テレビでやっていた

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。


育てる側だと思い込んでいた自分も、やっぱり育てられて生きている-って前回申し述べました。で、じゃあ、いったい、この私は、何に育てられているのだろう、ということを、すこし考えてみなくてはならなくなりました。

あんまり深く考えると、眠れなくなっちゃいますから、そこはまあ、軽く考えてみる-すると、ふと気付くのが「テレビ」です。私達の日常生活のほとんどは、このテレビの「お育て」をうけているんですよね。
「テレビでいってたけど明日は雨だって」
「やっぱり、子供にはきびしくんきゃいけないわねえ。ホラ、テレビであの先生もいってらしたわよ」
「ほらほら、これよ、新500円玉!テレビのニュースでやってたでしょ」
なにもテレビでやってなくったって新500円玉は出回っているんですけれど、とにかくテレビということばをくっつけないと話がおさまらないみたい。現代の気付かざる流行語は「テレビでやってた」じゃないかしら。いえ、なにも悪いといってるんじゃないんです。けどやっぱり、ちょっとヘンだと思うんです。

私のお寺で日曜学校というのをやっていまして、その子たちにある時、「おいしいものってどんなもの?」と聞いてみたことがあります。そしたら、100人いた子供がまずそろって「高いもの!」っていうんです。ガクッときて、「ほかに何かないのか、もっとおいしいものは」といいますと、ちょっと出来のいい子が「ハイッ!」と手をあげる。ホッとして「いってごらん」というと-
「それは、みんなが食べているものです」
「なるほど、みんあが食べてるものがおいしいか…そうだな、やっぱりごはんだな」
「あのぉ、違います」
「ん?」
「みんなが食べているものといえば、テレビのコマーシャルでやってるものに決まってるじゃないですか」
あの…何も悪いといってるんじゃないですが、おふくろの味よりフクロの味…お母さん、ちょっとがっかりしませんか?

いや、がっかりしているお母さんにしてからが、テレビ、テレビ、なんだから仕方ないんでしょうかねえ。で、テレビでやってなかったことにぶつかったりしたら、どうするんでしょ。けなげにも、パパに相談なさるのでしょうか。そんなことないですよね。「わたしにわからないこと、亭主にわかるわけないでしょ。一度テレビの相談コーナーに聞いてみなくちゃ」なんてことになっちゃう。極端かもしれないが、そんなとこ、あなたにもあるでしょ。

でもね、そのテレビだけどね、あんまり頼りすぎちゃいけないよ。それこそ、ほら、ついこの前、番組をやめた、小川宏さんがテレビでいってたよ。
「テレビというのは、まったくのウソというものではないのですが、すべてが真実というものでもありません。そういったつかみどころのなさが、われわれ情報をお送りする側にとっても、もどかしく感じることが、よくありましたねえ」

「人と人との間を流れる小川のようでありたい」なんて名セリフをのこしてやめていった小川さんだけど、17年間あのショーをやってのホンネがチラッとみえたみたいでした。流れる小川を頼りにしていたら、自分もいつのまにか流されてしまう。動かないしっかりしたものを見つめてみようよ。


「お茶の間説法」第一巻はこちらからどうぞ。
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