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ご本願の願い/梯實圓

このテキストは、平成3年9月29日、善巧寺の慶讃法要記念講演の法話を一部抜粋して寺報に掲載したものです。語り口調のまま文字起こしをしています。

今日お話させていただきたいと思いますのは、阿弥陀さまのご本願のお心についてでございます。浄土真宗の教えというものは阿弥陀さまのご本願を離れてはございません。むしろ阿弥陀さまのご本願のことを浄土真宗というんだとご開山(親鸞聖人)はおっしゃっているんですね。本願というのは難しい言葉でございますけれども、お願いということでございます。阿弥陀さまが私たちの1人1人にかけられた願いでございますね。その仏さまの願いを聞かしていただくということが浄土真宗のご法義に逢うということでございます。その仏さまのご本願というものがどういう事柄であるのかということをお話させていただきたいのでございます。

私は今、本願寺で教学研究所におるんでございますけれど、そこで浄土真宗聖典の編纂主幹をしておりまして、今ちょうど「七祖聖教」の原典版を編纂しているわけでございます。「七祖聖教」と申しますのはみなさんはご存じかと思いますけれど、浄土真宗のみ教えをお釈迦さまから親鸞聖人に至るまで二千年にわたってずっと伝えてくださった7人の高僧方がいらっしゃるのでございます。みなさん、お正信偈のなかに7人の高僧方のお名前とその事跡が述べてございますのでご存知と思います。龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師、源信和尚、法然聖人、この7人を7高僧と呼ぶのでございます。この7人の高僧方がお書き残しになった聖教のことを「七祖聖教」と申しているのでございます。それの新しい編纂を今やっているのでございます。実は本願寺でも、「七祖聖教」はすでに江戸時代からご蔵版はあるのでございます。しかし、これは本願寺が中心になって編纂したのではなく大阪に長円寺というのがございまして、この長円寺を中心にいたしまして大阪の学者達が集まって、編纂いたしました「七祖聖教」なのです。これは非常によくできております。今私たちが拝読いたしましても、ほとんど文句のないくらい大変よくできておるのでございます。それで本願寺の方も、これは大変よくできている、というので本願寺にお買い上げになりまして、それで本願寺のご蔵版という形で本願寺の名で出版しているのでございます。もともと本願寺のやった仕事ではないのでございます。ちょうどこちらの明教院僧鎔和上、空華学派の派組になられた明教院和上などが編纂をしてくださった真宗の和語のお聖教の全集がありまして、これが「真宗法要」という名前で伝わっておりますのがございます。この明教院僧鎔和上は真宗学ももちろんでございますけれど、その当時では最高の文献学者でもあったわけで、なかなか厳密な文献的研究によって真宗の和語の日本語で書かれたお聖教を編纂して下さった。僧樸和上と、その一の弟子であった明教院僧鎔師、その他が中心になって編纂して下さった。これは本願寺の名で編纂したものであります。だけど「七祖聖教」はもともとは本願寺がやった仕事ではございません。ことに、200年もたちますと、新しい資料もでてきますし、文献的な研究もどんどん進んでおりますので、新しい文献学的な視野に立ったお聖教の編纂というものを本願寺がやっておるわけでございます。これは今年度中にやりあげなければならないので、今一生懸命やっているのです。

これはご門主の名において行うものですから、1つ1つご門主に報告をし、そしてご指示を得るわけでございます。だいぶ前でございますけれど、この「七祖聖教」の底本と対校本がだいたい編纂委員会の方で決まりましたので、ご門主に報告に行きました。その時のことですが、ご門主はこういう学問的な話は非常に好きな方でございまして、こんな話をしかけたら、いつまででも話をしていらっしゃる。予定は1時間だったのに気が付いたら2時間くらい経っておりまして、内事の部長がいらいらしておりまして、「あの、もう時間なんですけど」というとご門主は「まあいいじゃないですか」ということでとうとう2時間あまりになってしまったんです。その時にいろいろお話をお聞かせいただいている時に、「このごろお説教の中で阿弥陀さまのご本願のお言葉をストレートにお話をするということは、ちょっと少なくなったんじゃないですか」と指摘されました。これはえらいことをおっしゃったなと思いまして、そういわれればそういう傾向があると思いまして、「これから気を付けさせてもらいます」と申したことでございます。

浄土真宗のお話なんですからいつどこでどなたがお話されていましても第18願を離れたお話はないはずでございます。また阿弥陀さまのこの本願を離れた話をしてもらったんじゃ真宗のお説教にはならないのでございますから、どんなお方がお話なさっても、それが浄土真宗のお話である限りは阿弥陀さまのご本願のお心をそれぞれにお伝え下さっておるには間違いないのでございますけれど、ただその本願のお言葉、阿弥陀さまの本願のお言葉に即して正確に如来さまの願いをお伝えするということがちょっと少ないのではないか、と大変大切なご指示をいただきました。それからあといろんな住職研修会とか布教師の先生方の講習会であるとかというふうな時には、まずそのことを申して皆さんにご本願のお心をストレートにできるだけお話をしていただくようにということを申しておるんです。今日も与えられた時間わずかでございますけれど、やはり阿弥陀さまのご本願のお心を皆さんにお話させていただきたいと思うのでございます。

さて阿弥陀さまの願い、ご本願は、お釈迦さまのお説きあそばした「仏説無量寿経」のなかに説かれています。先程「仏説無量寿経」作法のお勤めがございまして、その中でこの阿弥陀さまの願いが読経されておりましたから皆さんご縁に逢われたんでございますが、あれが阿弥陀さまの願いでございます。全部で48通りに誓ってありますので、これを48願と申しております。「設我得仏国有地獄餓鬼畜生者不取正覚」という言葉で始まっておりました。先程あげておられたのは聞いていらっしゃったでしょう。
「設我得仏---不取正覚。設我得仏---不取正覚」というふうに何回も同じような定型句がでてくるのを聞いておられたと思います。最も漢文で読まれるんだから、なんのこっちゃさっぱりわからんと思われるか知りませんが、よく聞いてますと「設我得仏(せつがとくぶつ)」という言葉で始まって「不取正覚(ふしゅしょうがく)」という言葉で終わる、一連の言葉が何回も何回も繰り返されております。「設我得仏」というのは「たとえわれ仏を得たらんに」と読み下すのでございますが、「たとえ私が仏になり得たとしても」ということです。「不取正覚」とは「正覚を取らじ」ということで、「こういうことを実現することができないようなら、私は仏になりません、正覚を取りません」こう誓われているわけです。正覚というのは、仏という言葉を中国語に翻訳した言葉です。「仏」というのはインドの言葉ですが、サンスクリットではブッダという言葉です。「ブッダ」は永遠な真実に目覚めた者ということです。そして、人々を目覚めさせるもの、それをインドの言葉ではブッダと呼ぶ。中国語では「覚者」とか「正覚者」といい、それを「正覚を取らじ」と書いてあるのは、私がたとえ目覚めた者となったとしてもこういう願いを実現することができないようならば私は本当に目覚めた者と呼ばれる資格がないんだ、こういうふうにおっしゃっているんです。私が真に目覚めた者となった以上は、ここに述べたような願いごとをきっと実現してみせる。こういうふうに仏さまが自らの願いに誓いをこめて仰せられておるんです。(寺報63号)

その願いが、48通りあるんでございますけれど、しかし、この48通りの願いの中で1番中心になる所がある。要になる所がある。それが第18番目に誓われた願である。これを第18願と呼んでおります。皆さんもお説教を聞かれると第18願ということを何回も聞かれると思います。ちょうど48通りの願いの中の18番目に誓ってあるから、第18願と呼ぶんです。この第18願が阿弥陀さまのご本意、仏さまの本心がここに表れている、この誓いに如来さまは自らの命をかけていらっしゃる、というのでこの第18番目に誓われた願を根本の願というので本願と言われてきたのでございます。そういうふうに48願の中で、第18願が如来のご本意なんだと、しっかりと見抜いて私たちに教えてくださった方が7人いらっしゃったのでございますね。龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師、源信和尚、法然聖人、この7人が阿弥陀さまのご本願の中では第18願にその仏さまの本心が表れる、これが阿弥陀さまのご本意だよっていうことを表してくださった方なんです。これを7高僧というんです。もっと言いかえますと、仏教にはたくさんの高僧方が出現されたけれどもこの第18願にこそ阿弥陀さまのご本意があるんだと言うことを見抜いてくださった方々は7人しかいらっしゃらなかった。それで、親鸞聖人はこの7人を浄土真宗伝統の祖師として仰がれたんです。これがお正信偈に「印度西天之論家 中夏日域之高僧 顕大聖興世正意 明如来本誓応機」といわれるのがそのことなんですよ。「印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓 機に応ぜることを明かしたもう」と、こうおっしゃってお釈迦さまは様々な経説をお説きあそばしたけれどもご本意は第18願の救いを説くことにあったということを私どもに知らせ、阿弥陀さまのご本願こそ私ども凡夫にふさわしい救いの法であるということを教えてくださったのがこの7高僧である。私はこの7人の高僧方のみ教えに従って、阿弥陀さまの親心を知らしていただくことができたんだ、こう言って喜ばれているのです。私たちもこのご開山のみ教えに従って、阿弥陀さまのお心を味わわしていただくのでございます。

何でもないことのようですが、実は48願の中で第18願が中心だということを見られた方は今申しましたようにほんのわずかしかいらっしゃらなかったんですね。他の人はそうはご覧にならなかった。例えば、私が自分の力で「大無量寿経」を読ませていただき、48願を読ましていただいても、まず第18願が阿弥陀さまのご本意を表したものだとは、とても読み取れません。あの程度の漢文だったら、ちょっと勉強なさった方なら誰だって読めます。けれども、仏さまのご本意がどこにあるかということを、見定めるっていうことはそう簡単に出来るものじゃないんでございます。読めば分かるというものではないんですね。

ちょっと余談になりますがね。今からちょうど1000年前、比叡山に慈恵大師良源という方がでられました。元三大師とも申しております。比叡山で1番大切な方はいうまでもなくご開山の伝教大師最澄です。その次に大切な方は、と言いますとこの比叡山を中興くださった慈恵大師良源という方なんです。比叡山の横川へおいでになりましたら元三大師堂というのがございます。その元三大師堂の裏をずーっと行きますと御廟と申しまして、この元三大師のお墓がございます。比叡山の聖地と言われるものは伝教大師最澄のお墓のある浄土院と、この元三大師の御廟なんです。元三大師というのは、元日三日に亡くなったというんで、元三大師といいます。この方が、浄土の教えについて書かれた書物があるんです。これは「仏説観無量寿経」の注釈書です。「仏説観無量寿経」に九品段という一段がございまして、そこを注釈されたので「極楽浄土九品往生義」という書物がある。この中に阿弥陀さまの48願を解説していらっしゃるんです。1つ1つの願に名前を付け1番最初の願は無三悪趣の願である。その次は不更悪趣の願である。その次は、というふうに願に名前を付けられまして、そして阿弥陀さまはこういうことを願っていらっしゃるんだ、ということを解説をしていらっしゃる。その中でこの阿弥陀さまの48願の中で1番中心になるのは何か、どの願が仏さまのご本意であるかということを問題にしまして、それは第19願である、とあの方はおっしゃっている。第19願が中心だと。なんでかというとこれは菩提心をおこしてもろもろの行をおさめ、清らかな功徳を積んで、そして浄土へ迎えとってくださいという願いを起こした人は、阿弥陀さまがその人の臨終にたくさんの聖者をひき連れて、お迎えに来てくださると書いてある。これが第19願です。これが阿弥陀さまの本意であるといっている。なんでかといったら阿弥陀さまがわざわざ臨終に迎えに来てやろうとおっしゃっている、これは阿弥陀さまのお心にかなった行者であるからだとこう言うんです。そう言えばそうかいなとも思います。

私は毎日本願寺の教学研究所に行っています。私が行っても別にご門主さまは迎えに出てこられません。あたりまえですよね。ただしかし、ご門主さまが迎えにお出になるということもあります。その人はよほどの大物でしょう。前にイギリスのエリザベス女王がおいでになった。前門さまの時代でございましたけれども、あの時は前門さまがちゃんとお出迎えになった。そしてご自身でずーっとご案内なさった。ご門主がわざわざ門まで迎えに来るというのはよっぽど大事な賓客の場合だけです。そうしますとね、阿弥陀さまがわざわざお迎えになる、これはただ者ではない。如来さまのお心にかなった人だから、阿弥陀さまがお迎えになるんだ。それはまず菩提心を起こしている方です。菩提心というのは自ら仏になろうという願いを起こすと同時にすべての人々を救って仏にならしめようという広大な願いを起こして、清らかな生活を送りながら、世のため人のために自ら命を投げ出して励む。そういうすばらしい行を積んだ人、こういう人だから仏さまのお心にかなう。それで仏さまが臨終に迎えにいってやろうとおっしゃる。これが第19願です。だから第19願が仏さまのご本意であるとおっしゃるんです。すると第18願はどうなるんだろうというと、これはたいしたものじゃないという。わずか10ぺん「南无阿弥陀仏・・・」とお念仏した位の人だからたいしたことではない。だから阿弥陀さまがわざわざ迎えに来てやろうとはいわれてないというのです。なるほどそういわれると18願には臨終に来迎するとは書いてない。しかしせっかく「南无阿弥陀仏」といっているんだから、ほっとくのはかわいそうだからせめて極楽のかたすみにでも連れてってやろうかというぐらいで阿弥陀さまが誓ってあるんだから阿弥陀さまのご本意と違う、こうおっしゃってる。極楽の片隅というとなんですが、程度の低い浄土のことです。仏さまのお救いというのはそれなりの功徳に対してのものだから、功徳のないものにはたいしたご褒美がないのは当たり前というのです。ところが、その慈恵大師良源僧正の一の弟子に、源信僧都という方がおられます。「源信広開一代教 偏帰安養勧一切」とお正信偈にいわれている源信僧都でございます。この源信僧都が「往生要集」という書物をお書きになったのですが、そのお聖教の中で、お師匠さま、慈恵大師良源の説を打ち破ってしまった。その「往生要集」を拝読しますと、48願の中で阿弥陀さまのご本意を表された願は第18願なんだと書いてある。48願の中で「念仏門において別して一願を発して曰く、乃至十念、若不生者不取正覚と誓いたまえり」とおっしゃっているんですね。48願の中で、特別に1つの願をおこして、たとえわずか10ぺんでも私の名をとなえてくれ、そして私の国に生まれることができると思ってくれ、必ずお浄土へつれてくぞ、と特別の慈悲をこめて阿弥陀さまがお誓いくださったのが第18願なんだ、ここに仏さまのご本意が表れているんだ。大悲の親心のすべてはこの第18願に表れているんだ、こうおっしゃった。これが源信僧都という方なんです。(寺報64号)

