俊之さんの思い出/龍嶋祐信

私の父方の従兄弟である俊之さんが、8月11日忽然と還浄されたのでありますが、奥様から凶報のお電話を頂き、前々から体調を崩しておられることは、承知しておりましたが、あまりにも突然のことにて、お電話をお聞きしながらも、自分の耳を疑ったことであります。

私と俊之さんとの従兄弟関係を申し上げますと、俊之さんのご母堂は、私の父の2番目の妹で、お名前は、みつえと言っておられました。このみつえ叔母さんの6人のお子達の長男として、ご尊父の学校関係のため、岡山で出生されたと聞いております。私の子供のころ、岡山の叔母さんと呼んでおったこと記憶しております。

私の祖父は、誠に古風な昔かたぎな人物で、婚家の都合もわきまえずに、時々3人の娘を呼び寄せ、談笑することを、老後の唯一の楽しみにしておりました。今でも楽しい懐かしい思い出の一つとして、脳裏に残っておることですが、昭和初期の頃と記憶しておりますが祖父は、毎年夏休みの頃となりますと、娘3人それに子供達孫達を集め、近くにある三国海岸に三軒程民家を借り、2週間程海兵生活をさせることを、習わしとしておりました。福井に嫁ぎました波子叔母さんの6人の孫、雪山のみつえ叔母さんの6人の子達、大聖寺に嫁ぎました雅子叔母さんの一人の娘、それに私の姉と私、総勢15人が、毎日岩場で、さざえ、かになどをとったり、海水浴を楽しんだ懐かしい、楽しい思い出があります。童児達の最年長者は俊之さんでした。仮我のないよう、たえず注意に目をくばり、リーダー格であったことは勿論のことです。

その後、進学結婚等にて交流はとだえ、11人あった従兄弟も、一人去り、また一人と、今では雪山家の澪子さん、汐子さん、様子さんと私、4人となってしまいました。俊之さんの荘厳なご葬儀に参列いたしまして親鸞聖人の恩師法然上人がお弟子さんに、一別後の再会は難しいが、浄土での再会の喜びがあると言われたと聞いたことがありますが、ふとその様なお言葉を思い出しながら、合掌した事であります。

(寺報81号)

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