こわいはなし/宗崎秀一

ある日の朝、電話があった。声の主の女性は、一枚の写真のことが不安でしょうがないという。二十歳の娘さんが旅先で撮った写真に、写るはずのない子供の足が写っているという。早速お寺に持ってきてもらった。確かに女性二人が微笑んでいる写真の隅に、子供の足が写っている。不思議なものではある。しかしミスプリントなのは明らかだった。何か悪いことが起こらないかと不安になるのは、やはりテレビ番組の影響だろう。ゴールデンタイムに心霊・オカルト番組が洪水の如く垂れ流されている。日本民間放送連盟の放送基準には迷信を肯定的に扱ったり、心霊術等を扱う場合は徒に不安を煽ることのないように謳っているのだが…

浄土真宗の教章の中には、

深く因果の道理をわきまえて、現世祈祷や、まじないを行わず、占いなどの迷信にたよらない

とある。いわゆる心霊写真というものが怖がられるのは、それによって我が身に危害が及ぶと煽られるからであろう。その極まりが「死」である。根底には「死」は忌み嫌うべきもの、不幸の象徴とする価値判断がある。釈尊が説かれた根本苦の四苦とは生老病死。「死」が苦であるというのは、死を目前に控えての肉体的苦痛、精神的苦悩というだけではなく、死という問題に対して、意味を見出せない苦という意味も含まれているそうだ。お念仏を頂くということは「死」は虚しい滅びでも敗北でも不幸になることでもなく、お浄土に往きて生まれることと知らされる。大いなる精神の領域を頂くのである。スタート地点が違うのである。

(寺報108号)

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