これが「往生要集」の一番大切なところでして、ご開山は読み込んでいらっしゃる。親鸞聖人は源信僧都があらわそうとされた本願のみ心をお正信偈の源信章の中で「極重の悪人はただ仏を称すべし、我もまたかの摂取の中にあり、煩悩眼をさえてみたてまつらずといえども、大悲ものうきことなくして常に我を照らしたもうと言えり」と源信僧都の「往生要集」のお言葉をあげて讃詠されています。自らの力で自分を救うことも出来ず、自分で自分を整えることのできない私のような、死ぬるまで煩悩にまつわられたおろかな凡夫を見捨てたもうことなく、どうぞ助かってくれよ、どうぞこの親に助けさせてくれよ、と願いをこめて私たちのために立ち上がってくださったのが阿弥陀さまだ。だから阿弥陀さまは、誰でも、いつでも、どこでもいただいてとなえることのできる「南无阿弥陀仏」を選び取って、お願いだから私の名をとなえながら私の国に生まれてきてくれよ、と願ってくださった。「極重の悪人は他の方便なし、ただ阿弥陀を称して極楽に生まる」こう源信僧都は教えてくださったのでございます。私は妄念煩悩に狂わされて仏さまの姿を拝むことのできない愚かな者だけれども、仏さまの御名をとなえ如来さまの親心を仰ぐ私は、仏さまのお慈悲の光の中におさめとられておる。念仏の衆生を摂取して捨てないとお誓いあそばした「仏説観無量寿経」の言葉によれば、私もまた阿弥陀さまの光の中におさめられておる、愚かな私はその仏さまの光を拝むことはできないけれども、「大悲ものうきことなくして常に我を照らしたもうなり」こう源信僧都はおっしゃった。これが、ご開山のお心を打つんですね。

しかしこの源信僧都のお味いはお師匠さんの慈恵大師良源の意見をひっくりかえしています。阿弥陀さまの救いは、功績に対するごほうびとは違うんだ、と言われるんですね。親が子供の面倒を見るのは、子供が功績を上げたから面倒見るのと違う。生まれたての子供を面倒見ずにはおれない、その子供に全身全霊を注いで、その子供を育てずにおれない、見捨てておけないのは親心の必然なんだ。阿弥陀さまの救いというものは、功績に対する褒美じゃなくて、大悲心の必然として如来さまから賜るのがお救いなんだ、功績に対する褒美として阿弥陀さまのお救いを考えているのは間違いだ、そんな考え方で「大無量寿経」を読んでも阿弥陀さまのお心は分かりませんぞ、と言うた。これが源信僧都の「往生要集」なんです。だからご開山は、この源信僧都こそ日本の国では初めて阿弥陀さまの切ない大悲の親心を読み取ってくださった最初の方だといっておられる。それで、源信僧都を7高僧の1人として数えあげていらっしゃるわけです。

話が第18願の本文からはずれたようですがこれから本文を話します。「たとえ仏を得たらんに」たとえ私が仏に成り得たとしても、ということは前に申しました。「十方の衆生」とは十方世界に生きとし生ける全てのものよ、と如来さまは願いをかけよびかけていらっしゃることを示すことばです。この如来さまの願いを宿されていない者は、1人もいないということです。人だけじゃない、犬も猫も馬も牛も1匹の虫に至るまで如来さまの大悲の願いは宿されているんだ、これが十方の衆生よと願いかけられた言葉です。実に広い願いでございますね。そうしますと、あなたにも私にも如来さまの願いが宿されているんだな、ということにまず気付かせていただく。

次に「至心に信楽して我が国に生まれんとおもうて乃至十念せんにもし生まれずは正覚を取らじ」とお誓いになっています。「至心(ししん)」というのは真実ということ、「信楽(しんぎょう)」というのは疑いなくということ、ですから「ほんまに疑いなく」というのが「至心信楽」です。「欲生我国(よくしょうがこく)」我が国に生まれんとおもえ、我が国に生まれるんだと思ってくれよということです。これが仏さまの願いでございます。私にどう思ったらいいのかそれを指示してくださっているんですよ。「乃至十念せよ」すなわち十念に至るまでせよ、というのは、たとえわずか10ぺんでも私の名をとなえながらその人生を生きてくれよ、ということです。これが仏さまのお願いです。そして「もし生まれずは正覚を取らじ」もしお前をお浄土に生まれさせることができないようなら私はまさしく目覚めた者と呼ばれる資格はないんだ、わたしが仏になったら阿弥陀仏としての名にかけて必ずお前を浄土に生まれさせる、こうお誓いになっているんです。これが第18願でございます。このお言葉の中に自分の生きる意味と方向を聞き定めていく、これが浄土真宗を聞くということです。

お前一体誰なんだ、と言われた時に、お前は一体どっちに向かって生きているんだと言われた時に、即座に私は阿弥陀さまの子でございます、そして私は阿弥陀さまの所へ生まれさしていただきます。こうズバッと答える事のできるような、そういう心境を開いてくださるお言葉なんです。7高僧の伝統というものは、そして親鸞聖人が確立された浄土真宗の伝統というものは、この仏さまの願いの言葉の中に、自分の生きていることの意味と方向を聞き定め、思い定めてきた歴史なんですね。そのことをもっと詳しくお話させていただきたいと思うんです。考えてみますと、私の生きている意味と方向といいましたけれど、私は一体何者なのかっていうのは大変なことですよ。「お前は一体何者だ!」といわれた時に皆さんどう答えます?私は先程紹介していただいたように「梯實圓」というんです。私は梯實圓です、というたらこれは名前でございます。私そのものではございません。名前は他の人と区別する時に便利にするために付けただけなんです。私にとってこの名前は別に必然的なものではない。だって、私が生まれた時名前はなかったんだもの。生まれた時、名前がなかったらわたしでないのか?そんなことはない、私は私です。そうすると、お前誰だといわれて、名前を言ったって私の本体を示したことにはならん。名前でなしに本当のお前はなにものだと言われたら、あんた方返事できますか?これは大変難しい問題です、今から1300年程前インドにシャンカラというすごい哲学者、宗教家がでました。これはインドの哲学的宗教であるベーダンタ学派の大成者です。このシャンカラという人は、死んだのは30そこそこだったそうですが、そういう人が千何百年あのインド文化圏の思想信仰をリードしているということになりますとすごいと思うんです。命というのは長い短いはあまり関係ないですね。とにかくこのシャンカラは、弟子がやってきた時に必ず聞いたのが、「お前は誰だ」だったそうです。そしたら弟子が「私は何の某です。父は・・・母は・・・、そして家系は・・・でございます」こういうとシャンカラは「俺は名前を聞いているんでも家系をたずねているんでもない、お前がなにものだって聞いているんだ」と言われたそうです。そう言われると返事が出来なくなってしまう、私はなにものだかわかりませんと言った時に、それを学ぶんだ、それをしっかり学ぶんだ、と言うたそうです。そういえば道元禅師も「仏道を習うというは自己を習うなり」といっています。「お前誰だ」と言われた時に即座に返事ができるように、そういう人間になっておけというんです。そのシャンカラ自身が、10いくつで、ある師匠についたその時に、師匠がシャンカラに「お前は何者だ」と聞いたそうです。その時彼は即座に「私はブラフマンである」と言った。「ブラフマン」というのは、インドでは宇宙の根源的実在です。万物はそれによって在り、その万物をあらしめている根源的な実在である。そのブラフマンである、と言うたそうです。そしたらお師匠様が、インドはえらい人は高い所にいるんですが、その高い所から降りてきまして、そしてシャンカラの手をにぎって、私はあなたのような人が来るのを待っていた、一緒にそのブラフマンの心を学びましょう、といって師匠が手をとってくれたという有名な話があります。(寺報65号)

私はシャンカラと違いまして「大無量寿経」の教えによって、この阿弥陀さまの本願のお心によって、「おまえは何者だ」と言われた時には、「私は阿弥陀さまの子でございます」と即座に答えさしていただくことにしているんです。あなたたちもそうしたらどうですか。如来さまは私たち1人1人を「一子」のように、かけがえのない1人の子として私たちを念じてくださる。その思いがあの本願の言葉となって表れてきている。お経には如来さまは「衆生をみそなわすこと一子のごとし」「まさに知るべし一切の衆生は如来の子なり」とおっしゃっている。ご開山はこの言葉を「教行証文類」の信文類に引用してある。「如来は衆生のために慈父母となりたもう」如来さまは慈しみ深い父母となって私たちの前に立っていてくださる。「まさに知るべし一切の衆生は如来の子なり」皆仏さまの子なんだよ、如来さまから大切な我が子よと呼び掛けられている仏さまの子なんだよ、とご開山はおっしゃってますが、私はこのご開山の指示に従って、「お前は誰だ」と言われたら「私は阿弥陀さまの子だ」と言わしていただくことにしてます。死んでも、阿弥陀さまの子ならどこもよそへは行きません。阿弥陀さまの国に生まれさしていただく、阿弥陀さまの世界を我がふるさとといい切らしていただくことができる。私はお浄土から来たわけではありませんが、親のいますところが、私の帰るべき故郷なのです。それが如来さまの本願の言葉に逢った人の喜びなんでしょうね。私は阿弥陀さまの子として、阿弥陀さまの大悲を宿されて生きさしていただいている、そういうものなんだ、と自分の存在を、生きていることの意味を確認していくことです。阿弥陀さまから大切な我が子よと言われている存在なんです。大事にしましょうよ。年がいってもう私みたいなもんが生きとっても何の役にもたたん、早くお迎え来んかいなという人がいるけど、そんなこと言いなさんな。役に立とうが立つまいが、そんなことは関係ない。なんの役にも立たなくっても、如来さまは私の命に向かってお前はかけがえのない大切な仏の子なんだよ、こう呼んでくださるんだ。私たちは如来さまからやがて仏の徳を実現する大切な仏の子なんだよと言われていることに支えられながら生きさしてもらいましょう。世の中のすべての人からお前みたいな奴は死んでまえといわれたって、大きなお世話だ、私が存在していることは如来さまによって認められているんだ。こう言わしてもらいましょうや。如来さまによって認められている人生を大切に生きさしてもらうんです。その意味で自信を持って生きさせていただきましょう。

「煩悩具足の凡夫」というのは、どうにもならん悪い奴だ、ということと違います。ごみと違う、ただ悪いだけだったら、ただのごみだったら、捨てりゃあいいんだ。しかし、仏さまは私を捨てられんとおっしゃった。如来さまからは如来子といわれているものでありながら、しかし私たちは仏さまの子らしい生き方をしとるか、というたらいっこうにそれらしい生き方が出来ておらん。仏さまに背中向けて悪魔に魂を売ったような浅ましい日暮らししかしていない、そのことの申し訳なさを、「煩悩具足の凡夫」というのです。仏の子が仏の子らしからぬ生き方をしていることを申し訳ございませんと慚愧している。それがこの言葉です。ただつまらんもんだ、というのとは違う。これを間違わないようにしてください。私たちは如来さまから大切なものとして、如来さまにその存在を承認されているものなんだということです。そして、このこの仏さまの子として生きる私は、阿弥陀さまの世界へ、限りない命と光の世界に向かって歩みを運ばしていただいている人生であるといいきらせていただくことができます。こう言わしていただける心の視野を開いてくださるのは、この本願のお言葉ですね。「お願いだからほんまに疑いなく私の国に生まれることができると思ってくれよ」という如来さまの願いを聞き入れさえすればいい。話はそれでけりがつく。「私は何にもわかりませんけれども、あなたのお言葉のままにあなたの世界に生まれていく人生であると思い定めさしてもらいます」とこう仏さまの仰せをスイっと受け入れたらその瞬間に仏さまは、そうかお前私の願いを聞き入れてくれたか、それじゃもうお前も私の仲間やで、とおっしゃってくださる。私たちはこの瞬間から仏さまの仲間として生きさしていただくんですよ。それを親鸞聖人は「正定聚(しょうじょうじゅ)にいる」と言われたんです。仏さまのお言葉を如来さまの願いを聞き入れて、自分の人生を思い定めていくものが仏さまのお弟子でございます。真の仏弟子でございます。仏弟子というのは、どんな生き方をしているかではなく、仏さまの願いを聞き入れたかどうかで決まるんです。もう、ことわりを言わんようにしましょう。仏さまの言葉、願いのままに、あなたの世界に生まれさしていただくとこういただく。その瞬間に私たちの人生の方向が決まる。方向が決まった瞬間に私たちは放浪者じゃない確実な方向に向かう旅人になる。旅人というのは、方向が決まって行き先がわかっているから旅人なんです。行く先が決まっていなかったら放浪者だ。人生を放浪として終わるか、それとも帰るべき命のふるさとを約束していただいて生きるか、これはこの仏さまの仰せを聞き入れるかどうかの問題です。信心というのは、この仏さまの仰せをはからいなく聞き入れることなんです。如来さまの言うことを聞くことなんです。親鸞聖人は、はからいなく仰せを聞けよ、聞き入れよとおっしゃっていますから、仰せのままにお浄土に生まれさしていただく、こう思い定めさしていただく。

