あなたのために

善巧寺の伝統的な法要は、大きく縮小し厳しい状況にあります。かつて、お寺を第二の家のように感じ、行事参加が当たり前とされた時代がありました。私が生まれた頃の記録では、報恩講に380名のお名前が記されています。それが平成に入り200名台となり、平成20年代には100名を切り、現在は60名前後という状況になりました。

参拝の減少を食い止めようと模索してきましたが、思うような成果に結びつかず、力及ばない日々です。かつては親戚の法事に招かれれば自然に集うのと同じように、お寺参りは「行くのが当たり前」でしたが、いまは「親が世話になった場所」という認識にとどまり、「自分が参加する場」として受けとめる方は少数となりました。当事者意識を持っていただけないのは、こちらの伝道不足としか言いようがなく、住職として身の縮む思いを抱いています。

現在は、良くも悪くも、かなりフラットな状態になったのかもしれません。強制力が弱まった分、参拝者は自発的に行動する方々が集まり、当事者意識の中で法要が営まれています。その輪を少しずつ広げていきたいです。

法事や法要を営むということはどういうことなのか。手を合わせるとはどういうことなのか。私のこころの拠り処は何なのか。灯火はどんなに小さくなろうとも絶やしませんので、今一度、法要は誰かのためのものではなく、「あなたひとりのために営まれている」ということを受取っていただきたく、お誘い申しあげます。

雪山俊隆(寺報195号より)

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