先祖代々

浦山は江戸時代の頃、加賀のお殿様が江戸へ向かう途中に宿泊した宿場町だったといいます。善巧寺の現在の本堂が建立された明治十四年は、宿場町の名残りはまだあったことでしょう。ご門徒の方々は相当に力を入れて、それまでより一回り大きな本堂に再建されました。

この時の住職は、17代目の順圓(じゅんえん)で、本堂を再建された翌年、僧鎔(そうよう)の百回忌を行っています。後に、その功績を讃え、毎月命日の一日に「お講」が行われるようになりました。通称「ついたちのごげはん」と言われています。順圓にはふたりの息子がいて、長男の僧眼(そうげん)が後を継ぎますが、早くに往生されたので、ドイツ文学者であった次男の俊夫(通称博士のごげはん)が次に後を継ぎました。それから、俊之、隆弘、俊隆と繋がっていきます。

善巧寺の歴代住職について過去帳にはそれほど情報がありませんが、11代僧鎔と17代順圓のふたりだけは、ひとりで1ページ以上の功績が書かれています。僧鎔は水橋の農家出身で、順圓は射水の浄誓寺出身です。善巧寺にとっては、僧鎔を親鸞聖人に例えるなら、順圓は蓮如上人と言えるのかもしれません。

活躍した住職の陰には、必ずそれを支えてきた多くのご門徒がおられます。つまり皆さんのご先祖方です。特に本堂の再建は大偉業で、どれほどの願いが染み込んでいることでしょうか。どうぞ参拝の折にそのことを思い出してみてください。

雪山俊隆(寺報165号)