考えてみたら私たちはこの世に生まれた時、何にも知らんと来た。何の予備知識も与えられないまま、この世に生まれてきました。どこそこの家に生まれたいと思って生まれてきた訳じゃないでしょ。気が付いたら生まれてた。何しにきたのかもしらん。生まれたことも後になってわかった。そんなもんでしょ。そして、こうしろああしろ、こおでもないああでもない、と言われるうちにここまで育った。そのうちにふと気が付いたらもうお前の持ち時間終わりやで、というようなことになるんです。その時に行く先が決まっていなかったら、これは大変なことです。この命、いずこより来ていずこに去っていくのか何もわからない。実はこれが私たちの本音でございます。何1つ知らされないままこの世に生まれてきた、これは大変なことですよ。ジャンポールサルトルという哲学者がおりましたが、彼は人間ていうのは投げだされたようにこの世へ生まれてくると言っておりますが、まさにそうでしょうね。私だけわからんのか、と思ったらそうでもない。あの有名な弘法大師もわからんと言われている。この方は頭の良い人でね、「行くとして可ならざるなし」何をやらしても超一流、という人物だった。あの方の書物を読んでいると、才気煥発という確実にすごい頭脳の持ち主だったと思うんです。その弘法大師の書物の1つに、「秘蔵宝鑰」というのがある。その序文に「生まれ、生まれ、生まれ、生まれて生の始めに暗く、死に、死に、死に、死んで死の終わりに暗し」こういう言葉があります。この命いずこより来ていずこへ去っていくのか、何もわからない、ただ漠然とした命を今こうして営んでいる。身震いするような思いがしますな。そんな私が、仏さまのお言葉によって仏さまの教えによって、自分の命の生きている意味と方向を聞き定め、見定めたいと思うんだ、というのでこの書物を表されているわけです。しかし、大師は「金剛頂経」や「大日経」といったお経の中に、自分の命の方向を聞き定め見定めようとされていた。私は親鸞聖人のみ教えに従って「大経」に示された阿弥陀さまの願いの言葉の中に私の生きる意味と方向を聞き定めさしていただこうと思う。私の命には、如来の命が宿された命なんだ。そしてこの命は如来さまの世界に向かって歩みを運ばさしていただいている。やがて訪れる死はむなしい滅びじゃなく、永遠の命の中に帰っていく。永遠の生である。と言われるような自分の人生の意味と方向、それを本願のお言葉の中に聞き定めさしていただくのでございます。こうしてご縁に逢わしていただいて、そして阿弥陀さまの本願をずうーっと受け継いで伝えてくだすった多くの方々の御化導の伝統をいただきながら、私もまたあなた方と同じ世界へ生まれさしていただきます。同じ阿弥陀さまの願いを宿され、同じ阿弥陀さまの世界へ生まれさしていただきます。前と後ろとの違いはあっても同じ所で逢わしてもらいます、こういうことがズバッと言えるみ教えを与えていただいたということは、本当にありがたいことですね。ちょうどお時間になりましたのでこれでお話を終わらせていただきます。(寺報66号)

いのちを考える/梯實圓

このテキストは、昭和62年に行われた「行信教校OB会並びに黒西組内研修会」での梯實圓和上の記念講演を抜粋したもので、善巧寺の寺報46号(昭和63年)に掲載されました。

いのちというものを考えてゆきますときに、まず、私は「生命」と漢字で書く場合と「いのち」とかなで書く場合と、ちょっと区別をしておきたいと思うのです。と申しますのは、この「生命」というものの一番小さな単位として考えられるのは、細胞でございましょう。もちろんさらに小さく分子、原子、素粒子・・・ということになるかもしれませんが、いわゆる生命現象としてみますと細胞ということになるでしょう。単細胞動物から多細胞で組織をつくり、それが機関というものをつくりあげ、それが系を、またそれの統合されたものとして「個体」というものが成立するわけです。ゾウリ虫からイヌ、ネコ、人間にいたるまで、こうした細胞のあつまりが分裂し、そして死骸を残して終わってゆきます。

これもまあ生命現象といえばいえるのですが、どうも私たちが、「いのち」という場合は、もう少し違った感じじゃないかと思うんです。例えばね、私がふと、目の前に、木から落ちて死んでいるセミの死骸を見ても、あまり心が動きません。「あ、セミが死んでいるな」というぐらいです。けれども、それが自分の子供だったらどうか-「あ、子供が死にかかっている・・・」なんて気安いものじゃないでしょう。その時に、いのちが失われるという同じことでも、セミと自分の子供とは全然違うでしょう。まあ、そんなところを私は「生命」と「いのち」と区別しているんです。まあ、このように「いのち」というものは、平常はなんとも意識しませんが、失われかけたときものすごい実在感をもって、私たちにせまってくるんですね。

さて、そこで「いのち」というものを考えますときに、まず、なんといっても「かけがえがない」ということが挙げられるのではないですか。かけがえのなさというのが、いのちを特徴づける一つの性格でございましょう。そして、いのちというものは、常に「具体的」なものである、といえましょう。さらに、いのちというのは、「一回きり」であります。そうでしょう。この私という人間がもう一度、この世の中へ出て来ようと思ったら、宇宙の150億年の歴史をもう一度くり返さないと出て来ない、いや、それでも無理でしょう。そうしますと、私というものの存在は二度と再び出現しないという、一回きりのものだということ、わかるでしょう。だから、その一回きりであるからこそ、失われてゆくことに対する無限の哀惜というものがわいてくるわけなんです。そう、いのちを惜しむということは、一回きりで、かけがえのないということに対する、正確な対応の状況であろうと思うのでございます。

そこでまず、このいのちは「かけがえのないもの」であるということを考えてみたいのですが、むずかしいこと抜きにして、いのちの特徴として、代わりがきかないということなんです。私のいのちは、私以外に生きてくれる人はいません。ちょっと、今日は忙しいので、私の代わりに死んでくれ、なんてことはできないんです。私の死は、私以外に死にようがない、この一つだけでも私たち、はっきりしておいたほうがいいと思うんです。私以外に生きようのない私のいのちならば、私なりに納得のゆく生き方をしなかったら、いのちに対する責任が果たせないと違うか?このいのち私以外に死にようがないならば私の死は私らしく死んでゆこうという・・・そういう覚悟があってしかるべきじゃないかなと思います。かけがけのないいのち・・・言葉で言えばわかるんですが、普段、私たちは、かけがえのあるものばかり見ているのと違いますか?代わりのきくものばかりに目がいってしまっているんじゃないですか?

私、今日は講師としてここへまいりました。で、みなさんは講師の梯、というふうに見て下さる。しかし、この講師という方は、いくらでも代わりがあるんです。私が今ここで倒れても、あとはちゃんと誰かが代わって講義をしてくださるでしょう。けれども、この私、梯實圓には代わりはないんです。えらいややこしいこというようですけどね、これ一ぺん考えてみましょうや。

わかりやすくいいますとね。そうそう、私、前に、中曽根康弘さんにお会いしたことがあるんです。内閣総理大臣だったころ。いや、お会いしたといってもね、べつに訪ねていったわけでもないし、むこうが訪ねてきたわけでもない。駅でばったり出会ったんです。東京駅でした。築地本願寺から帰る時に、新幹線に乗ろうと思って駅へ入って行ったんです。そしたら駅員の方が、「ちょっと待って下さい」というんです。何かなと見たら、7人ほどそこへ止められている乗客がいる。そこへね、一分もたたぬうちに、ザッと一団の人がやって来た。見たら、真ん中に中曽根さん、で、向こうは知らんかも知れんが、こっちはよう知っとる。「ああ、中曽根さんか・・・」というわけで、見てましたら、まわりにボディーガードがついてましてね。背広の前をあけてね、あれピストル持ってるんでしょうな。横向きながら前へ歩いてゆくんです。それがタッタッターと、早いですな歩くのは。総理大臣にはなるもんやないね、ブラブラ歩けません。ゆっくり歩いてたらねらわれてあぶないんでしょうな。

それはさておき、その時、待たされているついでにふと思ったんですが、中曽根さん、内閣総理大臣・・・これはまあ行政府の長官ですからね。日本でも最重要なポストですわな。で、みんな、総理大臣というと、かけがえのないお方だと言っています。けど、よく考えてみると、総理大臣のかけがえなんか、なんぼでもおるのと違いますか。あんなの議事堂へ行ったら代わりたいのがクサるほどいますよ。だけどね、中曽根康弘という方の代わりはないわな。

私たちはね、社会的な地位とかね、そういうものだけで人間を見ているんじゃないですか。それであの人は尊い人やとか、つまらん人だとか、社会的な役割だけで、人を見て、それでなおかつ、人間を見た、いのちを見たと思っているんじゃないだろうか?自分にとって都合がいいかどうかで、かけがえのない人の「いのち」までも見てしまう。おそろしいことだけれど、こういうのが多いんじゃないですか。若い者が年寄を見て「役に立たんものはあっちへ行け」というような利用価値だけでものをいう。そして、お年寄りでもそうですね。

「私のように役に立たん人間になったら、もうどうしようもありません。生きてることがみんなの迷惑。早よう死んだほうがまし」

なんてこと、まあ、富山にはおられないでしょうが、あれ、あんまりいわんようにしましょう。役に立たんといって、自分で自分を見捨ててどうするの。これは、自分の「いのち」に対する、最大の冒とくですよ。これだけはやめましょう。何の役に立たなくても、そこに生きているということで、無限の意味と価値をもっている。それが「いのち」というものなんだと味わえる、そういった「目」をひらいてゆかねばならないと思うんです。そういった目をひらいて下さるのが、仏さまなんですよ。どうかみなさん、仏さまのおっしゃることをよく聞いて、人のいのち、自分のいのを、ただ利用価値で見るのではなく、かけがえのないすばらしいものなんだということに気付いていただきたいと思うのです。

善巧寺寺報46号掲載(昭和63年)
行信教校OB会並びに黒西組内研修会

空華について

このテキストは、平成22年、空華忌の法話を一部抜粋して寺報(134号、135号)に掲載したものです。

利井唯明師

 皆さんこんばんは。ようこそのお参りです。この空華忌は明教院僧鎔和上の祥月命日に合わせての法要でございます。回忌でいいますと227回忌にあたります。僧鎔和上は空華蘆(くうげろ)と言って、ここで塾を開いておられまして、門弟三千人といわれる程の大きな学派になっております。そのお弟子さんには柔遠(にゅうおん)和上、道隠(どうおん)和上のお二方がおられます。京都の大谷本廟に行きますと、勧学峪という勧学のお墓がずらっと並んでいる所があります。

その一番真ん中に僧鎔和上と道隠和上のお墓が一体となって並んでいます。その両脇にずらっと勧学のお墓が並んでいるような形です。この並びは、会読の時の並び方で、問答するときの形式なんです。典儀(てんぎ)といわれる問答をさばいていく司会者のような人が真ん中におられて、両脇のお坊さんの一方が問いを出して、片方が答えていくのです。勧学峪の一番入口のところには、門番のように雪山家のお墓がございます。僧鎔和上が亡くなられた後、道隠和上は大阪のほうに行って塾を開いております。後に、大分、豊前に転居されていかれましたが、この大阪の塾からは松島善譲和上などがお出ましになりまして、この系統を堺空華といいます。一方の柔遠和上の方は、越中の方へ留まっておりまして、この空華蘆を引き継いで講義をされておりましたので、こちらの系統を越中空華といいます。どちらも僧鎔和上の学説を補い、また膨らませておりますから、言われていることの幅が広くなったというくらいに思って頂いたら結構かと思います。柔遠和上のお弟子さんは、行照(ぎょうしょう)というお方が出られまして、この方は今の岐阜県、美濃の行照さんといって空華蘆で学んだあとに岐阜にもどり、塾を開いております。僧鎔和上のお弟子さんは皆優秀ですから、戻った所で塾を開いていきます。その行照さんのお弟子さんにあたるのが、私から言いますと曾々爺さんにあたります鮮妙(せんみょう)さん、利井鮮妙でありまして、今私共がやっております行信教校の創設者の一人になるわけです。

 柔遠和上がこの越中で塾を開き沢山の門弟がおったわけですが、門弟のことを自分の弟子とは言われませんでした。「善巧寺にある僧鎔和上のお墓に参って、空華の学徒としてお弟子になりなさい」と言われました。ですから行信教校でも、3年に1回ここへ学徒が来るわけです。お墓参りをして空華のお弟子の一員に加えて頂く。お弟子といったら大層ですが、そういう経験がありまして、柔遠和上のお言葉が一つのご縁になっておるわけです。

 親鸞聖人も「歎異抄」の中で「私は弟子一人も持っておらん」とおっしゃったでしょ。あれと一緒ですな。私というものが弟子をとるというものでは決してない。「私は師匠の仰せに順っておるだけなんだ」そういう姿勢でしょうね。私が私がと言うているのが正しいかといったら、そうじゃなかった。そういうことで、この度、空華の里であります善巧寺様にご縁をいただきまして、私もその一人としてお話をさせて頂くわけです。

 他力ということが浄土真宗のひとつの大きな特徴であります。しかもこの他力という言葉について、大変奥深く研鑽して学説を立てていったのが空華学派になるわけですね。空華学派の特色としましては、他力というものは絶対他力といわれるようなものである。我々が日常で使う言葉で言いますと、自分の力以外のものの力を借りることを他力と考えますね。実をいうとそれは大きな間違いなのです。そのことを親鸞聖人は『教行信証』のなかでしっかりと言っておられるんですが、お弟子さんの中にはやはり大きな誤解をされていた方がたくさんおられたんです。
 法然聖人は選択本願念仏ということ仰り、それはいったいはどんなお念仏であったかといいますと、仏教を大きく分けますと、聖道門と浄土門とに分かれます。これは道綽禅師というお方が仰ってくださいました。その聖道門というのはどういった教えかと言いますと、この身このままこの土で悟りを開こうという教えです。此土入聖(しどにっしょう)の法門といわれます。それに対して浄土門というのはお浄土に生まれて証を開こうとするんですから、彼の土で証果を得る道ということで彼土得証(ひどとくしょう)といわれる法門があります。道綽禅師という方が今この末法のおいて、凡夫であるこの私は聖道門では決して悟りを開くことができないから、浄土門に帰依しなさいよとお示しくださったわけでございます。
 そして法然聖人はその浄土門においてどんな行いによって浄土に生まれていくのですかといった時に、雑行と正行とありますよと仰るわけです。雑行というのは雑と書いてありますが、まじっていると読むんです。まじりっけがあるということです。正というのは正しく往生浄土に向かう行ということです。どのように違うかといいますと、端的に言いますと、阿弥陀様に関係する行と阿弥陀様に関係のない行ということです。たとえばお経を読むことひとつにしましても、お経にはいろいろあります。般若心経であるとか法華経であるとか涅槃経であるとか、我々浄土真宗でいえば無量寿経であるとか観無量寿経であるとか阿弥陀経とかいろんなお経典があります。その中で阿弥陀経のお浄土に参るのに法華経読んでどないするのという話です。もちろん法華経の中にも阿弥陀様は出てまいります。しかしながらそれはお経全部を阿弥陀様の本願のこころを説かれておるのかという一部分なんですね。全部ではないんです。本来は法華経であれば大日如来によって法華の教えですね。真如への悟りを開く道が説かれております。お浄土に生まれていく道が説かれているわけではないんです。
 皆さんよくご存じなところでいうたら般若心経というお経がありますね。般若心経というのは真如のあり方、いわゆる智慧のまなこを開いていくことが書いてあるんですその智慧のまなこをひらくお経典を読みながらお浄土を願うというのは方向が違いますでしょ。行き先が違いますわな。目的が違います。だからそういうものは雑行というんですよ。阿弥陀様のお浄土にまいるんだったら阿弥陀様の御本願のお心、阿弥陀様のお浄土に生まれていくお経典を読みましょうというのが正当ですわな。それが正行といわれるものです。

