ある日の朝、電話があった。声の主の女性は、一枚の写真のことが不安でしょうがないという。二十歳の娘さんが旅先で撮った写真に、写るはずのない子供の足が写っているという。早速お寺に持ってきてもらった。確かに女性二人が微笑んでいる写真の隅に、子供の足が写っている。不思議なものではある。しかしミスプリントなのは明らかだった。何か悪いことが起こらないかと不安になるのは、やはりテレビ番組の影響だろう。ゴールデンタイムに心霊・オカルト番組が洪水の如く垂れ流されている。日本民間放送連盟の放送基準には迷信を肯定的に扱ったり、心霊術等を扱う場合は徒に不安を煽ることのないように謳っているのだが…
浄土真宗の教章の中には、
深く因果の道理をわきまえて、現世祈祷や、まじないを行わず、占いなどの迷信にたよらない
とある。いわゆる心霊写真というものが怖がられるのは、それによって我が身に危害が及ぶと煽られるからであろう。その極まりが「死」である。根底には「死」は忌み嫌うべきもの、不幸の象徴とする価値判断がある。釈尊が説かれた根本苦の四苦とは生老病死。「死」が苦であるというのは、死を目前に控えての肉体的苦痛、精神的苦悩というだけではなく、死という問題に対して、意味を見出せない苦という意味も含まれているそうだ。お念仏を頂くということは「死」は虚しい滅びでも敗北でも不幸になることでもなく、お浄土に往きて生まれることと知らされる。大いなる精神の領域を頂くのである。スタート地点が違うのである。
(寺報108号)
・空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
・ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
・御文章について/梯實圓(寺報71号)
・永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
・報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
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・ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
・無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
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・往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
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・無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
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・生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
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・香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
・横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
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・必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
・報恩講/若林眞人(寺報97号)
・非常の言/高田慈昭(寺報98号)
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・篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
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