讃歌 そうようさま

江戸時代、善巧寺には僧鎔(そうよう)という名の僧侶がいました。富山県水橋の農家に生まれ、11才で親元を離れて上市明光寺へ養子として入ります。その後、21才の時にご縁があった善巧寺の世継ぎとなりました。 京都本願寺で活躍し、善巧寺では「空華盧(くうげろ)」という仏教学校を開くなど、地域においても名士として誇りとされ、昭和初期には地元の小学校で僧鎔の讃歌が歌われていました。88才のおばあちゃんは今でも学校の帰りに歌った記憶があるそうです。その歌を現代の技術を活用して伴奏をつけました。どうぞご覧ください。