浄土真宗の厳しさ/山本摂叡

このテキストは平成18年、寺報118号、119号に掲載されたものです。

行信教校教授 山本摂叡師

まづ至誠心といふは大師釈しての給はく、「至といふは真也、誠いふは実也」といへり。 ただ真実心を至誠心と善導はおほせられたる也。

 今年は大変暖かい秋でございました。善巧寺様だけにしかない空華忌の御法座でございます。この頃、私が痛感しておりますところを、少しお話させていただこうと思っているわけでございます。

時代の変化

 ちょうど、戦争が終わりまして60年という年月が経ちました。その間に、日本の社会構造の基盤であります家庭というものが根本的に変わってきたように思います。それは、政府としては家督の相続という制度が廃止されました。したがって長男が家督を継ぐということは民法の上でなくなったわけでございます。子供はみんな家を継ぐ権利を平等に持つという制度なわけです。それから戦後まもなく土地の制度というものも大きく変化いたしました。このころ、分家という言葉が半分死語になったようです。子供たちが独立して生活をするのは当たり前の時代です。ことさらに分家をするということを言わなくてもいいような感覚が強くなってまいりました。昔は分家をするということは実は大変大きな問題であったわけです。ある地方では分家の第一代目になることを「先祖になる」といったそうです。つまり新しい家をこうして、その新しい家の第一代になるんでから「先祖になる」わけです。そういう言葉で説明したことがあったそうでございます。なぜこんなことをお話しするかと言いますと、私は、日本の宗教というものは善かれ、悪しかれ、家というものを中心として営まれてきた宗教であったと思うのでございます。家庭にお仏壇というものがあって、そのお仏壇を家庭の中心とし、家庭を相続するものが、そのお仏壇をお守りさせて頂く。そういう制度で持って日本の宗教というものはずっと何百年来、営まれてきたんだと思うんです。ところが、これからの宗教というのは一人ひとりの信仰でなければならないという考え方がずいぶんと盛んになってまいりました。個人の信仰の自由というものが保証されていますから家の単位の宗教よりも、個人単位ということがなければ信仰というものも成り立たないという考え方が大変強調されてまいりました。
 大阪の都心のお寺の方に聞きますと、こちらのほうでは想像できないような大変さがあるようです。戦災にあいまして、大阪の都市部のお寺も含めて、家々が焼け野原になってしまいました。その後、徐々に復興していくんですけれども、お寺があった場所を中心とし、そして、檀家の方がおられたという地域の構造が崩れていってしまうんです。とにかく高度成長期からバブルの頃に向かって土地がどんどん高くなってまいりまして、そこに住まいができなくなってしまい、外交へと出て行かれるわけです。心斎橋という所のお寺のご住職は「うちのお寺まで歩いていくことができる檀家さんは3件しかありません。後は全部、外交の遠いところに転居していかれました。」と言われます。そうするとご命日やご法事のお参りがどんどん大変になってくるんです。1軒お参りに行くのに片道1時間も2時間もかかるのが当たり前になってくるわけです。
 なぜこんなことを申し上げるかといいますと、日本の社会構造の1番基本である家族という問題が本当に変わってしまったということなんです。それが善かれ、悪しかれ、それまでお寺や信仰を伝えてきた1番の基本の家族というものが変わってきたというふうに見ることができると思うんです。
 今回私は端的に申しまして、浄土真宗の信仰というのはどういうふうに味わうべきだろうかということを申し上げたいと思っております。家族というものの姿、そして家族というものを通して信仰というものがどのように伝えられてきたのかということを、少し具体的にお話しさせて頂こうと思っているわけでございます。

法然聖人

 その前に法義としまして、少しお話をしなければならないでしょう。浄土真宗の信心というのは我々は抽象的に考えるのではなく、やはり浄土三部経に書かれた信心というものを基本に考えていかねばなりません。
 私は、こちらにとってもご縁の深い行信教校というところで教壇に立たせて頂いているんですが、親鸞聖人の書かれた和語の御聖教をずっと読ませていただいております。最近は法然聖人の御聖教を読ませていただいているんですが、ここのところ法然聖人のことばが大好きになりまして、いろんなところで法然聖人のお話をさせてもらうんです。
 ところが、専門家であるはずの我々僧侶の上でも少し誤解されてることが多いんです。一昨年、同じ大阪の報恩講に招かれまして、その時読んでいた法然聖人のことばを二日間、お話をさせていただきました。お寺によったら寺族のものは、なかなか本堂に座ってお聴聞できませんので、庫裏の方までスピーカーが届いていることがよくあるんです。そこの寺もちょうどそうでした。2日間の法座が終わりまして、お座敷で座っていましたら、今度は逆に本堂の声は聞こえてくるんです。そうすると、ご住職が最後のご挨拶をなさっている声が聞こえてまいりました。そのご挨拶を聞いて少し苦笑してしまったのですが、ご住職はちょっとご不満だったらしいんです。「今回は2日間とも法然聖人のお話を聞かせていただきました。2日目の最後にやっと親鸞聖人のお話が出てまいりました。うちは浄土真宗のお寺でございます。浄土宗に転派する気はございません。当然、浄土真宗で行きますので誤解をなさらないでください。」とおっしゃるんです。なかなか難しいものだなあと思いました。皆様の上にも、多少あると思うんです。中学生くらいの歴史の教科書で言いますと、浄土宗は法然聖人、浄土真宗は親鸞聖人と書いてあります。そうしますと法然聖人は浄土宗、親鸞聖人は浄土真宗だという通念が知らないうちについてしまうんです。それで法然聖人のお話をすれば、浄土宗のお話になり、親鸞聖人のお話をすれば、初めて浄土真宗になるという先入観が知らず知らずのうちに私どもの上に出来上がってきたんだろうと思います。
 実はそう簡単なことではなくて、親鸞聖人のことを専門に学ぶのにとっても大きな視線が抜けているんじゃないかと思うのでございます。ご承知のように親鸞聖人は最晩年まで法然聖人のことをずっと慕い続けておられます。法然聖人の「義なきを義とす」という言葉も使っておられます。「義なきを義とす」というのは端的に申しましたら、「何もはからわない、あれ、これつけ加えをしないというのが教えであるよ」というほどの意味でしょう。一切、自力の計らいというものを加えたらいけないというのが法然聖人のことばでしたよということを、親鸞聖人は度々おっしゃっています。法然聖人のおことばを私はお聞きして、このおことばによってずっと私は歩んでまいりました。ほかの方のことばは一切私には必要ありませんとまで言い切っていかれるんです。
 そうすると、法然聖人の教えということをいかに自分が味わっているかということが、親鸞聖人のご一生であったはずです。そういうことは浄土真宗を専門に学ぶものもよく言うのですが、いざ教義となれば法然聖人のことばが抜けてしまう。おそらく宗派としての浄土真宗というのが別々に成立し、その違いというところを見ていくことがかりに目が行ってしまって、親鸞聖人が法然聖人のどういう言葉を受けて生涯、味わいを語っていかれたかという視点が欠落してしまったんだろうと思うのでございます。

浄土真宗はなんもしなくてもよいというのは間違い

 法然聖人には大変面白いお言葉が多くございます。そして、一つだけ難しいことを言いますけれども、同じ信心と申しましても、法然聖人の場合は、観無量寿経というお経によって語っていかれます。観無量寿経に説かれた信心というのは何かというと、三心という言葉が出ております。至誠心・深心・廻向発願心、このような言葉を使われておられます。法然聖人のお言葉というのは徹底して、この三心によって教えを説いていかれます。法然聖人ご自身は親鸞聖人が真実の教えといわれた無量寿経の信心ということはほとんど語られないわけです。三心のことで法然聖人は非常に詳しく言われる一面もありますけれども、また、このような言い方もされておられます。「何も言葉も難しい道理も知らないものであっても、仏さまの言葉を聞いてお念仏しておるものには自然と、三心は備わっているんだよ。」とおっしゃるんです。これが有難いことです。三心ということを一切知らないものあっても、素直に本願を喜んでお念仏するところには三心はそなわっているんだよとおっしゃるわけです。もう一面は三心の心を詳しく解説されています。親鸞聖人の場合は信心というものを徹底して本願の上で語っていかれます。
 法然聖人がこの三心という言葉によって示していかれたことは、あくまで信心の行者がどのような生活をすべきかということを主に語っていかれただろうと思うわけです。信心というのは抽象的なものでもなければ心の問題というわけでもないわけです。私たちの日常の生活そのものの上に反映し、生きてくるものでなければ本当に宗教でも、信心でもないはずです。ですからそういったことを語られる面では法然聖人はつねに具体的な心のありようというものに立って語っていかれたんだろうと思うわけです。
 一方、親鸞聖人が本願の上で語られた信心というのは、あくまでも他力の法義、救いの法というもの、成立根拠を究明していかれたのが親鸞聖人でした。だから私は三心という言葉さえも知らなくても、素直にお念仏をする者のところには、自然に三心がそなわっているんだよといわれた、その根拠ということを考えていかれたのが親鸞聖人だったんじゃないかと思うんです。そうしますと法然聖人と親鸞聖人というのは、昔読んだ「出家とその弟子」を書かれた倉田百三という作家が「法然聖人と親鸞聖人は、二人でひとりの人格だ」とおっしゃった言葉は素晴らしい名言だったと思うんです。念仏一行専修という、仏教の上ではとんでもない破天荒な主張をされた法然聖人、そして、その内容を明らかにしていかれた親鸞聖人、そのおふたかたが一緒になって私たちに、今お念仏を進めていてくださる。そのように考えたら有難いわけです。
 今から一つとりあげて、法然聖人のこの至誠心ということについて紹介を申し上げていきたいと思うわけです。法然聖人が具体的な信心を語られるのに1番量的に多いのは至誠心という言葉です。至誠心というのは、端的に言いますと、「至は信なり、誠は実なり」とおっしゃいます。つまり真実心ということです。「しじょうしん」と発音いたします。至誠心というのは要するに真実心ということであるんだよとおっしゃいます。そして真実ということがどういうことかということを、いろんな場面で語られるんですが、今日はこのようなお話を取り上げさせていただきましょう。七箇条起請文という御文です。これはちょうど法然聖人が流罪になられる三年ほど前、法然教団に対して様々なところから非難の声が高まっていたようでございます。それに対し門弟に対して出されたのが七箇制誡といわれます。比叡山に出された浄土真宗の立場の宣言が七箇条起請文という御文です。その中に至誠心のことをおっしゃられるんですが、このようにおっしゃいます。

至といふは真なり、誠といふは実なり。ただ真実心を至誠心と善導はおほせられたるなり。真実といふはもろもろの虚仮のこことのなきをいふなり

真実はひっくり返すと虚仮ですから、虚仮の心がないありようのことです。親鸞聖人も「虚仮を離れて」というように虚仮の反対概念として真実という言葉を使います。虚仮を離れるということは特別な宗教でなくても、私たちは真実心をもって生きたほうがよろしいですね。ただし、どのような心が真実心であるかというと難しい問題です。何か、私の心を真実にしていかなければいけない、私の心を完全に美しいものにしていかなければいけない、そのようにとらえられしまうと問題ですけども、私たちの心は、もともとが凡夫だから、煩悩が起こって「それはどうでもいいんだ」というのは宗教以前じゃないでしょうか。浄土真宗の考え方が少し違ってきたのではないかと思うんです。もともと従来の浄土真宗は、念仏者達はものすごく厳しい、日常生活の姿勢というものを持っていらっしゃったんです。ここからは比較的近い五箇山に赤尾の道宗という蓮如上人時代の妙好人がおられました。今でこそ便利に車で行くことができますが昔は雪が深い所で冬の間は外界の交通が遮断されるような山の中だったわけです。おそらく道宗の住んでおられたところも、近いところがあったと思うんです。そうすると道宗は薪を並べて、その上に寝ておられる姿が今でもあそこにあります。いわゆる臥薪嘗胆です。時折はそれほど厳しくなければ、蓮如さまの恩ということについつい甘えてしまう。蓮如さまのご恩を忘れてしまうような自分だからこのようにしなければならないんだと言って薪の上に寝ていらっしゃったんです。そのような逸話が残されています。それは浄土真宗の念仏者というのは何もしなくてもいいとか、浄土真宗は優しい宗教だと簡単に言う人は、失礼ですけれども、浄土真宗のことが何もわかっていないんです。私は浄土真宗ほど厳しい宗教というのはないと思います。ただし厳しさは堅苦しい厳しさではないです。常に本願に照らされてあった自分が、本願に背くような生き方しかできない。なんと恥ずかしいことだろうかという厳しさです。強制される厳しさじゃないんです。あくまでも本願を聞くことによって自分の内面から出てくる厳しさというのが浄土真宗の門徒の姿だと思うんです。それが浄土真宗の道徳の源泉だと考えます。道徳は世間の教えであって、宗教はもっと違うと私自身も考えていましたけれども、蓮如上人や法然聖人の言葉を読ませていただくと私もその考えを修正しなければいけないと思います。浄土真宗には浄土真宗の信仰、内面から滲み出てくる道徳というものがなければ宗教としての意味がなくなってしまうのではないでしょうか。

 

何処へいくのか?/利井明弘

 

このテキストは、平成15年、空華忌の法話を寺報(107~109号)に掲載した文章です。

いのちおわって滅びるときは何処へいきますか?

