慣習

新年明けましておめでとうございます。
仏教では本来「喪中」という考え方はありません。その発端は、江戸幕府の「服忌令(ぶっきりょう)」を元に、明治7年に政府が制定した「喪に服すべき期間」にあります。昭和22年には廃止されていますが、今もその考え方は根強く残っています。近親者が亡くなった時、悲しさからしばらくはお祝い事に参加する気持ちにはなれませんが、それと「喪中」という考え方が融合して今の慣習になっているようです。

日本では古来より死を忌み嫌い、「ケガレ」とする考え方があります。それに対して、仏教は「ケガレ」という考え方を持ちません。特に浄土真宗においては、「南無阿弥陀仏を称え、仏様に生まれると思いなさい」という教えです。悲しみを抱えながらも、有り難いと言っていける世界を知らせてもらうことは、慣習を超えて、とても尊いことです。その尊い教えを元に、素晴らしい慣習もあります。葬儀やお通夜に「赤飯」を炊き、仏様に生まれた喜びを表現します。地域によっては唐辛子汁がセットになり、涙が出るほど辛いということから、別れの悲しみを表現しているそうです。

様々な慣習や習俗があり、お寺もそれらに入り込んでいるので潔癖ではいられませんが、折に触れて、そもそもの意味を知ることは味わい深いものだと思います。新年を迎えるにあたり、どうぞ手を合わすご縁を大切にお過ごし下ささい。お寺では親鸞聖人の祥月命日に勤まる「御正忌報恩講」が1月15日と16日に行われます。

雪山俊隆(寺報154号)