無心になるむずかしさ

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昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。


スタートラインに立ったら、こだわりを捨てよ-熟年スポーツの花、ゲートボールにかぎらず、人生の達人になるためには、まずこの第一課からはじめなくてはなりません。だれかさんが見ているからとか、ちょっといいカッコしてみせようとか、失敗したらどうしようとか、私達は何かを始めるとき、必ずこうしたことがいろいろ気になるものであります。

先日、寺で法座の開かれる前に、境内にゲートボールをやってましたら、お参りにきたおばあちゃんおじいさんたちが、案の定、「ホホ―、やっとられますなあ」と見物をはじめました。
「ながめてばかりじゃだめなのよ。スポーツはすすんでやらなくちゃ。よし、今日はひとつ、このゲートボールで、とにかく一発打ってみなくては、お寺の本堂には入れないということにしませんか」
みんな、ヒマなもんだから、それは面白いということになって、そこで、まず、しゅ木の持ち方、玉の打ち方、第一関門のねらい方なんてものを説明するわけで、
「いいですか、体を楽にして、そう、ゴルフや剣道みたいに、このツエを軽く握って、あの4メートル先の関門めがけて、カツーンと・・・ホラ、こういうふうに・・・ね、通過するでしょ」
とやったら、本当に入っちゃってパチパチパチと拍手がきて、じつにいい気分。で、いよいよ、おばあちゃんたちのプレー開始ということに。
「へぇ、こういうふうにねー、それで、この球を、ポーンと打つの?それ、ポーン」
こういうおばあちゃんの球は、だいたいリラックスしてるから一発で通過することになっています。パチパチパチ。「上手だねー」「選手になれるよ」などと、ギャラリーから声がかかる。で、次の番。
「フーン、これがスティックというものですか、へー、この球をねー、どこがおもしろいのかね、そういえばよくやってますね。え?ああ、あの門をくぐらすの?ええ?あんな遠いところ?わあ、こりゃ無理よ。だってはじめてですもの、ダメです。無理です。通過しません。私、こういうのヘタだから、入りませんよ。ゼッタイにっ!」
こういう人にかぎって、ねらっているんですよね。スタートラインに立ってから、第一関門をにらみ、ボールをにらみ、いろいろ能書きならべる。で、まあ、大体はハズレますね、こういう人。そしてすごくくやしがります。
「ねー、だからいったでしょッ、入らないって、そうなのよ、無理なんだから」
そうなんです。上達法第一課は、こだわりを捨てること。前のおばあちゃんは、その点、ヘーとかホーとかいってこっちのいうこと全部聞いて、無心で打ったんです。だから入った。ところが、あとのおばあちゃん。少々自意識過剰でありまして、とにかく、みんなが見ていることが気になって、うまく見せようとこだわったことが失敗のもとだったわけです。

さて、続いて第二打ということになりました。そしたらなんと、最初上手だったあのおばあちゃん、みんなから「あら、さっき一発で通過したあのひとだわ」「うまいのよねー」なんて、いわれて、結果は・・・ご想像通り、さっきの無心はどこへやら、コチコチになっちゃって、通過どころか、球にしゅ木が当たらないふうでありました。でも、これぞ人間、これこそ、凡夫なんですよね。なぜかみんなそのおばあちゃんといっしょに大笑いでした。


「お茶の間説法」(37話分)
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