行信教校校長 利井明弘師

智慧の光明はかりなし
有量の諸相ことごとく
光暁かぶらぬものはなし
真実明に帰命せよ

聞きましたら本年は僧鎔師の二百二十回忌にあたるそうですね。その空華の僧鎔和上の書かれたものに和讃方軌という本があるんですが、そこに五双十義というものが出てきます。十二光讃ですね。正信偈で言うと、

普放無量辺光
無礙無対炎王
清浄歓喜智慧光
不断難思無称光
超日月光照塵刹

その十二光を五双十義で解釈されておるのが僧鎔和上です。僧鎔和上というのは頭がいいお方やったんやね。僕らは五つある中の一つか二つ味わう程度ですけれども、二十の光を縦・横・斜めで、まだ三義でしょ。ところが五つ見ておられるんです。ちょっとここへ書いてみます。

体・用
横・堅
自・他
悲・智
当相・寄対

この五つ、これ全部相対してあるんです。体というのはそのもの自体のお徳ですね。用というのははたらきです。これが一つですね。それから横・堅というのは、横はよこ、空間的なひろがり。堅はたて。二百年続いたとか、二百年いたとか、時間的なもの。空間と時間ですね。三つ目は自徳か化他か。自分で学んで自分の徳として積むということと、相手にそれを与えるということ。それで自・他ですね。それから四つ目がお慈悲と智慧。五つ目は当相と寄対。当相はそのままということ。寄対というのは、これは一つしかないから言いますと、「超日月光」と日月に喩えてありますね。私たちが知っておる、お日さまやお月様の光よりも阿弥陀さまの十二の光の働きが超えておるということを、お日さまや、お月さまに寄せて解釈してある。それが超日月光です。日月に超えた光。 

そこで体・用から全部話しできないと思うけど、少しずつ話します。十二光についてはいろいろな和上が、いろいろな分け方をしておられるんです。鮮妙も僧鎔和上がこうおっしゃってると、まず書いて、それから私はこう味わうといって科段を造っておられるんです。 しかし僕はね、僧鎔和上の体転用というのが非常に有り難く思えるんです。それはどういうことかといいますとね、十二光の中心はやっぱり六光なんです。「無量・無辺・清浄・歓喜・智慧・無碍」です。

無量、無辺というのが阿弥陀様自体のお徳。それが今一番最初に読みました、「智慧の光明はかりまし」とあるでしょ。あの「はかりなし」というところで無量光なんです。わかりますね。「智慧の光明」というから智慧光やと思うでしょ。だけど「智慧の光明はかりなし」というところで「無量光」をまず和讃されておるんです。これがいま言いました、仏さま自体のお徳なんですよ。

それはどこででも何べんもしゃべってる話ですけど、一つしますとな、僕、学生の頃九十キロありましてん。そのころ京都駅は階段ばっかりだったんですわ。ご本山にお手伝いに行ってね、仕事終わってから聚で一杯飲みに行きましてなあ。酒に酔っ払うて、九十キロで、京都駅へ帰ろう思うたらね、階段だけでうんざりするんです。だからどうしても電車は座って帰りたかった。でも快速電車は人が多くて座れないんです。だからいつも各駅停車に乗って帰るんです。ところがね、それでも座れないことがあるんです。各駅停車は京都駅でずーっと待っとるんですわ。その間にみんな乗るから、立ってる時があるんです。この時はどうするかというとね、次降りる人探すんや。これすぐわかるのよ。荷物まとめたり、切符探したりしてる人は次で降りるんよ。そうするとその人の前に立つんやね。そうしたら僕の思うてる通りその人が次の駅で降りる、僕がそこへ座ると。これが僕奥の手やった。(笑)

ところがある時こんなことがあったんですよ。京都駅で乗った時に何人か立っとったんです。それでいつものように、次で降りる人探さんなんと思ってた。ところが次に降りる人探さなくても、うまいこと言ったら座れる席が一つあったんです。一番端っこで子供を膝の上に乗せた若い奥さんが小さくなって座っておるんですわ。その横にその子供と僕とやったら座れるぐらいの荷物が置いてある。それに手にかけて若い男が二人座っておるんです。あの荷物おろしてくれたら座れるのになあ、と思ってジーッと見とったんです。あれ人の視線て感じるでしょ。向こうもこっち向いたんや。僕は「おろしてくれへんか?」っていう顔したんですよ。そしたらちゃんと通じたんよ。そしたら「あかん」って向こうはいったんよ。(笑)もうしょうがないからね、次降りる人また探しておった。西大路駅で降りる人がいたから私は座れた。ところが後ろから乗ってきた人は何人か立たないかんかった。そしたら乗ってきた人の中のお爺さんが一人ね、私の前に立ってね。「あの隅っこの女の人見てみ、小さく小さくなって座ってんのに、あの荷物おろしたらええのに、あの若い奴は」って若い二人のことを言ってるんです。ぼくのことじゃなくてよかったんですけど。ところがですよ。乗ってくる人みんな若い男を睨むんや。そうしたらもう気付いているはずなのに、全然みんなのところ見ずに熱心に話し合ってるような顔をしとった。そうしたらじいさん次の駅で降りたんですが、その時わざわざ若い男の前に近いドアから降りて、降りた際何か「わっ」と怒鳴って降りてった。ところが若い男はしらんふりですわ。あいつら高槻まで行くんかな、と思って見てたんです。そしたらね、高槻の一つ手前の山崎という駅で電車が止まりかけた。そうするともぞもぞと、その席が動き出した。「山崎で降りるんやな」と思っておったんです。そしたらおかしな事が起きたんですわ。若い男が荷物を持たないで、電車の扉に背中をついて、さっきにらんだ奴をずーっと睨み返すんです。何やろなと思って見てた。そしたら電車がガッタンと止まったら、一番隅っこの女の人が膝から子供おろして、それでその荷物を持ったんです。若い男の荷物じゃなかったんです。それやったら肘つくなって思う。そう思うでしょ。それでドアが開いたら、若い男が「どや分かったか」って顔して降りていった。その後ろから女の人が恥ずかしそうな顔して降りてった。「完全に逆さまやったな。」と思ったときにえらいことに気が付いたんです。途中で怒っておりていった爺さん、きっと家で言うてると思うんです。「近頃の若いやつはしゃあない。」って。「お爺さんあれ違ったんです。あれ女の人の荷物でした」ってもう言えないね。

みなさんね、人生全部、途中下車なんです。自分の見てるとこだけ正しいと思ってるんです。だけど時間が経ったらころっと変わってしまう。それがね、「有量の諸相ことごとく」と。我々は有量なんです。限りがあるんです。途中下車して次どこに乗るんですか?また乗ったって環伏線ですよ。また迷い六度羽行くんです。その因縁を断ち切らないといけない。阿弥陀さまはね、「智慧の光明はカリナ死」永遠に変わることのない真実、おじいちゃん、おばあちゃん、曾じいさん、曾ばあさん、ずーっと聞いてきた、いや、二千数百年前から聞いてきた一字も変わってないお経を読んでいるんですよ。分かりますな。娑婆で間違いのないものはころころと変わっていくし、私は全部途中下車です。いのちおわって滅びるときは何処へ行きますか?それを味わわせてもらわなければいけませんな。

覚えるのではない。解釈するものでもない。味わうんです。

解脱の光輪きはもなし
光触かぶるものはみな
有無をはなるとのべたまふ
平等覚に帰命せよ

光雲無碍如虚空
一切の有碍にさわりなし
光沢かぶらぬものぞなき
難思議を帰命せよ

おはようございます。今日は僧鎔和上の二百二十回のご法事でございます。僧鎔和上が三百四十首の三帖和讃を十数冊で解釈してくださっている本があるんです。「和算法喜」といいます。詳しく解説して下さってあるんです。十二光のところですけども、一番最初が体と用。仏さま自身のお徳は無量光と無辺光。この二つがいつでもどこでも変わることのない真実。この変わることない真実がわたしたちにはたらいて下さる。それはさわりなくはたらいて下さる。さわりというのはわたしたちの煩悩。煩悩によって燃えていく悪業です。その煩悩をもっておるものを救うということは諸仏もできないんですね。諸仏でもすべて十方の浄土を建立しておられるわけですけども、その浄土へ汚れたまま来たら、綺麗なお茶碗に泥水入れて清浄とは言わんでしょ。綺麗なお茶碗になって来いとおっしゃるのが緒仏の教えです。それが四諦八正道。もしくは六波羅蜜・定散二善というような修行を積んで煩悩を除いて清らかになって浄土へ参れとおっしゃるのが十方諸仏なんです。ところが阿弥陀仏はその煩悩を私がのぞいて救うとおっしゃる。それで無碍光というんです。さわりなく救う。煩悩にさわりなく救うとおっしゃるのが阿弥陀仏の阿弥陀仏たるゆえんです。そしてその無碍というのは貧欲・瞋恚・愚痴でつくる罪。それを全部きれいにしてくれるはたらきが清浄光・歓喜光。智慧光。こういうふうになっていくわけです。ちょっと和讃の方を読んでいきます。

清浄光明ならびなし
遇斯光のゆゑなれば
一切の業繋ものぞこりぬ
畢竟依を帰命せよ

清浄光明ならびなしという。これがくらべものがないという無対光なんです。無対に二つあります。一つは今言いましたように諸仏とくらべてくらべものにならん。どこがくらべもんにならんかというと、自分で清らかになることがどうしてもできない煩悩具足のわたしたち。だいたい浄土・妻子といいますけど、汚いというのは煩悩が汚い。だから煩悩がない世界が清浄な世界なんです。

その清浄な世界に煩悩を持ってるものを、その煩悩から起こした罪、それを全部除いて救うというところで阿弥陀さまと諸仏の違いがでてきてくらべものにならん。もう一つあるんです。それは今度はたらきとして。煩悩を敵として滅ぼしつくす。これも若い頃好きでなかったんですよ。私の爺さんに当たる興隆が、ちょっとこれ間違ってるかもわからんけども意味はこういうことなんです。「久遠劫来の敵を討って弥陀の浄土に凱旋をする」というようにうたっとるんです。久遠劫来の敵を討つって、えらい自力やなと思ってたんです。ところがよう考えたらこれなんですよ。「清浄光明ならびなし」私が滅ぼしつくすんじゃなくて、久遠劫来の敵を討つんじゃなくて久遠劫来の敵を阿弥陀さまが討ってくださる。そして弥陀の浄土に凱旋をするということになるんです。そこでこの阿弥陀生の光明は諸仏とくらべものにならんし、私たちの煩悩に敵対して私たちの煩悩から作る罪を全部討ち滅ぼして下さるというのが無対光。

清浄光明ならびなし
遇斯光のゆゑなれば

遇斯光というのは光に遇ったら念仏が出てくるわけですわな。光明は音になる。阿弥陀さまの光明は音になる。それが南無阿弥陀仏です。称名ですね。「一切の業繋ものぞこりぬ」業繋というのは業によって繋がれるということですから罪ですね。その罪を除く。だから畢竟依、究極的な拠り処によりなさい。それが阿弥陀さまですよとこういうふうに無対光はうたってあるわけです。ここでは清浄光を挙げて阿弥陀さまのはたらきを代表させてあるんですね。それから、

仏光照曜最第一
光炎王仏となづけたり
三塗の黒闇ひらくなり
大応供を帰命せよ

これが光炎王です。仏光というのが光。照曜というのがチラチラ炎のように揺れているような光明です。だから光炎という字が書いてあるね。

皆さん闇夜でどっか迷ったことある?僕山で迷ったことあるんですよ。弟とやったと思う。立山に上った。そしたらね霧が出てきて動けんようになってもうた。ああいう時に光というのはサーチライトみたいに見えないね。チラチラ、チラチラって見える。あそこに火ともってある。そっち側向いてあるいて行ったら山小屋にいきあったんですけどね。そういうことがあるんですけども。やっぱり炎というのは揺れるんやね。光炎王。三塗(地獄・飢餓・畜生)の黒闇、闇を開いて下さる。まだ僕らは闇なわけですわ。その闇による、六度輪廻しておるものがチラチラ光るのはたらきによって救われて行くんです。

呉の専精会で念仏がザーッと流れるの聞いて有難かった。口で言えないものが、肩叩き合うとかで通じることがある。言葉ではいえないのに有難いって、これがすごいなっていうたときにパーッと相手に通じることがあるでしょ。お経の言葉を読んでて、聴聞しておる人の中で一人が南無阿弥陀仏って、サーッと流れていくときに口で言えないものが確認できるすごいものがあるんですよ。味わわなあかんわ。おいしいというのはね、最高においしいというのは口で説明してくれと言っても説明できんやろ。ところが一緒に食べてて「これがおいしいな」って手叩き合ったらわかるもんね。解釈せんでもええよ。

味わうというのは頭に残しとかでもええ。十日前に食べたもん全部覚えてる?みんな覚えてない。ところが忘れてても血となり肉となって元気にこうして生きているのはあのおかげやねん。そやけど忘れてしまってるやろ。だから食べるということは覚えてないんよ。ためんでもええねん。十日トイレに行ってないっておかしいやろ。こら病気やで。ところが智慧をためて知識ためてやろうと思う人多いよ。分かって何ぼじゃっていうんよ。しかし忘れてならんことは食べるということを欠かしたらいかん。絶対欠かしたらいかんねん。ちゃずけでも一日食べとかな。僧鎔和上の空華忌に一遍遇ったら一年ええわって、そうはいかん。毎日食べてな。昔のお年よりは言うた。本堂で左側から聞いたら右側に抜けてしまう。ところが抜け忘れていいんです。全部覚えんでいいんです。ところがうまいなと味わったやつは残るんです。あの時食べたあれはおいしかったなというのは残るんですよ。また同じような状態になった時に思い出す。これがすごいね。

