かがやき/山本攝

「産経抄」を書いておられる名コラムニストの石井英夫さんが、ある雑誌に「蛙の遠めがね」という題の随筆を連載されている。最近この欄に「二つの歌集」と題して印象深い内容の歌が紹介されていた。その一つが東京都青梅市にある特別養護老人ホーム九十九園の老人たちがうたった作品を集めた「九十九園歌集」である。

「激動の時代を生きてきた人びとのたくましい生命力と、物事の的を射ぬくするどい眼力に感嘆しないではいられない。」と前置きして、いくつかの作品を紹介されている。

三河島四丁目に46年住んだ
主人は植木屋 私は駄菓子屋をした
働きぬいてここまで私はやってきたけれど
針めどが通らなくてとてもくやしい
青木きく 94歳

「針めど」は俗にいう針の耳、針の穴のこと。何も説明はいらない。名前と年齢、そして作品をじっくり見るだけで充分である。老人は、場所と手段さえ手に入れば、驚くほど新鮮で豊かなことばの語り手なのだということがわかる。次は、好きな作品のひとつである。

夏が来た鎌倉の海 おもひ出す
波打ちぎわで 桜貝ひろった
猿丸こま 78歳

仮に私が78歳になった時、一首に凝縮すべき人生の一こまは何なのであろうか。人生の光りと影はだれにもある。だが、その影の部分までも含めて、不断にかがやきあらしめんと働きつづけてある世界、それを宗祖は、「仏智の不思議」と仰せられた。

(寺報88号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)