依存

自立は、依存先を増やしていくこと。希望は、絶望を分かち合うこと。
(小児科医・熊谷晋一郎先生)

私たちは、家族や友人、仕事、趣味、お金など、様々なものを頼りにして生きています。「依存」と言うとあまり良い響きを持ちませんが、人は一人では生きてはいけず、たくさんの支えがあるからこそ安定を保てます。すべてのいのちの繋がり「ご縁」を説く仏教から考えても、目に見える支え、目に見えない支えをひとつでも自覚し、感謝の日々を過ごしたいものです。

ただし、どんなに頼りにしても諸行無常、常なるものは何一つなく、過剰な依存は危険を伴います。依存先がひとつに偏ると、それが崩れた時に自己崩壊しかねませんので、依存先を増やすことを心がけてみるのもよいのではないでしょうか。その上で仏教では、依存をひとつずつ手放していく道(聖道門)と、依存を離れられない我が身を知らされ阿弥陀仏に帰依していく道(浄土門)が用意されています。

専如門主のご親教には「少欲知足」というお言葉が出てきました。「欲を少なくして足ることを知る」とは、とても難しいことですが、ほっておくとどこまでも落ちていく私には忘れてはならない言葉です。仏教は死んだ後の話でもなく、机上の空論でもありません。今まさに私自身が問われる「生き方」が説かれています。正直なところ、即席で響く教えではないと思いますが、心の支えに不安のある方は、それを仏教に問うことをお勧めします。

雪山俊隆(寺報162号)