仏光照曜最第一。仏さまの光炎王。この光明がわたしたちに届いてすごいなってところがあるんですよ。それが三塗の黒闇やから地獄までいっとる。これであほなこと言うやつがおるんよ。地獄に行ってから念仏に遇おうって。いま好きなことしといて地獄行っても構わん。地獄まで阿弥陀さまの光明は来るからって。地獄におったものが光明に遇ってここまできたんよ。それ忘れてまた元へ戻るって、そうじゃないよ。しかし仏様は地獄・飢餓・畜生の境界にまで届いてる。

仏光照曜最第一
三塗の黒闇開くなり

有難いね。

弟子は師匠を超えて初めて弟子という

光雲無碍如虚空
一切の有碍にさわりなし
光沢かぶらぬものぞなき
難思議を帰命せよ

ここまで阿弥陀さま自体、阿弥陀さまご自身のお徳を話してきました。その次阿弥陀様のお働き。それは無碍にはたらいて下さる。

我々は末法五濁の凡夫ですね。鮮妙の言葉にありますよ。いつもよく聴聞に来る御同行が、ちょっと間が空いてお参りに来た時に、「聴聞はすすんでおるかな。」と聞いた。そしたら「常見寺にはちょっと来れませんでしたけど、あっちこっちのお寺でお参りさせて貰ってます。それでもなあ御院さん、まだ煩悩がぼちぼち出てましてなあ。」と言った。そしたら鮮妙が「あんたは煩悩がぼちぼちしか出んのか。」とビックリしたっていう話が書いてある。実は天岸先生に聞いてすごいなあって思ったことがあるんです。それは国王やった法蔵比丘が、世自在王仏の教えを聞いて感動して、国・王位を捨て、すべてを捨てて出家して沙門となったんやろ。それで最初に言われたのが「光顔巍々」からはじまる讃仏偈やね。我々阿弥陀さまの前で世自在王仏をたたえる偈をお勧めしてるんですね。不思議に思わない?それやったら讃阿弥陀仏偈のほうがいいのじゃないか?でもね。我々もお念仏をよろこんでる人に遇うっていうことが大切なんです。阿弥陀さまにも師匠がおられたということが大切なんです。それが偈文になってるんです。代替お経などでになってるところは大切なことが説いてあるんですからね。あそこには法蔵菩薩の四弘誓願も決意も述べられているけども、当面は師匠に遇ったっていうことがすごいことですね。人を通さなければほんとうのものは分からないんですね。今まで美味しいもの食べたことあるやろ。忘れられん味っていうのがあるやろ。「ちょっと説明してよ、ちょっと俺に味わわせてよ。」って言ったらどうする。「そんなもの言えるかい。」ってなるやろ。「一緒に食べよう。」ってなるやろ。それが伝わるんですね。「これうまい!」って言ったら一緒に食べたらわかるやろ。

さあそこでこの世自在王仏に遇われた法蔵比丘がそのあとこう言われる。
「私はあなたのようなさとりを開きたい。そして生死勤苦の本を抜きたい。」生死勤苦の本って言ったら煩悩です。煩悩をもってるものを救いたいと言ったんです。よく考えて。十方諸仏は煩悩にさわりがあるんです。煩悩を持ってるものは救われない。だからこういう修行をしたら煩悩は除かれる、六波羅蜜を修行してきれいになってきなさい。きれいになる方法を教えているんです。世自在王仏もそうでしょう。十方諸仏の一人です。それに「あなたの救えない煩悩を持った凡夫を救いたい。そういう仏になりたい。」と言っておられる。そしたら世自在王仏が「汝自當知」とおっしゃっる。「汝、自らまさに知るべし」。僕はそれが分からなかった。そんな大切なことは自分でちゃんと実行して、修行してして悟っていくものだと、こう言われたのかなあと思ったり、もしくは「論註」に曇鸞大師が法蔵菩薩は八地以上の菩薩で、じぶんで自分で悟ろうとしたら全部悟れるような菩薩やったから自分でやったらいいんじゃないかと言われたのかなあと僕は思ってた。ところが天岸浄円師は「あれはやっぱり世自在王仏だってビックリなさったんですよ。自分もできないことを教えてくれると言われて。」そう言われた。その通りですね。僕、ありがたいなあと思った。それで重ねて法蔵菩薩がお願いしますと言ったら、自分の知ってるところまではということで二百一十億の諸仏の浄土を見せられた。これが分かったんです。「汝自當知」が。自分もできないことを弟子が四生に行ったから世自在王仏がビックリなされた。これはなるほどその通りですなって梯和上がもう一つ凄いこと言われた。「師弟関係で弟子は師匠を超えて初めて弟子といいます。」師匠のままで、師匠のレプリカみたいなものやったら行信教校だって二百年も続かないよ。超えていくんです。だけど梯先生も凄いこと言われます。「弟子は師匠を超えて初めて弟子といいます。」みんな超えなあかんよ。それは念仏に遇うということですよ。

弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。
仏説まことにおはしまさば、善導の御釈虚言したもうべからず。
善導の御釈まことならば、法然の仰せそらごとならんや。

これ師匠・師匠となってるね。そやけど一番向こうは弥陀の本願です。それを法蔵菩薩は世自在王仏の教えを聞いて、世自在王仏の教えには限界がある。さわりがある。煩悩に。そこで五劫思惟される。そして四十八願を建てる。四十願はまだ願い、因です。それを完成するために永劫の間修行されるんです。その永劫の修行されたことをお釈迦さまが説いて下さったら、阿難が「それなら法蔵菩薩はまだ修行中ですか?」って聞いた。そしたら「いまに十劫を経たまへり」と言われる。そこでどのように成仏してくださったのかというと、南無阿弥陀仏です。そこで「さわりなく」になるんです。十方諸仏の教えも穴ぐらに篭っておっても、全部閉めても通ってくる。だけど煩悩だけはどうしたってあかん。世自在王仏だってあかん。それを世自在王仏のみもとで法蔵比丘は五劫思惟し、四十八願を建て永劫の修行をして、十劫前に南無阿弥陀仏となってくださった。それが今現にはたらいてくださる。いつでもどこでもですから。そこらのところを味わってもらいたい。これがはたらきの代表です。無碍光。阿弥陀さまのはたらきの代表です。十方諸仏は全部さわりがあるものを、さわりなく救うんです。それで尽十方無碍光如来と天親菩薩はおっしゃる。だから親鸞聖人の御消息には「詮ずるところ無碍光なり」と書いてある。無碍光が中心。無量・無辺は自分です。阿弥陀さまのご自身のお徳です。だけどもはたらいてきたところで頂くと無碍とはたらいてくださる。このことを味わってもらいたいと思います。

僧鎔師の心を味わう/利井明弘

このテキストは平成3年、寺報58号に掲載されたものです。

明教院から雪華院へ さらにつづく空華の心

行信教校長 利井明弘師

 僧鎔和上の空華忌です。じつは僧鎔さんの百回忌に私の曽祖父である利井明朗がお導師をさせていただいてるんです。弟のお葬式の時に、この辺を歩いておりましたらね、僧鎔和上も明朗もこの辺を歩いておられたんやなあ、今頃は弟が明朗じいと逢うとるなあと思いましたね。
 百五十回忌の時は利井へ案内がなかったんです。その日の夕方ここへ大きな男がやってきて「よすみの利井や」というた。
 そのじいさんがお参りした後大演説をして満堂のお同行が感涙にむせんだということです。この興隆じいがなくなったのは私が小学校五年の時、弟が小学校に上がる年でしたから、私もよく知っています。 
 二百回忌には私の父がお導師をさせてもらって、その帰り二人で話したんです。「お浄土へ帰ってからのみやげ話がまた一つできたね。おじいちゃんに逢うたら、同じようにおまいりさしてもらったよって言えるね」と。
 二百五十回忌には、私の息子がここへ来てくれるであろうと思います。
 弟のご縁もありますが、ここのお寺と私のお寺とは大きい大きいご縁でつながっていた、そんじょそこらのご縁ではないのでしょうね。僧鎔師の教えられた方の弟子が、私のひいじいのお師匠、ということはひいじいは僧鎔師和上のひまご弟子ということになります。僧鎔師和上からずーっと線をひいてくると、つながっている深いご縁がみえてくるんです。
 空華の一番の特徴は”理屈よりもお念仏でよろこぶ”、もっと言えば、こちら側には何もないというのが徹底しているのが僧鎔師和上の考え方なんです。私の力は何も認めない、すべてしていただいているというのが、空華の一大特徴です。そんな私だから、阿弥陀さんが働いてくださってなかったら、お浄土へ行けないんですよ。こうしたら助かるかああしたら助かるかという話じゃないんです。おまかせなんですよ。
 今、ここの俊隆くんが私のところに来ているんですが、俊隆が勉強している部屋がじいさんの書斎だった、そこに隆弘もいたんですが、この興隆の隆をもらって隆弘というんですがね。この書斎で、じいさんが父に云うんです。「よかったなァ」このことばはなかなかでんもんです。まちがいなく救うよ、なまんだぶつよ、安心せえよ、なまんだぶつと唱えなさいよ、絶対に救うぞというておられる。これはね聞いて今安心できるんですよ。何べんも聞いているうちにわかるなんていうもんとはちがう。この世の命が終わった時、必ず救うという仏さんがいらっしゃる。まちがいないことです。それをきいて、「なまんだぶつ、よかったなあ」といえるんです。
 「よかったねぇ」と逢いましょうね。まちがいなく隆弘もここのおじいさんたちもよかったなぁと逢える場所に生まれられるんです。

仏縁/高田慈昭

このテキストは平成2年、寺報54号に掲載されたものです。

「お寺へ参りなさいよ」
「いや、わたしはまだ早い」

行信教校教授 高田 慈昭師

 高田でございます。空華忌にまたご縁をいただきました。
 ご当地北陸というところは、仏法のご縁が、厚いところでございますが、地方へまいりますとなかなか、ご縁がうすいところもございます。
 なかには、わかったような顔して、仏法をあやまって解釈しているものもいる
 うちの近くの奥さん、もう年は七十ぐらいなんですが、
 「奥さん、お寺に参りなさい」
といいますと
 「まだ、わたしは早い」
といわれる。何が早い?いつ行くかわからん世の中ですよ、元気なうちに聞いておきなさいよ、といっても聞こえません。こういう考えの方が多いんですね。
 こちらには「雪ん子劇団」というのがあってね、小さいころから仏縁をむすんでおられますがね、私のほうでも日曜学校や仏教青年会、婦人会といろんな折に仏教のご縁をむすぶようにしているんですが、なかには、「まだ早い」という人がけっこうおられる。
 いや、これは他人事ではありませんね。わたしだってそうでした。お寺に生まれることがなかったら、一生仏法を知らずに終わってたかもしれません。それもね、若い頃は坊さんになるのがいやでね。子供の時にみんなに「坊主、坊主、たこ坊主」なんてバカにされたりしまして、もういややというて、お寺を飛び出そうと思ったこともあります。
 大学入試のころでしたか、仏教に関係ない学校へ行こうと思いましてね、長男でしたが、いろんなところに願書出したんです。ところが全部内申書の段階ではねられた。高校時代にちょっとしたことで停学処分を受けたんですが、これで引っかかって、全部ダメ。うらみましたねえ。その時の先生を。
 でもね、今はよろこんでおります。あの先生があの内申書を書いて下さっておらなかったら、いまの私はなかった。仏法よろこぶ私に育ててくださったのはあの先生のおかげだったとね。お念仏は、いま救われたら、未来も救われる。そして過去までも救われて、おかげさまとよろこぶ身にならせていただけるんです。
 いや、これもよくよくのご縁だったんですね。
 ところで、最近、あの「坊主、坊主、たこ坊主」とからかっていた連中と、よく出会うんです。同窓会でね。うちの学校は大阪の街中で、おまけに、うめよふやせよの時代でしたから、一学年に四百人もの同級生がいるんですが、このごろの話題といったら、まず仕事、ゴルフあたりがはじまりで、つぎに体のこと、病気の話。あっちが痛い、こっちがたまらんなんてね。で、なかにはお医者さんもいますから、みんなそこへかたまって、ワイワイ、ヒソヒソやるわけです。
 で、これで終わりかと思ったら、つぎににぎやかになるのが坊さんのまわりです。四百人の同窓生の中で、坊さんはわたし一人なんです。えらい繁盛で、みんなにやってきます。
 「おい、高田君、お前、坊さんやったなあ。仏教ちゅうのはどんな教えや。うん、俺ももう定年やしなあ。心の整理もつけとかんといかんと思うてな」
 「一体人生って何なんやろかよ近頃思うようになったわ」
 とか言いながら、一流会社の社長も大学の先生も、やってくるんですが、みんな仏法がわかっとらんですなあ。
 「親鸞がどうした、道元がなんじゃ、釈迦がなんじゃ」
 なんて偉そうなこと言っていた証券会社の部長をしている男が、えらい病気で死にかかった。で、回復したら四国の八十八ヵ所巡礼しとる。
 「なんや、お前、家族がなんじゃとかえらそうなこというとって」、
 といったら、
 「やっぱりいのちがおしい」
 表面ははなやかそうな顔しておるけれども一人一人の心の中に入ってみると、いろんな悩みをかかえとる。で、年いってくるとだんだんそういうことがわかってくるんです。
 ですから、お寺参りは年とってからというのもあながちまちがいではないということになりますね。宗教というのは、やっぱり人生のいろんな経験をして、そこに本当の安らぎを求めてこの世に生まれてきてよかったなあ、と安心していき、安心して死んでゆける身にならせてもらうものだと思うんです。
 生きるよりどころと、死のおちつき所をはっきりと知らせてもらうのが宗教なんですから。

