仏教が生きている国


「この世において、もろもろの怨みは、怨み返すことによって、決して静まらない。しかるに、それらは、怨み返さないことによって静まる。これは永遠の真理である」

おしゃか様がおっしゃったことばなんですが、このことばをそっくり、わが国に対する賠償放棄の演説に引用したのが、スリランカのいまの首相、ジャヤワルディネ氏だったそうです。仏教の智恵と慈悲に基づく平和論を、そのまま、政治の世界に持ち出す、さすが仏教の生きている国だと思います。

「どこやらの不沈空母とは大違いですなあ」
と、総代さん。うん、そういえば、その不沈のおっさん、最近、どこやらの会合で演説なさって「私は、あるお方の占いを、全面的に信頼している」などと。ちょっとひどいと思いませんか。ある新聞にはそれをおもしろおかしく書いてあったけど、歴代首相はみんな、そのケがあったようで、トランプ占いやら、おはらいやら、おつげやら・・・。日本の行く末が、占いやおつげやらで左右されるようなこと、あるはずないと思うけど、あぶないなあ、そういうこと起こる可能性大ですなあ。因果の道理をわきまえて、ありのままにものを見ることができる人、とても少ないような感じだもの。もう、そうなったら、総代さんのいう通り、スリランカかインドに移住するしかないですなあ。

「若ハン、そう悲観することないっちゃ。ほれ、ごらんなさいよ。生活はなんといっても日本やちゃ」
門徒のおばちゃん、バスの中から外の町並みを指さして、上機嫌。
「ほれ、ありゃ、はだしで歩いとるっちゃ。家も、ほれ、あんなに小さいし。食べるもんもカレーばっかりやろ。テレビもなさそうだし、まあ、これで、顔つきじゃあ二千年は負けたけど、生活では、三十年は進んどるんじゃなかろうか」
と、のたまう。ほんに、ご当地は、生活程度は日本よりは低そうで、観光バスとみると、インドほどではないが、子供達が集まってきて、ライター、ボールペン、口紅とせがむ。中にはタバコをくわえて、ちょっと火を貸してくれなどとやってきて、ライターをみつけると、みやげものと替えてくれというのもいる。聞けば、この100円ライターというのは、なかなかあちらの技術で作るのがむずかしいそうで、およそ3倍の値段がついているようす。

みやげもの売りも、なにやらみんな貧しそうだが、ふと思い返すと、私もこの子の年ごろ、大阪のヤミ市で、進駐軍がやってくるとだれから教えてもらったのか「プリーズギブミーチョコレートサー」とやった覚えがある。なるほど、あれから考えてれば30余年・・・おばちゃんが「30年は進んでいる」というのも間違いではないみたい。

でもどうして私達、こうも勝った負けた、進んでる遅れてるなんて、順番つけたがるんでしょうなあ。バスが大きな寺の前にとまった。
「ミナサン、オテラノナカ、ボウシトッテクダサイ、クツヌイデクダサイ、ホトケサマノイラッシャルトコロデスカラ」
ガイドさんがきれいな日本語でいう。寺にはいると、大きな菩提樹の涼しい木陰で、おばちゃんも、総代さんも、この私も、母親も、そして現地のたくさんの参詣者も、みんなハダシで、手を合わせておまいりしている。一つになれるのは、仏様の前ぐらいなんだなあー。


昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。

「お茶の間説法」(37話分)
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