50年の下り坂、参拝者が全盛期の10分の1-善巧寺の現状-

10月19日と20日、善巧寺では毎年「報恩講(ほうおんこう)」という法要を営んでいます。報恩講とは「ご恩に報いる集まり」という意味で、親鸞聖人のご法要です。浄土真宗では特に大切にされている行事のため、本堂は特別な仕立てとなり、同宗派の近寺とは参り合い風習が続いています。

かつてこの報恩講には、大勢の方が集まりました。昭和48年には380名という記録が残っており、境内に露店も並んだそうです。その後は徐々に減少し、平成12年には200名を下回り、平成24年には100名を切りました。そして今年の参拝者は2日間で33名――全盛期の10分の1です。親身にしてくださる方にはとても痛々しい数字ですが、地域の変化とともに、人と人とのつながりの形そのものの変化を映しています。

<善巧寺・報恩講の参拝者推移>

(1980~1995年の記録はなし)

減少の理由はひとつではありません。高齢化や過疎化の影響もありますが、それ以上の速さで減少が進みました。数十年の間、役員以外の新しい参拝者はごくわずか。最も大きな要因は、「次の代へと縁がつながっていないこと」です。

印象に残っているのは、手伝いに来てくださった70代の女性の言葉です。

「これっちゃ私ら死ぬまでやらんなんけ?」

“私の後を引き継ぐ人はいない”という思いが、その言葉には込められていました。昭和初期生まれの方までは「子や孫のため」というモチベーションがありましたが、現代は核家族化がスタンダードになり、1代1代の完結型。次代のためという感覚は薄れ、どうしても馬力が落ちます。その結果、70代以上の人たちも、継続的にお参りする人は少数派になりました。言い換えると、この50年は地域コミュニティと代々続く家に支えられてきた歴史です。

参拝者が減り続ける中で、できる限りのことはしてきました。お誘いに力を入れて案内を工夫したり、一時は電話で案内したり、参拝バスを運行したこともありました。

また、報恩講を“みんなで作る行事”にしようと試みました。マジックや踊り、昨年は琴の演奏など、門徒さんの特技披露をお願いしたり、バザーを開いたり、多様な形で関わってもらえるよう工夫を重ねました。さらに、役員さんたちによる献灯献花やクイズ大会、参拝者がお花をお供えできるコーナーなど、参加型に力を入れてきましたが、婦人会の解散や、役員の2年交代制の地域が増えたことによって、持続的なつながりが持ちにくくなり、継続出来ませんでした。

コロナウィルスが蔓延した時は、なぜか一時的に参拝者が増えるということもありましたが、長いスパンでは誤差です。この時期に食事が出来なくなり、復帰出来ないままに今に至ります。

これらのことを赤裸々に共有することは、とても辛く恥ずかしいことではあり、自分の至らなさを痛感しつつも、現実から目を背けるわけにもいかず、次に進むためにここに記します。

それでもなお、この行事をやめることはありません。浄土真宗のお寺である限り、報恩講をつとめ続けます。数が減っても、声が小さくなっても、報恩講は、親鸞聖人への感謝をご縁に、いのちをつないでくださった方々への「ありがとう」をあらわす日だからです。少数は少数なりに実りある法要にできるようにつとめ、これからもこの報恩講を続けていきます。