このテキストは平成3年、寺報58号に掲載されたものです。
明教院から雪華院へ さらにつづく空華の心
行信教校長 利井明弘師
僧鎔和上の空華忌です。じつは僧鎔さんの百回忌に私の曽祖父である利井明朗がお導師をさせていただいてるんです。弟のお葬式の時に、この辺を歩いておりましたらね、僧鎔和上も明朗もこの辺を歩いておられたんやなあ、今頃は弟が明朗じいと逢うとるなあと思いましたね。
百五十回忌の時は利井へ案内がなかったんです。その日の夕方ここへ大きな男がやってきて「よすみの利井や」というた。
そのじいさんがお参りした後大演説をして満堂のお同行が感涙にむせんだということです。この興隆じいがなくなったのは私が小学校五年の時、弟が小学校に上がる年でしたから、私もよく知っています。
二百回忌には私の父がお導師をさせてもらって、その帰り二人で話したんです。「お浄土へ帰ってからのみやげ話がまた一つできたね。おじいちゃんに逢うたら、同じようにおまいりさしてもらったよって言えるね」と。
二百五十回忌には、私の息子がここへ来てくれるであろうと思います。
弟のご縁もありますが、ここのお寺と私のお寺とは大きい大きいご縁でつながっていた、そんじょそこらのご縁ではないのでしょうね。僧鎔師の教えられた方の弟子が、私のひいじいのお師匠、ということはひいじいは僧鎔師和上のひまご弟子ということになります。僧鎔師和上からずーっと線をひいてくると、つながっている深いご縁がみえてくるんです。
空華の一番の特徴は”理屈よりもお念仏でよろこぶ”、もっと言えば、こちら側には何もないというのが徹底しているのが僧鎔師和上の考え方なんです。私の力は何も認めない、すべてしていただいているというのが、空華の一大特徴です。そんな私だから、阿弥陀さんが働いてくださってなかったら、お浄土へ行けないんですよ。こうしたら助かるかああしたら助かるかという話じゃないんです。おまかせなんですよ。
今、ここの俊隆くんが私のところに来ているんですが、俊隆が勉強している部屋がじいさんの書斎だった、そこに隆弘もいたんですが、この興隆の隆をもらって隆弘というんですがね。この書斎で、じいさんが父に云うんです。「よかったなァ」このことばはなかなかでんもんです。まちがいなく救うよ、なまんだぶつよ、安心せえよ、なまんだぶつと唱えなさいよ、絶対に救うぞというておられる。これはね聞いて今安心できるんですよ。何べんも聞いているうちにわかるなんていうもんとはちがう。この世の命が終わった時、必ず救うという仏さんがいらっしゃる。まちがいないことです。それをきいて、「なまんだぶつ、よかったなあ」といえるんです。
「よかったねぇ」と逢いましょうね。まちがいなく隆弘もここのおじいさんたちもよかったなぁと逢える場所に生まれられるんです。