明教院の心を味わう~本典一渧録より~

このテキストは、昭和63年、空華忌の法話を一部抜粋して寺報(49号、50号)に掲載したものです。

行信教校教授 利井明弘師

ひそかにおもんみれば

 恒例の一泊聞法に、今年も寄せていただきました。このたびは、弟の病気で門徒の皆様にも、いろいろご心配、ご迷惑をおかけしたことと思いますが、まあ無事に退院しまして、私もホッとしておるところでございます。
 今回の法座では、明教院僧鎔師の講録であります「本典一渧録(ほんでんいったいろく)」から「総序(そうじょ)」のご文を味わってみようと思います。
 これは、親鸞聖人の著わされた「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」の注釈本でありますが、昔はこのご本典というのは、簡単に読ませていただくなんてことはなかったんです。師匠から弟子へ、書写を許されて、ようやく拝見できるというもので、一般には公開されていなかったんです。
 ですから昔の学匠方でも、「教行信証」を直接釈しておられる方は少ないんです。普通は「六要鈔(ろくようしょ)」という存覚上人が著わされた「教行信証」の注釈本がありまして、これを通して、ご本典をうかがうという形でありました。
 ところが明教院僧鎔師は、この「教行信証」を直接読んで注釈しておられるのです。それだけでも大変なことだといわねばなりませんが、じつはこの注釈は、当時のご門主、文如上人のご命によってご講義なさったものの講録なんですね。僧鎔師50歳の折、安永2年11月18日から翌年3月15日までかかって講義され、それをまとめた”秘書”であると記録にのこっています。
 この第2席目に出ていることなんですが、この「教行信証」は、親鸞聖人の腸胃、つまりハラワタだとおっしゃっております。
 昔、中国に仏図澄(ふとうちょう)というえらいお坊さんがおられまして、その方は左脇腹に三四寸の穴があり、その穴より光明を放って、夜になるとその光をもって聖教を読まれ、時にはそこからハラワタを取り出して洗われた、とあります。普通の人ならこんなことはできないが、聖者の不可思議であろうと僧鎔師はおっしゃる。
 そして、今これを思うに、親鸞聖人のハラワタはこの一部六巻の「教行信証」であって、そのハラワタはこの一部六巻の「教行信証」であって、そのハラワタを直説頂だいすることは、よくよくの因縁とよろこばねばならないともおっしゃっています。
 この因縁を私も感じていましてね。僧鎔師はこの善巧寺のお方でね、大切なものはハラワタのようなものだとおっしゃり、仏図澄という左の脇腹に穴の開いたお坊さんの話をしておられる。ちょうど、弟が病気になって、左脇腹に穴をあけております。ここにきて、弟の話をしながら「お前もその脇腹から光が出てきて、お聖書を読むことができるか」と聞きましたら「まだ見えん」といっておりましたが、まあ、見えないのが当然でありましょうが、腹の中はきれいに洗ったようですから、ちょっと仏図澄師に近づいたかもしれません。
 さて、ご本典というのは、本当に大切なものであるというお話を僧鎔師の、ハラワタの例えで味わったわけですが、このあたりで総序の本文に入ってみようと思います。
 まずはじめは「ひそかにおもんみれば」(窃以)というお言葉です。僧鎔師はこれを「発端之詞」といっておられます。これはまあ、拝啓とか、前略とか、そういうはじめの言葉というほどのことでありますが、鮮妙(せんみょう)は、ひそかにとは「卑謙之詞」と申しております。
 この心は「いうことも出来ないわたしが」ということでもあります。そして、おもんみればとは「そんな私が申させていただく」ということであります。つまり、否定と肯定が二文字に込められているわけです。
 しかし、考えてみますと、今は「ひそかに」なんて心、まったくありませんね。なにもかもが、わかってる、わかっている、わかってるの世界です。でも、本当にそうでしょうか。そんなことを、この「ひそかに」という言葉は、わたしたちに問いかけているような気がします。
 理性、知性、金銭万能の時代のようですが、それでいいんだろうか、その辺を、皆さんとともに考え直してみなくては・・・と思うことであります。

難思の弘誓は難度海を度する大船

 明教院僧鎔和上の孫弟子に当たります利井鮮妙が、宗祖親鸞聖人の650回忌の折に、前回からお話しております「総序の御文」を読誦用にしてご本山でおつとめになったことをたいへんよろこんで文章に残しておるのですが、それ以来でしょうか、私たちの行信教校(ぎょうしんきょうこう)では、授業がはじまる前のおつとめで、必ずこの「総序の御文」をみんなで声をそろえて読むしきたりになっております。
 で、この御文の最初に「ひそかにおもんみれば」とあるわけですが、前回夏にここの味わいをお話ししたようですので、

 難思(なんじ)の弘誓(ぐぜい)は
 難度海(なんどかい)を度(ど)する大船(だいせん)
 無碍(むげ)の光明(こうにょう)は
 無明(むみょう)の闇(あん)を破(は)する慧日(えにち)なり

 というご文に入らせていただきます。ではこれは、法蔵菩蕯が阿弥陀仏となって下さる因果と、そこへ参らせていただく衆生往生の因果が説かれてあるわけで、仏説無量寿経全二巻のおいわれが、この短かなお言葉の中にこめられてあるのでございます。
 余談になるようですが、私は先哲の害物等を読ませていただいておりまして、思うのですが、一字一句の語句の解釈もありがたいのですが、この無量寿経に関して、なぜ上下二巻あるのかということについて、ある和上が「それは説くともつきないいわれだから、三巻にも四巻にも百巻にもなろうが、三巻を超えたら両手で持てない。落としてしまう。だから、わが両手でいただけるようにちょうど二巻にまとめて下さってあるのじゃ。ありがたいことじゃ」とおっしゃっている。こういう話がまた、ありがたいなあ、と思うんです。 
 さて、その大経のおいわれは、私たちに真実そのものを与えてはとうていわかることができないから、真実のよってきたるところ、つまり、真実の因果をあらわして下さっているわけであります。
 因だけあらわされてもまたわからないものでして、因果をあらわして下さるからうなずけるんです。
 たとえばね、私はお百姓さんのことあまりわかりませんが、あのイネの葉とヒエの葉と、見分けがつくかどうか、素人ではなかなかわかりません。だけど、果が出てくるとわかります。これは私でもわかります。
 いま、その因のとこで説かれたのが「難思の弘誓」であります。仏さまは私たちを救うために法蔵菩蕯となって、世自在王仏(せじざいおうぶつ)のみもとで、そこへ往く手だてもこのように仕上げるぞとおっしゃって下さる。その果が「難度海を度する大船」であります。弥陀の弘誓の因が衆生を度する果となるのであります。
 そう、ここの明教院和上の百回忌のとき、先ほど申しました利井鮮妙の兄の明朗が、この善巧寺に参って導師をつとめております。で百回忌のときは、ご案内がなかったそうですが、私のじいの興隆が参ってきまして、お焼香をして、長講一席、大演説をして、ここの門徒衆が感涙にむせんだといわれております。昔の人はすごいですね。ご恩をうけた人の命日も忘れず、明教院和上の百五十回忌に案内なくても参ってくる。今の私たちには考えらないことであります。
 で、二百回忌の時は、弟のご縁私と父、興弘が参らせていただきましてね。法事がおわって、帰り道、父と話をしたんですが「これで、明朗さんや、興隆じいさんに、みやげ話ができましたなあ。お浄土のまいったら、まずあの二人に、この明教院さんのご法事のお話をせにゃならんなあ、じいさん、よろこぶだろうなあ」とね。
 まあ、こういう話ができるというのも「難思の弘誓」が「難度海を度する」からいえることなんですよ。帰る世界を仕上げて下さってあるからこそ、共に一処のところで会えるんです。そしてその手だての果は、無量の光明、六事の名号、南無阿弥陀仏なのであります。
 みなさん、お浄土は西にありますよ。こんなこというと、ほんとやろかという人があるが、私はあの曇鸞大師が西方浄土を指して下さったからこそ、東や、南や、北の欲の行列につながっている自分に気づかされるんだと思うんです。
 浄土がどこにあるかもわからん、真実に背を向けて、欲と二人ずれであっちの行列、こっちの行列にならぶわたしたち、だからこそ、「難思の弘誓」が「無碍の光明」の念仏となり、「無明の闇を破する恵日」とはたらき「難度海を度する大船」となってこの私をお救い下さるのであります。仏さまやお浄土に背を向けている私たちを、逃げるものを追いかけるがごとく、抱きとめてくださるのが、阿弥陀さまなのであります。

自然法爾を味わう/高田慈昭

このテキストは、昭和63年、空華忌の法話を一部抜粋して寺報(47号、48号)に掲載したものです。

自はをのずからといふ 然はしからしむよいふ

行信教校教授 高田 慈昭師

自然合成 自然快楽

 親鸞聖人が、他力ということを深く味われましたお言葉の中に「自然法爾(じねんほうに)」というのがございます。末灯鈔というお聖教の中に出てくるのですが、この言葉は仏教の深い意味をあらわしているものなのでございます。
 ところで、この夏のことなんですが、ベルギーの青い目のお坊さんがおられまして、この方はそのベルギーのアントワープという町の大学の先生もなさっているのですが、アドリアン・ぺ―ルという方なんです。
 このペールさんは、仏教に帰依し、浄土真宗に帰依し、京都のご本山で得度もされまして、今、ヨーロッパにお念仏の教えを広めて下さっているのであります。小さいときはキリスト教の聖歌隊のメンバーだったそうです。でも今は、私の救われてゆく道はこれだと、心の底からよろこんでいらっしゃるんです。そう、ベルギーには今、ペールさんのお寺があるんですよ。寺号は「慈光寺」というんですが、このお寺の名は私の寺の名と同じなんで、何かとても親しみ深く感じるのです。
 このペール博士がね、親鸞聖人の教えは「自然法爾」という、本来、ありのままの凡夫が、凡夫のままに救われてゆく、そこには阿弥陀様の絶対的なお慈悲の世界が開かれ、その世界に招かれてゆく…ということを心からよろばれておるのでございます。
 私はこの夏、ペールさんと通訳を入れてお話をしたのでありますが、その時にもこの「自然法爾」のおいわれが、人々が救われてゆく無理のない真実の法だとおっしゃっていたのであります。
 この「自然法爾」という味わいは、西欧人の考え方からはなかなか出てこないものなんですが、それを適確に押さえていらっしゃるところにたいへん感心させられました。
 さて、この、自然法爾という言葉でありますが、本来は仏教全般の言葉でして、禅宗でも使いまして「自然のほうは、つくる人があることもなく、つくらないこともない。法爾自然、生死自然、因果自然…」などと申します。
 で、私達の経典、仏説無量寿経にも、自然という言葉が、五十五ヵ所も出てまいります。うかうかと唱えていると気づきませんが、親鸞聖人はこれを本当に深く見つめられたんですね。

自然在身、自然合成、自然快楽、自然飽足、自然化生、無為自然…

 また、観無量寿経の中にも、

自然増進、自然在中、自然化成

などと六ヵ所、そして阿弥陀経には

皆自然生念佛念法念僧之心

 と、一ヵ所ですが出てきます。
 さらに、宗祖のお正信偈の中にも「自然即時入必定」とありますね。
 それで、この自然という言葉を浄土真宗では、特に阿弥陀如来の本願力の自然、願力自然と使うのであります。
 阿弥陀如来の本願力が、自ら然しむる、こちらには何一つ計らう余地はない、如来の計らい一つによって、あるがままに抱かれて救われてゆくのである、と味わうのであります。
 親鸞聖人が晩年に、京都の善本院というお寺で、弟ぎみの尋有僧都に、仏教で自然法爾ということがあるぞ、というって、願力自然ということについてご法話をなさったんですが、これが、自然法爾章として、末灯鈔にのこされているのであります。

自然といふは、自はをのづからといふ、行者のはからひにあらず、然とうふ、しかしむといふことばなり。しからしむといふは行者のはからひにあらず、如来のちかひにてあるがゆへに法爾といふ。法爾といふは、この如来の御ちかひなるがゆへにしからしむるを法爾といふなり。法爾はこの御ちかひなりけるゆへに、をよそ行者のはからひのなきをもて、この法の徳のゆへにしからしむるといふなり。すべてひとのはじめてはからはざるなり。このゆへに義なきえを義とすとしるべしとなり。自然といふは、もとよりしからしむるといふことばなり。弥陀佛の御ちかひのもとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀佛とたのませたまひてむかへんと、はからはせたまひたるによりて、行者のよからんとも、あしからんともおもはぬを、自然とはまふすぞとききてさぶらふ。……

 とこのように、じつに味わい深い、他力のおみのりをおのべになっておられるのであります。
 ところで、この他力といいますと、人の力をあてにするというように間違って使う人が多いんです。野球でも何でも、他力本願で優勝なんて言う人がいますな。困ったものです。優勝したのは他力でも何でもない。実力なんですがね。
 仏教では他力とか自力というのは、仏さまのおさとりに向かうときに言う言葉なんで、人間生活の上で自力他力は言わないんです。それを日常生活でこういう仏教の尊い言葉を使ってしまうから、本当の心をみな忘れてしまう。他力というのは人間の力ではないんです。仏さまの力、阿弥陀如来の本願力なんですよ。凡夫が仏になるのに如来の本願力一つによって救われてゆく…それはこちらが願う前に、仏さまのほうから願われてある、大きな限りないお慈悲の世界、それをあらわすのであります。

