命日より誕生日

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昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。


ゴールデンウィークはいかがお過ごしですか。きのうは天皇誕生日。うちの寺では毎年、この日は「慶びの春」と称して、いろんな方の誕生をお祝いするんです。普通は寺の法事というと、なにかしめやかな感じですけど、誕生祝いなんだから、パアッとハデに楽しくやろうじゃないか、というわけで、近くのチューリップ畑から球根を太らすためにつみとった満開の花を、10数万個もいただいてきて、境内いっぱいにこれおを飾って、文字通りの花まつりをやるんです。

おしゃかさまの誕生、しんらんさまの誕生、日が日ですから天皇さまもようこそ、そして親代々、あなたの、わたしのさらに子供の誕生までよろこぼうじゃないか、というわけです。お坊さんというと、どうも誕生日より、命日の方に偏っちゃてる風ですが、私はやっぱり、命日よりも誕生日だと思うんです。死んだ親の日に仏だんで手を合わせるのもステキな習慣ですが、それより生きている間に誕生パーティーをやっといた方がいいんじゃないですか。

そう思って、うちの寺ではここ数年、門徒の方の中で、明治生まれのおじいちゃん、おばあちゃんに、誕生祝いを贈ることにしているんです。たいしたものじゃありません。仏様のお話しを書いた小冊子と、それに誕生カードが1枚、それだけです。

「おばあちゃん、おたんじょう日おめでとう。おばあちゃん、あなたのたんじょうがあればこそ、お父さん、お母さんも生まれたんですよね。そして、そのお父さん、お母さんのたんじょうがあればこそ、お孫さんも生まれたんですよね。いのちの尊さ味わいながら仏様に手を合わせましょう」
カードには、こんなことを書きました。目のうすくなったおばあちゃんにこの頼りが届きました。以下はそばにいたおじいちゃんの話でわかった宇奈月(富山)弁の、おばあちゃんと孫の対話です。

「寺から何かきたけど、ばあちゃん読めんが。たのむこっちゃ、読んで聞かしてくたはれ」
「うん、読んだけるっちゃ。”おばあちゃん、たんじょう日おめでとう”?!へー、ばあちゃん、たんじょう日あったがけ?」
「しゃあ、あるもんじゃ、おらもわすれとったけど。でで、それだけけ?」
「まだあるわ。”あなたのたんじょうあればこそ、お父さん、お母さんも生まれたんですよね”・・・ふーんそーか。”そのお父さん、お母さんのたんじょうがあればこそ、おまごさんも生まれたんですよね”・・・あれ?おまごさんちゃ、わたしのことけ。なら、ばあちゃん、ばんちゃんが生まれなんだら、わたしも生まれんかったんやな」
「そら、そういうことになるわいね」
「しゃあ、だいそうどう!なら、今日はばあちゃんの誕生パーティーやらにゃあ!」
といって小学3年のそのお孫さん、自分の小遣いにぎりしめて、お店に走って、何と、おばあちゃんのために、大きなデコレーションケーキを買ってきた。おばあちゃん胸いっぱいで、ケーキ食べられなくなったんですって。

おばあちゃんの誕生日を知らない子に育てたのはだれなんだろう…なんて、ことはこのさい抜きにして、とりあえず、いのちの尊さ味わいながら、おばあちゃん、おじいちゃん、なくなった先祖の誕生祝いをやってみようじゃないですか。


「お茶の間説法」第一巻はこちらからどうぞ。
>> http://www.zengyou.net/?p=5702