
先日、ある婦人会で聞いてみたんです。
「亭主とはそもそもなんぞや?」
80人ぐらいの会だったので、8人ずつ10組に分かれ、例のバズセッションとかいうあれをやりました。はじめはみんなおしとやか、シーンと静まりかえってたんですが、3分経たないうちに、もうたいへん。部屋中大さわぎであります。20分間辛抱して、さあそれでは聞かせて下さい、といったら、各グループの代表が-
「はい、うちのグループでは、いろいろ話しましたが、亭主とは何かと、改まって聞かれたことなかったので、結局、何かわからないものだということになりまして…」
「うちの方は、亭主というのはまあ、頼りになるようではあるけれど、べつにいてもいなくてもいい、ような感じもありまして…」
「私達のグループでは、結局、どうってことない、空気みたいなもんだとか・・・」
ここで場内、大笑い。みんな、テレてしまって、木村梢さんみたいに「だーい好き」といえなかったんだと思うんですが、それにしても「いてもいなくても」とか「いまさら亭主なんて」とか「でっかい子供みたいで手がかかって」とか「空気みたい」とかずいぶんきびしい。不歓喜の話でもしようかと思っていると、1人の奥さんが手をあげておっしゃった。
「あのー、私も、そう思っていました。いてもいなくても、空気みたいでなんて・・・。でも、なくしてみて、はじめてその主人のありがたさがわかったようなんです」
このひとことに、上っ調子だった奥さんたち、しゅんとなって「そんなものかもねー」となったんです。

目の前にいるときは、いて当たり前、どころか、だんだんうるさくなって、ちっともよろこべないのが私たち。でも「愛別離苦」-愛しい人とも必ず別れなければならないのが世の中だ-といわれているように、いま、よろこんでおかないと、あとで取り返しがつかなくなりますよ。今日からさっそく、梢さんのマネをして「だーい好き!」とやってみませんか。


「お茶の間説法」(37話分)
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