行者のはからいにあらず

 ところで、ふつうはこの「自然」を「しぜん」と読みますね。仏教では「じねん」といいます。「しぜん」というとなんか科学的な感じがしますけど「じねん」というと、何かこうあたたかい感じがしますね。
 で、ここで少し、その「しぜん」と「じねん」の共通点を上げてみようと思うんですが、まず第一に「しぜん」は人間の手を加えないことがあげられます。人工を借りないのであります。まあ、これが本来の姿というものでしょう。それと同じように阿弥陀如来の本願も、南無阿弥陀佛のお名号をもって、われらを救いたもうがゆえにこの本願を信じて一声にも念仏を申さば、必ず仏のおたすけにあずかるなり、これ法爾道理なるべし、と法然上人もおっしゃっています。これこそ、自ら然らしめたまう真実のおみのりなのだというわけです。行者のはからいにあらずということなんですね。
 第二に、しぜん、じねん、ともに因果の秩序、法則があります。自然界には原因と結果の道理が貫かれてあります。花は咲くべくして咲き、散るべくして散ってゆくものですね。ウリのつるにはナスビはならんということですね。
 仏法というものもその通り。おしゃかさまがお出ましになって、因果の道理を見抜かれた。これはおしゃかさまがお出ましになる前からちゃんとあった法則です。
 今、阿弥陀如来のご本願もそうでありまして、私達を救って下さる、救いの因果と、救われる側の私達の因果がございます。
 如来の救いの因果とは、法蔵菩薩の願行が「因」となり、正覚の阿弥陀如来が光明と名号となって私のもとに届いてくださる、これが「果」であります。
 この如来の因果が、私に届いて私の信心の「因」と、往生成仏の「果」となって下さるのであります。如来さまのお救いというのは神秘の魔術ではなくて、厳然たる因果の道理によって、間違いなく、救いの法が仕上がり、その法によって間違いなく救われてゆく法が、私どもの上に届いておって下さる。それがお念仏なんです。そこに人間のはからいを越えた、如来のはからいとしての真実の大悲のはたらきが、今、私どもの一人一人の煩悩を照らして、その全体に南無阿弥陀佛の功徳を注いで救って下さる、そこに因果の道理が成立し、自ら、然しむるのであります。

自然法爾を味わう②

はからいなしすべて如来の…

 親鸞聖人の末灯鈔のお言葉をみますと、まず自然という言葉のご解釈がでてきます。

自というのは自ずから、行者のはからいにあらず、然というのは然らしむる、行者のはからいにあらずという」どちらも行者のはからいにあらずという風にのべられています。法爾というのは「如来の御誓いなるが故に然らしむるをいう

とのべられています。
 この自然という文字、自という文字はみずからとおのずからという二通りの読み方があるわけですが、みずからというときは自分自身ということで親鸞聖人は、五会法事賛の観音勢至自来迎、観音菩薩と勢至菩薩が、自ら来迎したもうという言葉をご解釈され、二菩薩みずから私共、念仏者をお迎えとって下さるという云い方をされています。ところがその後に聖人は、また自というは自ずからというとご解釈され、おのずからというときには自ということである。阿弥陀如来のお救いが行者のはからいをはなれて、向かうからしからしめて下さるという働きであるという風に他力ということをあらわされています。今は自というのはみずからという意味ではなしにおのずからという意味である。おのずからは何故、行者のはからいにあらずというのかといいますと、自という字、これは「より」という字でもあります。今はあまり使いませんが〇年〇月〇日より〇日にいたる、というときにこの字を使っています。ものがはじまるもとということです。又、「より」というのは「従」、こちらが動かなくても向こうから動かん私を抱きとって下さる。如来さまの方から全くはかろうて下さるから、こちらからは毛すじほどもはからう余地がない、こちらから動いてゆくことではありませんから、行者のはからいにあらずというわけです。
 太陽というのは向こうにあるけれども、光はここにとどいている。そして私達を照らし、私達の暗を破り、又、育ててくださる。向うかから働きでじっとしているままが、こちらは光をいっぱいあびている。向うから近づいて、この煩悩の世界にいきいきと働いて、この私をおさめとって下さる。こちらの方は素直にこれに従うよりほかはない、大きなめぐみであるなァと仰いでゆく他はない。だから行者のはからいにあらずというのであります。向うからの働きでありますから、然という字は、またこれ然らしむるといいます。
 親鸞聖人は必ずという字を必得住生とおっしゃっています。善導大師は、南無阿弥陀仏でどうして往生できるか、それは南無阿弥陀仏の中に、願と行がちゃんとこもっておる。仏のさとりにいたる願と、仏のさとりにいたる行が、全部、南無阿弥陀仏におさまっておるから、どんな凡夫でも、南無阿弥陀仏ひとつで必ず往生を得るとおしゃった。
 善導大師のころには、お念仏の教えを知らないで、凡夫の唱える位のお念仏で、どうして仏になれるのかと、念仏の教えをけなした人達が多かった。そこで善導大師が憤慨と立ち上がりましてね。そうではない、お念仏一つによって凡夫が救われてゆくのである。そのわけを言うなら、南無というは帰命である。またこれ発願廻向の義なり、如来の願いが私の所にとどいて、私が仏になる願がちゃんとそなえられている。しかも、阿弥陀仏は即ち行といえり、阿弥陀仏という中に、この凡夫を仏にする行のありだけがこもっていて全部私のところに、信となり、念仏となって浄土へむかわしめてくださる大きな働きがある。
 お寺の垂れ幕にありましたな、「法体大行」。如来の行が私の行になって下さっておる、如来さまが苦労して仕上げて下さった行のありたけが、私の信となり、行となって下さる。信心ということは、如来の大願大行が私のところへとどいて下さったということです。
 浄土真宗に行があるかと云われた時、私達は堂々と大願大行という行があります。それが私の体を通して出ておってくださる南無阿弥陀仏の一声一声の無上の功徳が躍動しているお念仏なんだということを、私達は、親鸞聖人の教えを通して味わっているんです。
 法然上人は選択本願のお念仏とおっしゃって居ます。そのようにお念仏で凡夫が間違いなく救われてゆくということを、はじめて道理をもって示されたのが善導大師。必ず往生をうるということが如来の自然法爾であるから、その道を歩む人間になさしめたもうのであります。
 庄松さんでしたかなあ。友達が病気で寝ていました。病気をすると心が不安で、ひょっとして悪くなって死ぬんじゃないか庄松さんに仏法のお話をしてほしいというので、その友達の家へ見舞にゆきました。そしたら庄松さん、病人に話でもするかと思うと何もしないで、隣の部屋のお仏壇の前に座って、おあかりつけておつとめをするんです。長い長いおつとめをゆっくりゆっくりしておりまして、仲々おわらない、病人がいらいらしてお前をよんだのはおつとめをしてくれということではない、早く私の枕元へきて早くお話をしてくれというと、「ここに大悲の如来さまがお立ちになってるじゃないか、この如来さまが正覚を成就して私のところへ南無阿弥陀仏ときて下さっておるのに何が不足かいおらみたいもんの話きいたって何にならあ、願力自然の働きで私のところへ南無阿弥陀仏となってだきしめておってくださる親さまが、ちゃんとおら達迎えになるのに、何が不足かい」と云うとナモアミダブツとお念仏しながら帰っていったんです。
 この病人の友達が後から考えてなるほどなァとわかったんですね。何かありがたい心になろう、自分の不安を破ろうと思って、それに、はからいをした。人生の矛盾や、人間の不安は人間の力で破ることはできません。くよくよした妄念や不安が最後までなくならないのが本当の姿です。しかしその不安のままが、如来様の確かな法の中にそのままだかれて救われておるところに、ゆるぎない安心が与えられておるのです。
 おのずから然らしむるということの言葉を私達は本当にかみしめて味わわしていただいたら「このままでよかったなァ」「このままが、本当に自由な大きなめぐみの中にいだかれておりましたなァ」と、心の底から晴れ晴れと念仏を申すよりほかにないのであります。

念仏は まことの親/高田慈昭

このテキストは、昭和61年、空華忌の法話を一部抜粋して寺報(39号、40号)に掲載したものです。

行信教校教授 高田 慈昭師

念仏は まことの親

空華忌の法要のご縁に会わせていただきますのは一昨年の第一回につづき、二回目でございます。本堂の大屋根の修理もなさって先月には落慶法要を厳修されたとうけたまわっております。誠におめでたいことでございます。

空華忌と申しますと、ご承知のように明教院僧鎔師の祥月法要。その空華和上の法要にお招きいただいて、ご法義を讚嘆させていただくということは、空華末流の私にとって、大変ありがたいことだと思っております。

私は大阪高槻の行信教校に学び今またその教校で、学生たちと一緒にお聖教を読ませていただいておりますが、特に先哲の空華忌和上の教えがこの学校の主流であります。中でも、一番大事な、行と信の教えということになりますと、空華和上の味わいが最も秀れておるのでございます。

さて、この私の胸に宿って下さったお念仏でございますが、私の近所にしっかり者の奥さんがおりまして、これがなかなかのお寺嫌い。お念仏などとなえたことのない方なんですが、あるとき地震があって、外へ出てみると、その奥さん、近くの大きな松の木にしがみついて、ナンマンダブツナンマンダブツとお念仏をとなえているんです。あれほど念仏の悪口を言っていた奥さんが、どうして念仏を…と思って聞いてみると、結局、生まれ育った実家が真宗の門徒で、小さい時からお念仏に育てられていたそうなんです。それが、イザというとき、フッと口からこぼれ出たんでしょうね。

現代の日本人の八割は、念仏が心にあるといわれています。戦時中でもそうだったようで、戦死した方々が、最後に叫んだ言葉は、「お母さん」に次いで、お念仏だったといわれています。お母さんというのは、子供にとって最もつながりの深いものなんですね。私のむすこもむすめも、もう結婚する年になったんですがいまでも帰ってきて、母親がいないと「お母ちゃんは?」といいますね。お父ちゃんがおっても、何にもならんのですな。お母さん、というのは親の名でしょう。南無阿弥陀仏も、親の名なんです。この世の親はありがたい、懐かしい親ではあるけれど、必ず別かれてゆかねばならないものであります。しかし、南無阿弥陀仏の親さまは、永久に離れてはくださらない、いや、私の知らなかった久遠却来から、私に離れずに過去、現在、未来と三世を貫いて離れることのない親さまなのでございます。まことの親とはこのことでございます。

だから親の名を呼ぶんです。人間の一大事の時には親の名を呼ぶんです。それは一番まことなものであり、なつかしいものであり本当のよりどころ、支えになるものであります。だから人間イザというときに出てくるものは、いいかげんなものは出てこない。口でどんなことをいっていようとも、イザとなったら、やっぱり親の名が出てくるんですよ。なつかしいものであり、私を抱いてくださるやさしい方であり、私の煩悩も罪も障りも、生きることも死ぬことも、すべてしっかりとつつみ、抱きかかえておってくださる、まことのよりどころになるお方――それがお念仏、南無阿弥陀仏の親さまであります。

人は、ほんとうの心のよりどころを持たなければ、安心して生きることができません。また安心して死ぬこともできません。お念仏は、まことの親、本当の心のよりどころです。安らかに生き、安らかに死ぬるも、お念仏の世界なればこそでございます。

選択本願のお念仏

お念仏というものは、単なる雰囲気やムードだけでは、心に安心は届かないのであります。そこで法然和上や親鸞聖人が求めてられた大安心のお念仏の味わいを、ここで明らかにしてゆかねばなりません。なぜお念仏がすべての人々を分けへだてなく平等にまことの浄土のさとりに至らしめるかということでありますが、法然上人にうかがってみると「本願の念仏」とおっしゃっている。これは如来さまの願いのかかっている念仏ということであります。

ただナンマンダブツと称えていてもまるでありがたくないし、安心もできませんが、「本願の念仏に会うことによって深く仏恩を知れり」と親鸞聖人もおっしゃっていますね。本願というのは仏さまの願いということでありまして、私が願う前に仏さまの方から願いがかかっておったという、この世界が浄土真宗であります。ここを見失ってしまったら、お念仏もお浄土もわかりません。で、法然上人は、この本願に、さらに「選択本願(せんじゃくほんがん)」と申されました。選択ということは選びえらぶということばではありまして、私のために如来さまの方から選びえらんでくださった法なんだということであります。

お正信偈にもありますよね。

選択本願弘悪世ー選択の本願を悪世にひろめたもう

さらに聖人は、選択の眼海とか、しかれば大乗の聖人、小乗の聖人、善人悪人みな等しく選択の大法海に帰して念仏成仏しべしとおっしゃっています。この選択の選というのは、たくさんの中から一番すぐれたものをえらぶという意でして、択というのは、決択といいまして、これよりほかにないというこころです。

阿弥陀如来はわれら一説の生きとし生けるものを救うという願いを起こされましたが、その四十八通りの願いの十八番目の願い――この私が往生成仏するたねが誓われてあるわけですが、これが一番大切なところでありまして、自力の緒行を選び捨てて、他力の念仏一つをえらびとるという、これが選択ということであります。自力のあらゆる行というのは、凡夫の道ではない。凡夫を救うには他力の念仏しかないわけであります。

法然上人の時代、世の中は騒然としておったわけですが、その中で、すべての人が心の安らぎを得られるのは阿弥陀如来の本願に帰すしかないといわれた。如来様は満足大慈悲のお方だ。この如来様は、一部のすぐれた人だけを助けて、ほかの多くの人たちを助けないというようなことはあろうはずがない。かわでおごれているものを後まわしにして、岸にいるものを救うという法があろうはずがない。救いというものは、できる人よりも、できない、あぶない、弱い、そういうものこそ先に救わねばならない。仏の慈悲というものは、そういうものではないかと、おっしゃったわけです。

仏さまのお救いは、お前の助かる道はこれより他にないんだよと私が求めえないままに、仏さま方から先に、私たちの煩悩の底の底まで見きわめて、南無阿弥陀仏のお六字を成就して、これより他に救われる道はない。どうかうけとってくれよと、如来さまのお方から手を合わせて願われておるのであります。

法然上人は、

速やかに生死の迷いをはなれようとするならば、聖道門をさしおいて、選んで浄土門に帰せよ

とおっしゃり、

浄土門において正雑があるが、雑行をはなれて、選んで正行に帰せよ

とおっしゃる。そしたら正行の中にも正業と助業がある。

助業をかたわらにおいて、選んで正業をおさめよ。正業とは仏名を称するなり

とおっしゃっております。

 ここに三つの選ぶという言葉が出ておりますが、正業を選ぶというのは、じつは私が選んだのではない。如来さまの方で選んでおって下さったのだと受けとられたのが法然和上です。

如来さまは、私どもの業の底の底まで見抜いておられる。

仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば、他力の悲劇はかくのごときわれらがためなりとしられていよいよたのもしくおぼえるなり。

と親鸞聖人もおっしゃっておりますが、まさにすべてを見抜かれた大悲の親なればこそ、この私を救う手だてのすべてを仕上げて、これより他にないと与えて下さっておるのが、わたしたちの親さま阿弥陀如来さまなのであります。