何を笑ったかで器量がわかる

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昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。


笑いとは突如として起こる相手に対する優越感のあらわれである-というマルセル・パニョル氏のことばは、グサリと私の心を突き刺します。私が何気なく、大口あいて笑ったことが、相手をどれほど傷つけるか、ということを、私はあまり気にしていなかったようであります。

例えば、前回も申しあげたように、私達は自分の健康をよろこんで、ついニッコリ笑うことがあります。ところが、これが、健康な者同士なら問題はないだろうが、病人の前ではやはり考えなくてはならないことでしょう。そういえば、ある女流作家で、体の弱い方が、こんなことをおっしゃていたのを聞いたことがあります。
「わたしは、心臓が弱く、いつ発作が起きるかわからないというとても不健康な人間です。そのわたしが、本当に腹立たしく思うのは、世間の人の会話の中の、健康に関するものです。なんといっても健康第一とか、体が悪くないのが一番の宝とか、元気であることが財産ですとか、そんな会話を聞くたびに、どうして世の中の人は、健康のことばかりいうんだろう、と思うんです。だって、不健康なものにも、人生はあるんですよ。不健康なものの人生にもよろこびはあるんですよ」

ハッとさせられました。本当にその通りだと思いました。それなのに、そんなこと気にもかけず、これまで、どれほど、笑いで人を傷つけてきたことでしょう。考えただけでもゾッとします。で、そんなことが気になり出してから、うちの子供を見ておりますと、長男が理由もなくワンワン泣いているときがある。ケンカもしていないのにどうしてだろう、と聞いてみると、「お姉ちゃんがぼくを見て笑うから」だという。バカバカしいと思ったんですが、じつは、これなんですよね。突っ張ってる相手から笑われただけで、もう泣きの原因は十分に成立するわけなんです。

さて、マルセル氏の説の結論でありますが、彼曰く「何を笑うかによって、その人の人柄がわかる」-。
「仮に、人間的な価値の段階が一から百まであるとして、私が61という価値を自分に与えたとする。すると、27乃至34の価値の人間が不幸な目にあっても私は哄笑する気になれないであろう」-と、彼はいうんです。なぜなら「私は彼らにたいして自分の優越性を証明する必要を感じないし、そんなことはずっと前からわかっていたし、その点に関しては、私はつゆいささかも疑ったことはないからだ」とおっしゃる。そして、反対に12乃至14の連中は、31の人間が失敗したりへましたりすると大喜びするだろうし、42の人間が大失態を演じると、この上もない快感を味わう。だが、61の者にとっては、そんなことは面白くもおかしくもない、というのであります。

だから、笑いというものは、笑い手の尺度に応じたものであることは疑いの余地のないことであって、これを吟味すれば、笑い手の人柄や器量といったものを正確に算出することはいとも簡単なことである、とマルセル氏はのたまうのであります。

さてさて、奥様、どうしましょう。あなたの笑い声は、相手を傷つけると同時に、あなたが何を笑ったかで、あなた自身のお人柄があさましくもバッチリ知れてしまうわけでありまして、ますます、大口あいて笑うわけにはゆかなくなってまいりましたねー。

「お茶の間説法」(37話分)
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