サイフ紛失事件

小学生の頃、ピアノを習っていました。三日市の駅を降りてから歩いて5分ほど、桜井高校のすぐそばにある教室でした。教室が終わると桜井高校の校庭に行って野球部の練習を見るのが何より楽しみでした。

ある時、教室を終えて校庭に行き、ふとカバンの中を見ると財布がないという事件が起きました。教室に戻り家へ電話をしました。出たのは父親でした。財布のないことを説明すると、「自分でなくしたのなら、自分の足で帰ってこい」と返事がありました。言われるままに県道を歩いて帰りました。途中、線路と交差になり小高い登り道があります。そこでひと息ついて回りを見渡すと、後ろのほうに黒い車が止まっています。少し気にとめながら、また歩き出しました。しばらくしてまた後ろを振り返ると、さっきの黒い車がとろとろ動いて止まりました。何度か繰り返していると、その車がついてきているのがわかります。よく見るとうちの車でした。なんでいるの?いるのなら乗せてくれればいいのに。子供心にその意味がわからず、結局、そのまま歩いて帰りつきました。その日、家でその話題は一切出てきませんでした。

それから30年以上経ちますが、今でも娘と息子の姿を見ながら、ふとその時のことを思い出します。子の前では強く言いつつ、心配のあまり一目散で息子の元へ行き、帰り着くまでを見届けてくれたんじゃないかと思います。

私が気が付かずとも、阿弥陀さまは私をいつも願っています。その願いを生涯かけて聞いていくのが浄土真宗の教えでしょう。今年父の27回忌を迎えます。

(寺報160号)