永遠のとき/高務哲量

昨年十二月、十九年ぶりにインド仏跡参拝の旅に出させていただいた。今度の旅の目玉のひとつが、アジャンタ・エローラの石窟寺院群の訪問である。ボンベイから内陸部に入った都市オウランガバード郊外にそれはある。岩山をくりぬいて作られた石窟寺院の数々。ことに圧巻はエローラのカイラーサナータ寺院である。岩山をノミと金槌だけで削りだして作られたまったく継ぎ目のない一つの彫刻ともいうべき建築物である。その大きさたるや、奥行き八十一㍍、幅四十七㍍、高さ三十三㍍、というとてつもないもの。屋上・内外壁などに精緻な装飾をほどこしてある。これが岩山を削りだして作られているのである。八世紀半ばに着手し百年以上の歳月を経て完成したもの。七世代にわたる職人の手になるという。こうした建造物を目の当たりにしたとき、この世がすべて、人間は死んだら終いという考え方がいかにちっぽけなものであるかと感じずにはいられない。少なくとも、永遠の時というものを事実として受け入られる人のみが携わられる事業であろう。

法蔵菩薩の五劫の思惟の説。四十里四方の大岩を、三年に一遍天女が羽衣でひと撫でし、その繰り返しのはてに、大岩が磨り減って無くなってしまうに要する時間を一劫とし、その五倍の時間をかけて私を救い遂げる方策を思惟されたと無量寿経は説く。そんな大岩があるはずがないとインドでは通用しない。デカン高原自体が大きな溶岩台地の岩山なのだから。

釈尊が歩きになった同じ台地に立たせていただき、無量寿という桁外れにスケールの大きい「時空」というものをインドは感じさせてくれた。

(寺報95号)

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