何年前のことだったでしょうか。新聞の投書欄に目をやると「おとりこし」というテーマが目に入りました。三十代の女性の投書だったと思います。記憶を頼りに要約すると、次のような内容でした。
私の故郷の北陸では毎年「おとりこし」という仏事が行われます。近隣の方々や親戚など、それに嫁いだ娘たちも里帰りをしてお仏間に集うのです。皆がいっしょになって「しょうしんげ」というお勤めをします。
私は記事を読みながら思わず「うんうん」と頷きました。投書は続きます。
「おとりこし」は「ほんこさん」とも言います。
私はまた「そうそう」と頷きました。ところが投書の最後には、
おとりこしとは、ご先祖のお祭りなのです。
私の頭はガーンと鳴りました。親鸞聖人のことが忘れられてしまったのです。
永仁二年(一二九四)親鸞聖人三十三回忌の折、二十五歳の覚如上人は親鸞聖人の遺徳を讃えられて『報恩講私記』という書物を書かれました。この時から親鸞聖人のお仏事を「報恩講」と言うようになったのです。また、一般の寺院やご門徒のご家庭ではご正忌に先立ってお勤めをするから「お取り越し」とも申すのです。
親鸞聖人を浄土真宗の開祖と仰ぐ歴史は覚如上人によって始まったと言っても過言ではありません。覚如上人のご一生は親鸞聖人のご一流を護り抜くことに貫かれたものでした。
今年は第三代覚如上人の六百五十回忌に当たります。何とぞ報恩講をお勤めなさる折には、覚如上人のご苦労も心に留めて頂きたいのです。報恩講は覚如上人によって始まったのですから。
(寺報97号)
・空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
・ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
・御文章について/梯實圓(寺報71号)
・永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
・報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
・「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
・ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
・無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
・おそだて/高田慈昭(寺報77号)
・恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
・拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
・雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
・俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
・往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
・一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
・混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
・住持/高田慈昭(寺報85号)
・あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
・かがやき/山本攝(寺報88号)
・無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
・仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
・生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
・生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
・香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
・横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
・永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
・必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
・報恩講/若林眞人(寺報97号)
・非常の言/高田慈昭(寺報98号)
・不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
・お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
・篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
・抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
・善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
・洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
・夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
・育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
・こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
・報恩講について/梯實圓(寺報109号)
・お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
・前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
・いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
・生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
・あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
・季節の中で/山本攝叡(寺報117号)