仏縁/高田慈昭

このテキストは平成2年、寺報54号に掲載されたものです。

「お寺へ参りなさいよ」
「いや、わたしはまだ早い」

行信教校教授 高田 慈昭師

 高田でございます。空華忌にまたご縁をいただきました。
 ご当地北陸というところは、仏法のご縁が、厚いところでございますが、地方へまいりますとなかなか、ご縁がうすいところもございます。
 なかには、わかったような顔して、仏法をあやまって解釈しているものもいる
 うちの近くの奥さん、もう年は七十ぐらいなんですが、
 「奥さん、お寺に参りなさい」
といいますと
 「まだ、わたしは早い」
といわれる。何が早い?いつ行くかわからん世の中ですよ、元気なうちに聞いておきなさいよ、といっても聞こえません。こういう考えの方が多いんですね。
 こちらには「雪ん子劇団」というのがあってね、小さいころから仏縁をむすんでおられますがね、私のほうでも日曜学校や仏教青年会、婦人会といろんな折に仏教のご縁をむすぶようにしているんですが、なかには、「まだ早い」という人がけっこうおられる。
 いや、これは他人事ではありませんね。わたしだってそうでした。お寺に生まれることがなかったら、一生仏法を知らずに終わってたかもしれません。それもね、若い頃は坊さんになるのがいやでね。子供の時にみんなに「坊主、坊主、たこ坊主」なんてバカにされたりしまして、もういややというて、お寺を飛び出そうと思ったこともあります。
 大学入試のころでしたか、仏教に関係ない学校へ行こうと思いましてね、長男でしたが、いろんなところに願書出したんです。ところが全部内申書の段階ではねられた。高校時代にちょっとしたことで停学処分を受けたんですが、これで引っかかって、全部ダメ。うらみましたねえ。その時の先生を。
 でもね、今はよろこんでおります。あの先生があの内申書を書いて下さっておらなかったら、いまの私はなかった。仏法よろこぶ私に育ててくださったのはあの先生のおかげだったとね。お念仏は、いま救われたら、未来も救われる。そして過去までも救われて、おかげさまとよろこぶ身にならせていただけるんです。
 いや、これもよくよくのご縁だったんですね。
 ところで、最近、あの「坊主、坊主、たこ坊主」とからかっていた連中と、よく出会うんです。同窓会でね。うちの学校は大阪の街中で、おまけに、うめよふやせよの時代でしたから、一学年に四百人もの同級生がいるんですが、このごろの話題といったら、まず仕事、ゴルフあたりがはじまりで、つぎに体のこと、病気の話。あっちが痛い、こっちがたまらんなんてね。で、なかにはお医者さんもいますから、みんなそこへかたまって、ワイワイ、ヒソヒソやるわけです。
 で、これで終わりかと思ったら、つぎににぎやかになるのが坊さんのまわりです。四百人の同窓生の中で、坊さんはわたし一人なんです。えらい繁盛で、みんなにやってきます。
 「おい、高田君、お前、坊さんやったなあ。仏教ちゅうのはどんな教えや。うん、俺ももう定年やしなあ。心の整理もつけとかんといかんと思うてな」
 「一体人生って何なんやろかよ近頃思うようになったわ」
 とか言いながら、一流会社の社長も大学の先生も、やってくるんですが、みんな仏法がわかっとらんですなあ。
 「親鸞がどうした、道元がなんじゃ、釈迦がなんじゃ」
 なんて偉そうなこと言っていた証券会社の部長をしている男が、えらい病気で死にかかった。で、回復したら四国の八十八ヵ所巡礼しとる。
 「なんや、お前、家族がなんじゃとかえらそうなこというとって」、
 といったら、
 「やっぱりいのちがおしい」
 表面ははなやかそうな顔しておるけれども一人一人の心の中に入ってみると、いろんな悩みをかかえとる。で、年いってくるとだんだんそういうことがわかってくるんです。
 ですから、お寺参りは年とってからというのもあながちまちがいではないということになりますね。宗教というのは、やっぱり人生のいろんな経験をして、そこに本当の安らぎを求めてこの世に生まれてきてよかったなあ、と安心していき、安心して死んでゆける身にならせてもらうものだと思うんです。
 生きるよりどころと、死のおちつき所をはっきりと知らせてもらうのが宗教なんですから。