うちはお寺ですが、最近、報恩講(ほうおんこう)という行事があったので、バタバタしておりました。この報恩講というのは、恩に報いると書いて、宗祖に対して感謝する行事のことです。シンプルに言うと、ありがとうの日ですね。
ありがとうって言葉を、いつ使っているか考えてみると、ほとんどがモノもらった時ぐらいでしょうか。恩というのは、大きければ大きいほど、見えにくいようで、また、こっちから求めて与えられたものじゃなく、求められるより先に、与えられたものをいうそうです。太陽や空気、なんてのもそうですね。見えにくい。というか見えない。みなさんは空気に感謝したことありますか?あ~、今日もおいしい空気吸わせてもらって、ありがとうって・・・ないですねー。聞いたこともないし、言ったこともありません。酸素マスクをはめなければ生きられない人にとっては、空気に対する感謝の気持ちがあるかもしれませんが、ぼくらは当たり前に思ってますよね。考えたことすらない。食べ物はまだ見える範囲ですが、それすらあやしくなってきます。親のご恩ってのも、耳の痛いとこですね。
恩ということについて、ひとつには、大きければ大きいほど見えにくい。そして、求められるよりも先に、与えられたものと。確かにそうですね。空気なんかは要求したわけじゃないし、請求書も送ってきません。恩というのには、もう一つ特徴があって、それは返しても返しきれないものだそうです。前に、テレビの人気タレントが、親に何千万円を送りつけたと、満足そうに言っていましたが、確かに、稼いだお金を親にポンッと渡すのは、ちょっとカッコイイですけど、それで恩を返したと思ったら大間違いのようです。親はどんな気持ちでしょうか。どんなに大金であったとしても、これで勝手に老後暮らしとけ、なんて気持ちなら、寂しいでしょうね。ありがとう、の気持ちのほうが、はるかにシアワセに思ってくれるものかもしれません。
今回は、ありがとうについて、お話させてもらいました。
ラジオ番組「ゆるりな時間」より