大瀬戸幸子さんは、善巧寺の門徒の家に生まれた。縁あって広島の呉に嫁いで五十年になる。嫁ぎ先の呉の広というところは安芸門徒と呼ばれる人たちの在所が集まっている。善巧寺の僧鎔師とならび称される学僧であった、石泉派の僧叡師もその昔この広に生まれていた。その遺徳であろうか、瀬戸内海に面したこの地方で、平成の今でも、毎月十六日の親鸞聖人の御命日は「お逮夜」と称して、漁師も魚屋も休みになるのである。幸子さんは、その在所の有難い大瀬戸ミエさんというお同行に乞われて、大瀬戸家の嫁になったのである。
昭和二十年、幸子さんは二十二才だった。新婚第一夜、姑となったミエさんが幸子さんに頼んだことがある。夕方の正信偈のお勤めが終わった後、お導師の席に幸子さんを座らせて、下座に座った姑のミエさんが、頭を下げてこういう。
「ご意見たまわりましょう」
どうすればよいのか分からぬ幸子さんに、ミエさんは一枚の紙を渡した。そして、これを私に読んで聞かせて欲しいと頼んだのである。そこには、次のように書いてあった。
念仏行者のたしなみは
第一我が身をつつしめよ
なるべくアゴをば動かすな
《中略》
家に波風おこるのも
言葉が先で手がつくぞ
言葉の上より掴みあい
後には命も失うぞ
つつしむべきは口なるぞ
南无阿弥陀仏のみ仏が
出入りまします門なれば
戸口の締まりがかんじんぞ
聞き終わったミエさんは「ご意見有難う御座いました」と深々と頭をさげる。これが、ミエさんが亡くなる日まで、四十数年間、続いたのである。
意見を云って聞かせるのではなく、自分が聞かせて貰うというこの素晴らしさ。ミエさん亡き今、幸子さんは、暗記してしまったこの「ご意見」を頭の中で繰り返しながら、お念仏に会えた喜びを噛みしめている。善巧寺の若はんの法友でもあった幸子さんは、今年も浦山に帰る日を楽しみにしている。
(寺報70号)
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