空華忌に思う/利井明弘

思えば空華僧鎔和上の200回忌には、弟の隆弘も元気でありました。「若はん、若はん」と善巧寺の門信徒の皆さんに呼ばれて、あちこちと走り回っていた姿が目に浮かびます。早いもので、その弟が亡くなって、もう丸3年になります。弟が善巧寺にご縁を頂いたのも、僧鎔和上の冥護のたまものでありましょう。

私たち兄弟が育った高槻の常見寺には、行信教校という、創立以来百十余年になる宗学を学ぶ塾があります。この塾は私たちの曾祖父鮮妙が創設したものでありますが、実はこの鮮妙は僧鎔師の曾孫弟子に当たるのであります。現在も全国から集まった九十名余りの学生が、僧鎔和上が説いて下さった空華の宗学を学んでいます。その中には、次の善巧寺を背負って立つ俊隆君もいるのです。あと数年もすれば、僧鎔和上の教えを学んで立派なお坊さんになってくれるでしょう。

善巧寺に残る記録によれば、僧鎔師の百回忌には、行信教校初代校長の鮮妙がご招待を受けて参詣し、百五十回忌には、私たちの祖父興隆が、大阪から善巧寺に参っております。しかし、祖父の興隆にはご招待がなかったようで、自分から参ってきて、ご法話をさせて頂き、その時、善巧寺の満堂のお同行が感涙にむせんだと記録させているそうです。この話を二百回忌に父と共に参詣させて頂いた時に話してくれた隆弘も今はお浄土です。又、その時、参詣の記念にと桐谷先生、山本先生、それに父の三人が寄せ書きした軸が今も善巧寺の書院に掛かっていますが、ついこの間のことなのに、この世には一人も遺ってはおられないのです。何と人生は無常ではありませんか。しかし、私たちは幸いお念仏を聴聞させて頂いています。急ぐこともありませんが、お浄土で、この世では遇うことができなかった僧鎔和上や、鮮妙をはじめご縁あった人たちと、どんな風にお遇いすることが出来るのか、今から楽しみにしているこの頃であります。
(寺報69号)

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