ある救援活動/利井明弘

阪神大震災で、友人知人の寺の多くが被災した。消息を知りたくても、電話が通じない。名簿を見ながら、おちこち連絡してみた。そんな中に住職坊守も行信教校を卒業している兵庫区のお寺があった。毎年の彼岸会にご法話に行く寺で、あの大震災で丸焼けになった長田区の隣の区である。その寺に偶然のように電話が通じた。

「先生ですか、家族も寺も無事でした。わざわざお見舞い電話有難うございました」

住職の元気な声が耳に飛びこんできた。そして、彼の寺のすぐ近所のもう一人の知人の寺が全壊全焼したことを教えられた。彼の寺は無事だったが、檀家の人たちが、30人ほど彼の寺に避難しているということだった。突然電話の声がいつも明るい、坊守さんに代わった。

「先生、お見舞いの言葉だけではないでしょうね」

ギクッとした。ボランティアの活躍が報道されていたが、私は行っても却って邪魔になるだけだと思ってテレビを見ては、ひたすらお見舞い電話をかけていたのである。何か緊急に必要なものがあるのかと聞くと、水・下着・ウエットティッシュ・手袋・靴下・生鮮食料等々が必要だと云う。品物を揃えて、三日後に自動車の前に「救援物資搬送車」と赤字で書いた紙を張り、彼の寺に行くことにした。大阪を過ぎると、テレビで報道されていた被災地が生で目に飛び込んで来た。とてもここでは書けないような惨状であった。車で普通なら3、40分で行ける距離に6時間もかかった。車がギッシリと並んで大渋滞である。しかし、いくら時間がかかっても、SFのゴジラ映画の中に入ってしまったようで、目を見張るばかりだった。その時、私の心に沸いてきた気持ちを正直に言葉にすれば「観光ドライブ」である。6時間たっぷりイライラも退屈もしなかったのである。

目的の寺について、ダンボールの箱やポリバケツを運び下ろしながら、車の前に張っていた「救援物資搬送車」の紙をムシリ取った。私の車が走ったおかげで、避難所への「おにぎり」を運ぶ車はきっと遅れたことだろう。

(寺報75号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
洗面器の底に・・・/森正隆(寺報87号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)