お寺の中心は、「仏さまの教え」です。その教えを守るために本堂があり、僧侶がいます。もし、教えが途絶える時が来たら、それはお寺の終焉でしょう。最後まであがけるだけあがいて悔いのないように生きたいです。そのあがきのひとつとして、5月から定例行事のお講を「ほっこり法座」という名でリニューアルしました。親交のある30~40代のお坊さんを招いて仏さまのお話を聞きます。参加者には毎回アンケートを配布して、食後にはその日の講師も同席でコーヒータイムを設けています。文字でも言葉でも、思ったことを出してもらう場を大事にしたいと思っています。
お寺に来ると法話やおつとめはもちろん、それ以外にも五感をとおして様々な情報を受け取っています。受け取りっぱなしでは時に消化不良(ストレス)になってしまう場合がありますので、その気持ちを外に出すことは大切です。耳を傾けるといろんな疑問が聞こえてきて、「煩悩はどこまで許されるの?」「人間は死なないと仏になれないの?」「子や孫にどうやったら伝えられる?」など、とても興味深いです。
蓮如上人は、「物をいえいえ、物をいわぬ者は、おそろしき」とおっしゃっていますが、その意味が少しわかってきたような気がします。答え探し以上に、問いを共有することにこそ大きな意味があるのではないでしょうか。
「希望は絶望を分かち合うこと」
小児科医の熊谷晋一郎先生の言葉にも通じます。毎月の定例だからこその距離感を大切にしていきます。
(寺報168号)