私達は知らぬ間に人間としてこの世に生まれ、いや応なしに死んでゆく身を与えられて、そかもそれをわが生命(いのち)と執じて、思いのままにならないと、たよりのない不安におののく生活をしているのではありませんか。
その当てたよりにならぬ、よるべなき不安の私達に依り処を与え、支えになろうとするのが阿弥陀仏の浄土であります。だから浄土は私達の生の依る所、死の帰する処であるといわねばなりません。
しかし一般には浄土とは死んでから授けられる所としか心得ていない人が多いようですが、そうではありません。私達の生きていくのに大いなる力となり、たよりとなって下さるのが浄土なのであって、生きている内に大いなる仏力を得させて、浄土へ帰らしめ給うのが阿弥陀仏のお救いなのです。
お浄土は、私の知らぬ時から常に、「我が名を称えつつ帰り来れ」と呼びかけて下されているのです。それが南無阿弥陀仏の名声であります。この名声には、三世を徹(とお)して絶(た)ゆることなく(無量寿)、衆生を救けとける仏の生命力(智恵の光明)をこめて働きかけて下さる響きであります。
親鸞聖人は、帰命無量寿如来、南無不可思議光と、阿弥陀仏の勅命(おおせ)に帰依信順され、浄土からの願力に安住せられてあったのです。仏の勅命に相応(こたえ)して念仏していることは、智恵の光明の中に摂(おさ)められて、仏の生命(いのち)をわが生命(いのち)とたまわり、支えられつつ、浄土へ導かれ、帰らしめられている堂ちゅうにある身の喜びの声であったのです。
(寺報92号)
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